はじめに
山里亮太が2025年1月7日放送の『ファミリーヒストリー』に出演しました。彼の家族の歴史や成功までの道のりが語られ、特に父母や祖母の生き方が、彼の笑いにどのような影響を与えたのかが深く掘り下げられました。この記事では、番組の内容をさらに詳しく紹介し、山里亮太がどのようにして夢を叶えたのか、その背景を丁寧に解説します。
山里亮太やまさとりょうた
1977年生まれ、千葉県出身。 大学在学中に吉本総合芸能学院に入学。 卒業後、漫才コンビ、ピン芸人などの活動を経て山崎静代と「南海キャンディーズ」を結成、人気を博す。 お笑いタレントのほか、声優、ナレーター、ラジオパーソナリティーなど、多方面で活躍。
山里亮太の生い立ち:千葉県で育まれた夢と家族の絆
千葉県で生まれ育った山里亮太は、両親と兄の4人家族で育ちました。幼少期から明るく活発な性格でしたが、将来お笑い芸人になるという夢は父・清美さんにとって驚きのものでした。父は「堅実な仕事に就いて安定した生活を送ってほしい」と強く願っていたため、芸人への道を目指すことに猛反対します。
一方で母・文代さんと兄・大樹さんは、山里の夢を尊重し支え続けました。特に兄・大樹さんは、お笑いの道を応援し、大阪での芸人養成所の受験費用として30万円をアルバイトで貯め、彼に託したのです。
その際に交わされた「30歳までに芽が出なければ諦める」という家族の約束が、山里亮太の芸人人生の重要な指針となりました。この約束は、彼にとって大きな励みとなり、努力を続ける原動力になったのです。
父方のルーツ:鹿児島県日吉町吉利の歴史と家族の堅実さ
山里家のルーツは、鹿児島県西部の日吉町吉利にあり、代々同じ土地で暮らしてきました。父・清美さんの父である正弘さんは、地元の郵便局でコツコツと働く真面目な人物でした。曾祖父の正太郎さんは、知人の借金の保証人となったことで財産を失いましたが、温泉宿で働きながら借金を返済する堅実さを示しました。
山里家の先祖は、江戸時代の古地図「吉利郷惣絵図」にも記されており、鎌倉時代からこの土地に根付いていたことがわかります。また、敷地内には集落の氏神様を祀る2つの石が大切に保管されており、家族の信仰心の深さが伺えます。
このように、代々「誠実に働くこと」を大切にしてきた山里家の精神は、清美さんへと受け継がれ、息子である山里亮太の人生にも影響を与えました。
母方のルーツ:熊本県八代市坂本町と「すぎ食堂」の物語
母・文代さんの旧姓は山崎で、ルーツは熊本県八代市坂本町にあります。曾祖父・續男さんは、球磨川沿いの山間部で育ちました。山崎家は明治時代から昭和30年頃まで渡し船の船頭をしており、川を生業とする家庭でした。
續男さんは貧しい生活から抜け出すため、幼少期から勉学に励み、熊本市内の薬問屋に就職。誠実な働きぶりが評価され、29歳で取締役に昇進しました。その後、会社の鹿児島支店長に抜擢され、家族と共に鹿児島に移住。
この地で妻のケイ子さんが「すぎ食堂」を開業しました。ケイ子さんは、人を笑わせることが大好きな明るい性格で、店は次第に繁盛。労働者や地元の人々で賑わいました。
夫・續男さんが脳溢血で48歳の若さで亡くなった後も、ケイ子さんは4人の子供を育てながら食堂を切り盛り。子供たちには「好きなことをやって楽しみなさい」と伝え続け、その精神は山里亮太の「お笑いの道」にも強く影響を与えました。
両親の運命の出会いと結婚
文代さんと清美さんの出会いは、偶然の縁でした。鹿児島・日吉町吉利での紹介で、清美さんの両親とまず対面。清美さんは当時東京で働いていたため、本人には会わないまま結婚の話が進みます。両親の勧めを信じて、文代さんは「本人に会わなくても良い」と結婚を決意しました。
初めて清美さんと対面したのは、結納が済んだ後でした。この大胆な結婚の決断がなければ、山里亮太は生まれていなかったのです。
父・清美さんの海外赴任と家族への思い
昭和49年、清美さんと文代さんの間に長男・大樹さんが誕生。しかし、翌年に清美さんはリビア・トリポリへの単身赴任を命じられました。港の建設という大規模プロジェクトに関わり、海底の掘削や護岸整備などの重要任務を成功させます。
帰国後、家族と過ごす時間を優先するため、海外出張のない営業部へ異動しました。その後、昭和52年に次男・山里亮太が誕生。
芸人への道と南海キャンディーズの結成
山里亮太は大阪の大学に進学し、吉本興業の養成所に入学。芸人としての道を歩み始めますが、結果が出ずに苦しい下積み生活を過ごします。壁のシミを見て瞬時に面白い話を考える訓練など、日常生活から笑いを生み出す努力を重ねました。
そんな中、運命の出会いが訪れます。しずちゃん(山崎静代)との出会いです。山里亮太の声かけでコンビ「南海キャンディーズ」を結成し、2004年のM-1グランプリで準優勝。この結果が、30歳までという家族の約束を果たすきっかけとなりました。
まとめ
『ファミリーヒストリー』で紹介された山里亮太の家族の物語は、鹿児島と熊本に根付く堅実で誠実な生き方、そして家族の深い愛情と支えが描かれていました。祖母・ケイ子さんの明るい性格、父・清美さんの堅実さ、母・文代さんの温かいサポート。これらが彼の成功に大きく影響しています。
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