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NHK【気になる家】国分寺の洋館「お化け屋敷」の再生物語!老姉妹と隣人の感動の交流|2025/1/13放送

ドキュメント

はじめに

2025年1月13日放送のNHK総合『気になる家』では、東京の国分寺崖線に佇む歴史的洋館が紹介されました。今回の放送では、この洋館の建築当初からの歴史、姉妹の歩み、そしてカフェとして再生されるまでの感動的なエピソードが語られました。長年にわたり維持されてきたこの建物の背景には、深い家族の絆と強い信念がありました。

姉妹が守り抜いた洋館の成り立ち

東京・国分寺崖線は、大正から昭和初期にかけて富裕層の別荘が多く建てられた高台エリアです。その中でひときわ目を引く洋館が今回の放送で取り上げられました。所有者を突き止めた調査員の中野さんは、この洋館の魅力を解き明かしていきます。

1933年、この洋館は貿易商の土井内蔵氏の別荘として建てられました。玄関ポーチの凝った装飾や、海軍の肩章や軍帽が飾られている点など、細部にわたってこだわりの見られる設計となっており、当時の上流階級の趣味の良さが伺えます。

海軍少将・沖本至氏の時代と洋館の変化

1937年10月、当時海軍少将だった沖本至氏がこの洋館を購入し、妻と2人の娘との4人家族で生活を始めました。戦前のモダンな洋館として名高く、1940年には和館の増築が行われました。この増築によって、和洋折衷のスタイルとなり、より格式高い邸宅としての存在感を増していきます。

しかし、太平洋戦争末期になると状況が一変します。米軍の多摩地区への空襲が頻発し、沖本邸も被害を受けました。家の内部には、当時火を消した際に水が垂れた跡が今でも残されており、戦火の爪痕を物語っています。

姉妹の人生と洋館を守り抜いた背景

沖本家の姉妹、京子さん智子さんは、洋館と家族の歴史を守り続けてきました。
京子さんは28歳で医大に進学し、1957年には女性初の神経内科博士号を取得するなど、当時としては非常に先進的なキャリアを歩みました。一方、妹の智子さんは広島に嫁いだものの、戦後に離婚し再びこの洋館に戻ってきました。

2人は再び両親と共に4人暮らしを再開し、母の米子さんは1988年に、父の至さんはその5年後に他界しました。その後、姉妹2人でこの洋館を維持し続けますが、歳を重ねるにつれ家の手入れや掃除が徐々に行き届かなくなっていきます。

特に、京子さんは庭の樹木の伐採や剪定を強く反対し、そのこだわりが近隣住民との摩擦を生んでしまいました。その結果、姉妹は次第に近隣や親戚との関係も疎遠となり、孤立していくこととなりました。

洋館の再生とカフェ「おきもと」の誕生

2020年、この洋館はカフェ「おきもと」として生まれ変わりました。
敷地は約600坪という広大な広さを誇り、美しく整備された英国式庭園や竹林の小道が特徴です。このカフェのオーナーとなったのは久保愛美さん。久保さんはもともと主婦でしたが、料理の技術を学び直し、さらにカフェ経営の学校に通った末に、夢のカフェを開業しました。

久保さんとこの洋館の関係は深く、元々は隣人として姉妹の生活をサポートしていたのです。長年の信頼関係から、久保さんは姉妹の生活面でも多くの支援を行い、結果としてこの歴史的洋館を再生させることになりました。

洋館の改修には多くの専門家が関わりました。

  • 造園家の御園さん:竹林の小道を整備し、ゲートを廃材で作成。荒れ果てた庭を美しく蘇らせました。
  • 彫刻家の赤川さん:犬のオブジェを制作し、庭に温かみを加えました。

このようにして、洋館は美しく生まれ変わり、多くの人が訪れるカフェとして再び活気を取り戻したのです。

姉妹の晩年と洋館の現在

姉の京子さんは95歳まで現役の医師として活躍し続け、翌年96歳で亡くなりました。妹の智子さんもカフェ「おきもと」の完成を見届けた後、102歳でその生涯を閉じました。

現在、この洋館は久保さんの娘が次の世代へと引き継いでおり、カフェとして地域の人々に親しまれ続けています。

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