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【NHKスペシャル】震災12年、海辺にあった町の病院の記憶|石巻市立雄勝病院の跡地と遺族の想い(2025年3月10日放送)

ドキュメント

海辺にあった、町の病院 〜震災12年 石巻市雄勝町〜|2025年3月10日放送

宮城県石巻市雄勝町にあった石巻市立雄勝病院は、地域の人々にとって欠かせない病院でした。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災により、病院は津波に飲み込まれました。入院患者40人と職員24人、合わせて64人が命を落とすという大きな被害を受けました。震災発生から12年が経った今も、その傷跡は町の人々の心に深く刻まれています。震災後、病院の跡地には慰霊碑が建てられ、遺族や関係者が今も足を運び、亡くなった人々を偲んでいます。

石巻市立雄勝病院とは?震災前の姿

雄勝町は、かつて4300人が暮らしていた町でした。石巻市立雄勝病院は1954年に開設され、雄勝町唯一の病院として、地域医療の要でした。高齢者の多い地域であったため、特に終末期医療を担う病院としての役割もあり、患者やその家族にとって頼れる存在でした。病院があった場所は「硯浜(すずりはま)」と呼ばれ、海に近く、景色の美しい地域でした。しかし、その立地が災害時には大きな危険をはらんでいました。

震災当時、病院には自力で歩くのが難しい入院患者40人がいました。避難するのは難しく、職員たちは必死に患者を守ろうとしましたが、結果的に全員が津波の犠牲となってしまいました。避難が間に合わなかった理由として、津波の到達が早かったことや、病院の裏手にある山へすぐに移動するのが困難だったことが挙げられます。さらに、病院長と副病院長もこの震災で亡くなり、病院の機能は完全に失われました。

震災の日、病院で起こったこと

3月11日、東日本大震災が発生した直後、病院内は混乱に包まれました。強い揺れの後、すぐに津波が襲ってくることが予想されましたが、病院にいる患者たちはすぐに動くことができませんでした。地元の人々によると、近くに住む住民は「裏山が唯一の避難場所だった」と語っていますが、病院の患者たちはそこまで移動する時間がなく、津波が押し寄せてしまいました。

その中で、生存した職員はわずか4人。訪問看護に出ていた3人の看護師と、別の業務についていた職員1人だけでした。彼らは生還したものの、大切な同僚や患者を失った悲しみは消えることがありません。震災を生き延びた職員の手記には、当時の壮絶な状況が綴られています。

・病院内では停電が発生し、通信手段も途絶え、外部との連絡が取れなかった。
・職員は患者を安全な場所へ移そうとしたが、避難ルートが確保できず、断念せざるを得なかった。
・病院が海沿いにあったため、逃げる時間がほとんどなかった。

震災後、病院の跡地には慰霊碑が建てられ、遺族たちが今も手を合わせています。2024年8月には、震災当時23歳で亡くなった看護助手の永沼さんの遺族も訪れ、涙を流しました。

震災後の職員と遺族の歩み

震災で生き残った職員たちは、その後どのように過ごしてきたのでしょうか。
近藤さんは、震災当日、訪問看護に出ていたため助かりました。しかし、病院に残っていた同僚を助けられなかったことに、今でも強い後悔を感じています。
千葉さんは、当時、病院のボイラー技士として働いていました。震災後は職を変え、現在は小学校の職員として働いています。
坂本さんは、震災で母親を亡くしました。彼女は子どもたちを連れて、定期的に慰霊碑を訪れています。

また、震災が起こる前日の3月10日に入院したばかりの患者もいました。その遺族は「たった1日違っていれば…」と、今でも悔しさをにじませています。偶然によって助かった人もいれば、わずかな時間差で命を落とした人もいる。その事実が、多くの人の心に深い傷を残しました。

雄勝町の今と未来

震災前、雄勝町には4300人が暮らしていました。しかし、震災後、多くの人が町を離れ、現在の人口は1000人程度に減少しています。それでも、地元の人々はこの町を守り続けています。

震災後初めて、雄勝湾で花火が打ち上げられました。これは、町の人々が少しずつ前を向いて歩み始めていることを象徴する出来事でした。また、町おこしの一環として「おがつ夏まつり」も開催され、震災の記憶を語り継ぐ場にもなっています。

震災を経験した人々は、それぞれの形で前を向いて生きています。雄勝病院で働いていた看護師たちは、今でも慰霊碑を訪れ続けています。そこには、亡くなった仲間や患者への想いが込められているのでしょう。

震災の記憶を風化させないために

震災から12年が経ちましたが、震災を経験した人々にとっては決して過去の話ではありません。震災によって失われたものはあまりにも大きく、そして、その傷は今もなお残っています。

震災の記憶を後世に伝えることが大切です。災害の恐ろしさ、そして防災の大切さを忘れないために、語り継ぐことが必要です。
復興は今も続いています。町の再生には時間がかかりますが、少しずつ前に進んでいます。
命の尊さを改めて考える機会に。震災で失われた多くの命を思いながら、私たちも防災意識を高めていくことが求められます。

震災は過去の出来事ではなく、今を生きる私たちにとっても大切な教訓です。被災地の復興を支えるとともに、震災の記憶を次の世代へとつなげていくことが大切です。

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