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【NHKプロフェッショナル】アフリカで希望を届ける小児科医・公文和子の挑戦|3月20日放送

ドキュメント

希望に駆ける〜小児科医・障害児支援 公文和子〜|3月20日放送

アフリカで「希望」と慕われる日本人小児科医、公文和子さんが3月20日放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』に登場します。ケニアで障がい児支援施設「シロアムの園」をゼロから立ち上げ、行き場のない子どもたちを支えてきた彼女の挑戦とは何だったのか。23年間、異国の地で子どもたちと向き合い続けた医師の物語が放送されます。

公文和子さんとは?

公文和子さん(56歳)は日本の小児科医で、ケニアにある障がい児支援施設「シロアムの園」の創設者です。和歌山県で生まれ、東京で育ちました。北海道大学医学部を卒業後、イギリスで熱帯小児医学を学び、世界各地で医療活動を続けてきました。東ティモールやシエラレオネ、カンボジアなどの紛争地でも診療を行い、2002年からケニアで本格的に活動を開始しました。

ケニアでは障がい児に対する差別が根強く、適切な医療や教育を受けられない子どもが多くいました。その現実を目の当たりにし、彼女は「何かできることはないか」と考え、2015年に障がい児のための支援施設「シロアムの園」を設立しました。以来、子どもたちの命と未来を支え続けています。

シロアムの園の役割

シロアムの園は、障がいのある子どもとその家族を支援するための施設です。ケニアでは、障がい児が「呪われている」と見なされることがあり、適切な医療や教育を受けることができず、家に閉じ込められてしまう子どもも少なくありません。そんな子どもたちが安心して過ごせる場所を作るため、公文さんはこの施設を立ち上げました。ここでは、医療や教育、就労支援など、多方面からサポートを行っています。

支援の内容は多岐にわたりますが、特に以下のような取り組みを行っています。

  • 医療支援:医師が子どもたちの診療を行い、病気や障がいに対する適切な治療を提供しています。ワクチン接種や栄養管理の指導も行い、子どもたちの健康を守っています。
  • リハビリテーション:障がいのある子どもたちが自分で歩いたり、話したりできるようになるための訓練を行っています。理学療法士が一人ひとりの状態に合わせてプログラムを作り、運動機能の回復をサポートします。
  • 教育支援:障がいが理由で学校に通えない子どもたちに、学習の機会を提供しています。特別支援教育を受けられるようにし、読み書きや計算だけでなく、社会生活の基本も学べるようにしています。
  • 生活支援:親が子どものケアを適切にできるよう、食事や入浴、トイレ介助などの方法を指導しています。また、障がい児を育てる親同士の交流の場を作り、悩みを共有し合える環境を整えています。
  • 就労支援:障がい児を持つ親が仕事を得られるよう、古着の販売やドーナツ製造などの小規模ビジネスを支援しています。これにより、親が経済的に自立し、家庭の状況が改善されることを目指しています。

これらの活動を通じて、公文さんは「障がい児がいる家庭でも、希望を持って生きられる社会」を作ろうとしています。ただ支援するのではなく、地域全体が子どもたちを受け入れる環境を作ることが重要だと考え、現地の人々の意識を変えるための啓発活動も積極的に行っています。学校や地域で講演を開き、障がいのある子どもたちの大切さを伝えています。

シロアムの園の子どもたちは、医療を受けるだけでなく、リハビリを通してできることが増え、自信を持って笑顔を見せるようになります。親たちも、仕事を持ち、「障がい児の親だから何もできない」という考えを変えることができるようになりました。公文さんの活動は、子どもとその家族、さらには地域社会に大きな変化をもたらしています。

それでも、まだ多くの課題が残っています。障がい児への差別は完全になくなったわけではなく、ケニア全体に支援の輪を広げるためには、さらなる努力が必要です。それでも公文さんは、子どもたちの未来のために、一歩ずつ歩みを進めています。

きっかけは内戦下の病院

公文さんがアフリカでの医療活動を決意した背景には、シエラレオネ内戦中の野戦病院での壮絶な経験がありました。彼女が目の当たりにしたのは、薬も機材も足りない中で次々と命を落としていく子どもたちの姿でした。診察をしても、治療が間に合わない。点滴すら打てない状況で、小さな命が静かに消えていく現実に、彼女はどうすることもできませんでした。

