アメリカの“知”はどこへ
アメリカの名門大学・ハーバードをはじめとする研究機関が、大きな変化の波にさらされています。トランプ政権が進めるビザ制限や助成金凍結の影響で、海外に活躍の場を移す研究者が増えています。今回の『クローズアップ現代』では、その背景や世界への広がり、日本の動きまでを取材。
トランプ政権が大学・研究機関にかける圧力とは
2025年の春以降、トランプ政権はアメリカ国内の大学や研究機関に対して、かつてないほど強い制限や管理を進めています。特に注目されているのが、外国人留学生の受け入れに関する厳格化です。5月には、SEVP(留学生・交流訪問者プログラム)の認可取り消しを通じて、ハーバード大学をはじめとした複数の大学が、外国人留学生の新規受け入れを停止される事態となりました。これは大学側にとっても学生側にとっても大きな混乱を引き起こしました。
続いて6月には、国家安全保障上の理由を掲げ、外国人へのビザ発給そのものを6か月間停止する大統領布告が出され、中国系を中心とする多数の留学生・研究者の将来が不透明になりました。これにより、米国の研究現場では新しい人材の確保が難しくなり、国際的な学術交流も急激に縮小しています。
さらに、研究費の助成についても大幅な見直しが行われました。連邦政府からの支援は凍結や削減の対象となり、ハーバード大学では最大で32億ドル(約5,000億円)もの影響が出ると見込まれています。この規模の資金カットは大学の運営に大きな影響を及ぼし、ハーバードでは年間10億ドル以上の人件費削減を計画し、新規採用の停止や既存スタッフの解雇(レイオフ)を拡大する動きが進んでいます。
これら一連の動きは、大学にとって単なる制度変更ではなく、研究と教育の根幹にかかわる重大な問題となっており、すでに多くの学術関係者が法的措置や国際的な連携で対抗しようとしています。アメリカの学問の自由や国際研究の未来が、大きな岐路に立たされている現状です。
学問の自由を守ろうとする大学の反発
アメリカの大学、とくにハーバード大学は、ビザ制限や研究助成の凍結といった政策に対して、強く反発する姿勢をとっています。ハーバードは、外国人留学生の受け入れを制限する決定が「学問の自由」に反するとして、すぐに裁判に訴えました。その結果、一部の措置については連邦地裁が差し止め命令を出し、ビザ認可停止の一時的中断が認められる事態となっています。
こうした法的な対抗は、単に制度を守るだけでなく、大学が自主的に教育と研究を進める権利を守るための強い意思表示でもあります。ハーバードをはじめとする名門校は、アメリカの大学が伝統的に大切にしてきた「自由な研究環境」や「多様性」を、政治の影響から切り離す必要があると考えています。
また、今回の強い反発の背景には、政府による教育機関への「リベラルすぎる」という批判も関係しています。トランプ政権は、キャンパス内で広がる親パレスチナ運動や、反ユダヤ的とされる言動への対応に不満を表明しており、それを理由に大学への制裁を正当化しようとしています。このような背景から、大学側としては政治的な動機による介入を拒否し、学問を政治から守る必要性が高まっているのです。
こうして、アメリカ国内ではいま、大学と政府との間で「知のあり方」をめぐる対立が鮮明になっています。ハーバードの法的な動きは、その象徴といえるでしょう。
アメリカから海外へ流出する研究者たち
トランプ政権の政策により、アメリカ国内の研究環境が不安定になる中で、海外での研究活動を選ぶ動きが広がっています。研究助成の削減やビザの制限などが続いたことで、多くの研究者が「このままでは自由な研究ができなくなる」と感じ、国外への移籍を真剣に考えるようになりました。
こうした動きに対応する形で、ヨーロッパやカナダ、オーストラリアなどがアメリカからの研究者を受け入れるための支援プログラムを整備しています。たとえば、フランスの「Safe Place for Science」は、科学的な自由を求める研究者に対して資金や住居、研究設備の提供を行う仕組みで、すでに300名以上が応募しています。カナダの「Canada Leads」や、オーストラリアの「Global Talent Attraction Program」も同様に、研究費支援やビザ優遇などの手厚い支援を用意しています。
具体的な研究者の名前も挙がっており、イェール大学の著名な教授たちがヨーロッパへの移籍を検討していることも明らかになっています。彼らが共通して語るのは、「政治による介入が強まり、これまでのように自由な発言や研究がしづらくなった」という危機感です。
また、欧州各国では米国の研究者を対象とした個別助成制度や移転支援制度も広がっており、ドイツやベルギーでは研究室やスタッフのまるごとの受け入れまで想定したプログラムも始まっています。これらの制度は、ただの引き抜きではなく、学問の自由を守る「避難所」としての機能も果たしています。
このように、アメリカ国内の政策が変わったことで、世界の研究者の流れが大きく変化しています。そしてその中心には、「自由に研究できる環境を求める声」と、それに応えようとする各国の姿勢があります。
