岡本太郎と太陽の塔|“勝手に作った”伝説と永久保存の真相に迫る
2024年5月3日(土)午前1時36分からNHK総合で再放送される『歴史探偵「岡本太郎と太陽の塔」』は、日本芸術史に残る一大プロジェクト「太陽の塔」の誕生と保存の裏側に迫る内容です。1970年の大阪万博で建てられたこの巨大なモニュメントは、芸術家・岡本太郎の強い信念と想像力から生まれました。しかしこの塔は、実は正式な計画になかった“異端の作品”だったのです。番組では、岡本太郎の業務日誌や自筆スケッチ、そして関係者の証言から、その全貌を丁寧に紐解きます。放送後には詳細情報を反映し、記事を更新します。
太陽の塔は“勝手に作った”?驚きの誕生秘話
大阪万博の象徴として知られる太陽の塔。しかし、実はこの塔は当初の公式な設計には含まれていなかったという事実があります。番組では、この驚くべき誕生秘話に光を当て、岡本太郎がどのようにして構想を形にしていったのかを詳しく追います。
太陽の塔は「テーマ館」のドームに突き刺さるように立ち、全体の中央にそびえる独特なデザインですが、このアイデアは岡本太郎の個人的な発想から生まれたものでした。彼は、自らの芸術理念に基づき、「生命のエネルギーを象徴する塔」を中心に据えたいという強い思いを持っていたのです。しかし、会場設計チームや運営側からは次のような反対意見が出ていました。
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高さが想定よりも大きく、ドーム構造を突き抜けることで安全性に問題が出る
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建設費用がかさみ、予算の再調整が必要になる
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展示動線や設営スケジュールが崩れ、他の展示との調整に支障をきたす
こうした理由から、太陽の塔の構想は正式採用されない可能性が高いとされていました。それでも岡本太郎は、デザインスケッチや模型を何度も作り直しながら、反対の声を乗り越えていきます。
彼が残した「業務日誌」には、毎日の動きや関係者とのやりとり、どんな提案を出し、どのような反応を受けたのかが詳細に記されていました。番組ではその一部が公開される予定で、そこには以下のようなやりとりが描かれています。
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プロジェクト会議の翌日に、新しい案を再提出している
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建築責任者との個別面談を重ね、技術面での実現可能性を探る努力を続けている
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スケッチは1つの案だけでなく、数十種類のバリエーションを用意して説明していた
また、関係者の証言によると、岡本太郎は設計会議においても強い口調ではなく、静かに作品の意義を語る姿が印象的だったといいます。その態度が逆に説得力を持ち、次第に周囲の空気が変わっていったそうです。
こうして、芸術と建築、行政と表現の境界を何度も揺れながら、太陽の塔は少しずつ形になっていきました。「勝手につくった」という言葉には、実際には孤立した独断ではなく、周囲と向き合い、粘り強く対話を続けた岡本太郎の姿が込められているのです。
完成した塔が万博の顔となった今、その裏には一人の芸術家の信念と、何度も立ち向かったプロセスがあったことを忘れてはいけません。放送では、スケッチや日誌の実物映像も紹介される予定です。岡本太郎の言葉に耳を傾けながら、もう一度この塔の意味を考え直す機会になりそうです。
120枚の構想スケッチが明かす、造形に込めた深いメッセージ
太陽の塔は、ただの奇抜なオブジェではありません。そのひとつひとつの形状には、明確な意味と強い思想が込められているのです。番組では、近年発見された岡本太郎の構想スケッチ120枚の一部が紹介される予定で、そこから読み取れる彼の思考の軌跡が注目されています。
スケッチには、塔の全体像だけでなく、顔の角度や手の位置、模様の意味に至るまで、何度も描き直された痕跡がありました。これは太郎が形そのものに宿るメッセージを何度も見つめ直していた証拠でもあります。
太陽の塔には「過去」「現在」「未来」の3つの顔があります。
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頭部にある「黄金の顔」が未来を象徴
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胸の部分にある「太陽の顔」が現在
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背面に配置された「黒い太陽」が過去を表現
この3つの顔が、塔を360度から見られるように配置されており、時間の流れを全方向から包み込む構造となっています。
また塔の内部に設置された「生命の樹」は、高さ約41メートル。
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その根元には単細胞生物の模型
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幹には魚類や両生類、哺乳類の進化を表すフィギュア
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頂上には人類の未来像を示す造形が置かれています
これらはすべて立体模型で構成され、訪れる人が塔の中を歩きながら、生命の進化の流れを体感できる展示になっていました。
スケッチの中には、こうした構成に至るまでの検討の跡が見られます。