  • 医師としての無力感:手を伸ばしても、助けられない命がある。どれだけ知識があっても、物資や環境が整っていなければ救えない。そんな残酷な現実に、公文さんは深い悲しみを覚えました。
  • 極限状態の中での決断:昼夜を問わず診療を続け、気づけば体力も気力も限界に達していました。不明熱に苦しみ、ついには倒れ、ドイツの病院に緊急搬送されることになりました。
  • 人生を変えた子どもたちとの出会い:病院で療養していた公文さんは、内戦で傷ついた子どもたちと接する機会がありました。彼らは苦しい状況にありながらも、必死に生きようとしていました。その姿に、公文さんは「もう一度、医師としての役目を果たしたい」と強く思うようになりました。

回復後、公文さんは再びアフリカへ向かうことを決意しました。しかし、次は戦場ではなく、子どもたちが未来を持てる場所を作ることを目標にしました。そこで選んだのがケニアでした。

  • 「命が喜ばれる社会を作りたい」:シエラレオネでは、多くの命が消えていくのを見守ることしかできなかった。次は、子どもたちが笑顔で生きていける場所を作りたい――そんな想いが、ケニアでの支援活動につながりました。
  • 医療だけでは救えない現実:病院を建てるだけでは、子どもたちの未来は変わらない。医療と教育、そして社会の意識を変えることが必要だと感じた公文さんは、単なる診療活動にとどまらず、障がい児を支援する施設を作ることを決意しました。

こうして2015年、ケニアに障がい児のための支援施設「シロアムの園」が誕生しました。そこでは、子どもたちが医療を受けるだけでなく、リハビリをし、教育を受け、未来を描けるようになっています。公文さんの願いは、「どんな子どもも、愛され、守られ、社会の一員として生きられること」。シエラレオネでの苦しい経験が、彼女を支え、ケニアの子どもたちの希望へとつながっているのです。

23年間の挑戦とこれから

23年間、公文さんはケニアで医療と福祉の両面から障がいのある子どもたちを支え続けています。最初は小さな活動でしたが、今では「シロアムの園」が地域の重要な施設として認識されるようになりました。しかし、それでも社会全体の意識を変えるのは簡単なことではありません

ケニアでは今もなお、障がいを持つ子どもたちは「家族の恥」と見なされることがあります。

  • 隠される子どもたち:障がいを持つ子どもは「呪い」と考えられ、家から一歩も外に出られないことがある。学校に通うことも許されず、親さえもどう接していいかわからない場合が多い。
  • 医療を受ける機会の少なさ:適切な診療を受けられず、病気や栄養失調が悪化してしまうことも少なくない。病院に行くにも費用がかかり、家族の経済状況が厳しいと治療を諦めてしまう。

公文さんは、こうした現実を少しでも変えるため、地域の人々への啓発活動に力を入れています。

  • 学校や地域での講演活動:障がい児への理解を深めるため、教師や地域のリーダーたちに向けて講演を実施。障がいは「恥ずかしいもの」ではなく、「共に生きる存在」であることを伝えている。
  • 親たちの意識改革:施設を訪れた親たちに「子どもたちの可能性」について話し、育て方のアドバイスを行う。「うちの子には何もできない」と諦めていた親が、子どもの成長を見守るようになる。

シロアムの園では、子どもたちの笑顔があふれています。医療を受け、リハビリをし、学び、未来を描く。

  • 歩くことができなかった子どもが、自分の足で歩けるようになった
  • 言葉を発することができなかった子どもが、「ありがとう」と伝えられるようになった
  • 学校に通うことを諦めていた子どもが、字を読めるようになった

公文さんは「どんな命も尊い。どんな子どもも、愛され、認められるべき存在です」と言います。しかし、施設だけでは限界があります。ケニア全体が変わらなければ、本当の意味で子どもたちの未来は開けません。

  • 「医療だけでは救えない」:病院があっても、親が障がいを受け入れなければ意味がない。社会の意識が変わらなければ、障がい児の未来は閉ざされたままになる。
  • 「社会全体で支える仕組みを」:今後は、地域の人々が障がい児を支え、家族だけでなくみんなで育てる環境を作ることが目標。

公文さんの挑戦はまだ終わりません。彼女の目標は、ケニアの障がい児たちが自分らしく生きられる社会を作ること。その夢に向かって、これからも歩み続けています。

3月20日放送『プロフェッショナル』で公文さんの生き様を知る

今回の放送では、公文和子さんの23年間の挑戦と、シロアムの園が生まれた経緯、そしてケニアで彼女が見つめる未来が描かれます。現地の子どもたちとの関わりや、支援の最前線でどのような困難があるのか、そのリアルな姿が映し出されるでしょう。

放送日:2025年3月20日(木)22:45~23:30(NHK総合)
この感動のドキュメンタリーをぜひお見逃しなく!

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