日本でも動き出した「頭脳獲得」
アメリカの研究環境が揺らぐ中、日本もこの機会を活かそうと動き始めています。その先頭に立っているのが東北大学です。同大学は、文部科学省の「国際卓越研究大学制度」に認定され、国の10兆円ファンドの運用益を活用して、総額約300億円の予算を研究人材の獲得にあてると発表しました。
この予算は2025年度から5年間にわたって使われ、世界中からおよそ500名の研究者を採用することが目標とされています。特に初年度には100名程度の採用を計画しており、給与の上限を設けず、アメリカの大学と同等かそれ以上の待遇を用意する姿勢を打ち出しています。加えて、東北大学内には「人材戦略室(Human Capital Management Office)」を新設し、採用から研究支援まで一体的にサポートする体制が整えられています。
また、研究環境の整備として、量子技術や半導体などの分野における海外拠点の設置も検討されており、アメリカの大学や研究所と連携しながら、日本発の国際研究ネットワークを広げることも目指しています。こうした戦略により、日本に拠点を移すことを考えている研究者にとって魅力的な選択肢となりつつあります。
さらに、こうした動きは東北大学にとどまらず、大阪大学や立命館大学など関西の大学でも同様の構想が広がりつつあります。たとえば、大阪大学では若手研究者を中心に100名規模の採用計画が浮上しており、各地の大学が連携・競争しながら、日本全体の研究力を引き上げる機運が高まっています。
このように、日本では今、アメリカの頭脳流出を「逆ブレインドレイン」として捉え、世界水準の人材を受け入れることで、研究・技術の競争力を取り戻すための本格的な取り組みが始まっています。今後の実績や成果が、制度のさらなる拡大や他大学への波及にもつながっていくことが期待されます。
世界各国で進む「研究者獲得競争」
アメリカの研究者が国外に流出しはじめたことで、世界中の国々がその優秀な人材を積極的に受け入れようとする動きが加速しています。なかでもヨーロッパ諸国は「Choose Europe」構想を掲げ、約5億ユーロ(およそ800億円)の資金を投入してアメリカから研究者を誘致する大規模な戦略を展開しています。
この構想では、移住先での研究設備や住居、引っ越し費用の支援、家族向けのサポート体制も整備されており、研究者がスムーズに新天地で研究を始められるよう工夫されています。ドイツやベルギーの大学では、特定分野の研究者に対して個別にラボを提供するプログラムも用意され、すでに数百件の受け入れ実績があります。
一方で、オーストラリアも「Global Talent Attraction Program」を通じて、世界のトップ研究者を自国の大学や研究機関に呼び込む政策を強化しています。この制度では、ビザの迅速な取得、研究資金の一括支給、現地での生活支援などがセットで提供されており、非常に高い評価を受けています。
さらに、カナダでは「Canada Leads」プログラムがスタートし、医療や環境科学、デジタル技術分野を中心に、北米の研究者を対象とした大規模な受け入れが進められています。研究機関だけでなく、政府が直接介入する形で資金援助や施設整備が行われており、国家的な取り組みとして位置づけられています。
こうした中、中国も独自の「帰国支援政策(千人計画、Qiming計画など)」を継続しています。これは、海外にいる中国出身の研究者に対して帰国を促す制度で、AIや生命科学、半導体などの分野でとくに成果を上げています。中国国内での大学ランキングや研究施設の整備も進んでおり、国際的な存在感を増しつつあります。
このように、世界では今、アメリカの研究力低下をきっかけに「頭脳獲得競争」が本格化しています。各国が資金面・制度面での支援を競い合い、研究者にとってどの国がもっとも魅力的かという「受け皿の質」が、今後の科学技術の未来を左右する重要な要素となっています。
アメリカの「知」は今どこへ向かっているのか
いま、アメリカの研究現場では、資金・制度・自由という3つの基盤が大きく揺れ動いています。ビザ政策の変更や予算削減が続けば、「世界の科学大国」としての地位が徐々に失われる可能性も出てきます。一方で、世界各国はこの変化をチャンスとし、自国の研究力強化に取り組んでいます。
日本も今がその分岐点に立っているともいえます。東北大学の例に見るように、積極的な研究者誘致と環境整備が実を結ぶかどうか。番組放送後には、より詳しい取材結果や各国の具体的な動きが紹介される見込みです。
【このブログ記事は、2025年7月16日放送予定の内容をもとに作成しています。放送後に追加情報を追記予定です。】
情報ソース一覧(記事内参照あり)
ご希望があれば放送後の内容追記も承ります。お気軽にご連絡ください。
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