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最初の案では顔の数は2つだったが、進化の三段階を表すために3つに変更された
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手の位置も複数パターンが描かれ、エネルギーの流れを左右に広げる表現へと発展
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模様やラインには、宇宙や脈動を表すパターンが意識的に盛り込まれていた
これらの造形は、単なる視覚的インパクトではなく、岡本太郎が「人間とは何か」「生命とはどう続くのか」を問いかける造形言語として機能しています。
特にスケッチには、手書きで細かくメモが書き込まれており、太陽の塔が「塔」ではなく、“生きている存在”としてデザインされていたことが分かります。塔を通じて、太郎は生命の根源、時間の連続性、そして未来への希望を可視化しようとしていたのです。
番組で紹介される予定の構想スケッチには、当初の構想段階での迷いや修正、そして完成に近づく過程での強い意志がにじんでいます。見る人がただ「すごい」と思うだけではなく、「なぜこの形なのか」「どんな意味が込められているのか」を深く考えたくなるような造形であることが、この塔の魅力であり、岡本太郎の芸術の本質とも言えます。
太陽の塔は、見る角度によって印象が変わり、内部と外部でまったく異なる世界を見せてくれます。それは、太郎が“芸術は人間の根源を映す鏡である”という信念を形にしたもの。スケッチ120枚という膨大な試行錯誤の痕跡は、まさにその姿勢を物語っています。放送では、これらの資料とともに、当時の現場で何が起きていたのかを追体験できる内容が期待されます。
本来は解体されるはずだった太陽の塔…保存の決定はなぜ?
1970年の大阪万博が終了した後、太陽の塔は「期間限定の展示物」として解体される予定でした。当時の計画では、すべてのパビリオンや構造物は会期終了後に撤去されることが前提であり、太陽の塔もその例外ではなかったのです。ところが、実際には今も大阪・万博記念公園にそびえ立ち、訪れる人々を惹きつけ続けています。そこには、多くの葛藤と決断の積み重ねがありました。
太陽の塔の保存が決定されるまでの経緯には、いくつかの重要な動きがありました。
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万博終了後、塔の撤去が本格的に検討される中で、市民から「残してほしい」という声が各地で上がり始めました
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芸術家や建築関係者からも、「単なるモニュメントではなく文化遺産である」という意見が寄せられました
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メディアでもたびたび特集が組まれ、太陽の塔の保存を求める世論が拡大していったのです
岡本太郎自身も、当初は万博の一部としての役割を終えたなら解体されても構わないと語っていたことが記録されています。しかし、次第に高まる保存運動の熱気や、塔に込めた自らの思想の重要性を再確認したことで、彼は明確に保存を支持する姿勢をとるようになります。
彼は後に、「壊してしまったら日本は自分の顔を失う」とまで語ったとされており、その言葉からは芸術と社会との接点を深く意識するようになっていたことが感じられます。
こうした流れの中で、行政側にも変化が生まれました。
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大阪府や関係省庁の中で、文化的価値を再評価する動きが始まり
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公園整備計画の一環として、太陽の塔をランドマークとして位置づける案が浮上
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最終的には、特例として解体方針が撤回され、恒久的に保存することが決定されたのです
これは当時としては異例の判断であり、計画通りに解体されるはずだったものが、社会の声によって方針転換された数少ない例としても知られています。
この保存の決定は、「芸術は時代を超えて残るべきかどうか」という普遍的な問いにもつながっています。単なるオブジェではなく、都市と人々の記憶、未来への象徴としての役割を与えられた太陽の塔は、まさにその問いに対するひとつの答えを体現しています。
現在も多くの人が訪れ、内部の展示や外観を見上げながら何かを感じ取っているのは、あのときの保存の判断があったからこそ。番組では、当時の資料や証言を通して、この判断がいかに重要で、そして困難だったかを描き出す予定です。それは「残された奇跡」ではなく、「残すことを選んだ人々の意思の証明」なのです。
放送の注目ポイントと予習まとめ
・太陽の塔は当初の計画にない“異物”だったことが明らかに
・岡本太郎の業務日誌を初公開し、プロジェクトの人間関係に迫る
・構想スケッチから塔の形の意味を読み解く新たな視点が提示される
・解体の予定から永久保存に至るまでの過程を丁寧に追う
本放送を通じて、岡本太郎の「芸術は爆発だ!」という言葉の真の意味が見えてくるはずです。それは単なる感情表現ではなく、社会の枠組みを越えて芸術を現実に変えていく、強いエネルギーそのものでした。
この番組は、アートに興味がある人だけでなく、都市文化や公共空間に関心のある人、さらには未来の社会づくりを考えるすべての人におすすめです。放送後には、紹介された資料や証言、展示映像の詳細も含めて、さらに情報を更新しますのでお楽しみに。
放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。
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