未完のバトン 第2回「秩序なき世界 日本外交への“遺言”」
2025年5月4日に放送されたNHKスペシャル「未完のバトン」第2回は、激動する国際社会における日本の進むべき道を見つめた非常に意義深い内容でした。中心となったのは、2023年に亡くなった政治学者・五百旗頭真(いおきべまこと)さんの遺した記録と、その言葉の数々です。政権の中枢と長年対話を重ねてきた彼の知見は、まさに今の日本に向けた“遺言”とも言えるものでした。
混迷する国際秩序と日本の役割
番組の冒頭では、五百旗頭真さんが亡くなるわずか2週間前に語った最後のメッセージが紹介されました。「アメリカと中国は、もはや秩序を前向きに作る力を失っている。だからこそ、日本とヨーロッパが理性を保ち、国際秩序を支えなければならない」という言葉は、世界の現状に警鐘を鳴らすものでした。
この発言の背景には、五百旗頭さんが直前まで行動し続けていたという事実があります。2023年10月、彼は福田康夫元総理とともに中国・北京を訪れ、日中平和友好条約45周年記念行事に出席しました。式典参加の目的は表向きには祝賀でしたが、実際にはもう一つの目的がありました。それが、中国政権中枢との直接対話です。
・北京訪問の背後には、近年の不透明で緊張感のある日中関係への強い危機感があった
・中国と真剣に向き合うため、最後まで対話の道を閉ざさなかった外交姿勢が貫かれていた
・日中関係に対して、「お互いが正気を保つことが国際秩序の安定に直結する」との信念を持っていた
五百旗頭さんは生涯にわたって、日本が大国に翻弄されるのではなく、自主的かつ信念に基づく外交を行うべきだと訴えてきました。そうした考えは、2000年の小渕恵三総理による大きな取り組みにも結実しています。この年、日本の21世紀の外交方針を考える特別委員会が設置され、五百旗頭さんは外交安全保障分野の座長に就任しました。
当時、冷戦終結から約10年、国際秩序は新たな段階に移り変わりつつありました。その中で、「日米同盟の重要性を再確認しつつ、アジア諸国との積極的な関係づくりを進める」という方針が明文化されます。これが、のちに彼が提唱した「隣交」という新しい外交姿勢へと発展していきました。
・「隣交」は、隣国との関係を外交官だけでなく民間交流も含めて多層的に構築するという考え方
・一方通行ではなく、双方向の信頼を積み重ねていくことを重視
・経済・教育・文化の交流を通じて、対立の芽を事前に減らす土壌を育てるという戦略的な発想
また、この「隣交」の理念は、ただの理想論ではなく、五百旗頭さん自身が政治の現場で提案し、政権の実務に影響を与えるほど深く関与していたことが番組からも明らかになりました。日米関係を基軸にしつつも、アジア全体との信頼関係を自ら築いていくという姿勢は、現代にも通じる普遍的な価値観です。
彼の外交思想は、戦争を繰り返さないために何が必要か、どうすれば日本が孤立せずに尊敬される国であり続けられるかという問いと常に向き合っていました。そして、その答えの一つとして「隣交」という概念を形にしたのです。
五百旗頭さんが描いていたのは、対立ではなく信頼と理性によって築かれる秩序でした。混迷を深める今の国際社会だからこそ、その理念はますます重要性を増していると言えます。
政権トップとの対話に込めた思い
五百旗頭真さんが日本の政権中枢との本格的な対話を開始したのは、小渕恵三総理の政権時代でした。当時の日本外交は、アジアとの信頼関係をどう築くかが大きな課題となっており、五百旗頭さんもその中で積極的に役割を果たしていきました。特に注目されたのは、韓国との関係を起点として、中国との外交へとつなげる多段階的な戦略でした。
1990年代末、小渕総理が韓国訪問を予定していた際には、五百旗頭さんがソウル・高麗大学で行われる講演原稿に具体的な助言を与えていたことが記録として残っています。
そのアドバイスには次のような内容が含まれていました。
・誠実さと真摯さを伝える語り口を意識すること
・反発を恐れず、具体的な事実を示して説得的に語る姿勢を持つこと
・温かみのある笑顔や、ユーモアを交えた語りを盛り込むこと
これらの助言に従い、小渕総理は講演の場で、日韓の未来志向の関係を訴え、経済・文化の分野でも深く協力し合う「二重三重の関係」を築いていきたいと語りかけました。さらに、韓国に対して距離を感じる人々にも「ぜひ日本に来てほしい」と呼びかけ、開かれた姿勢を示しました。この演説は、韓国国内でも一定の評価を受け、対立を乗り越える対話のきっかけとなりました。
一方で、アジア外交において避けて通れないのが歴史認識の問題です。特に、小泉純一郎総理による靖国神社参拝は、中国・韓国など近隣諸国との緊張を引き起こしました。この際、当時官房長官だった福田康夫氏は、有識者を集めて小泉政権の戦略について意見を求め、その中に五百旗頭さんも参加していました。
五百旗頭さんは、靖国神社への参拝そのものよりも、その影響と周囲の反応をどう捉えるかに重きを置いていました。具体的には、「関係改善のために努力してきた金大中大統領に対し、信義を尽くすべきだ」と述べ、誠実な外交姿勢を崩さない重要性を訴えました。
また、「大国には、他国の努力や善意を正当に評価するだけの雅量(がりょう)が求められる」という主張も示されました。これは、日本が単に歴史を受け身でとらえるのではなく、積極的に相手国の立場に配慮することで、より成熟した関係を築けるという考え方に基づいています。
このように、五百旗頭さんの助言は、一方的な主張ではなく、相手の視点に立った外交を貫くことに重点が置かれていました。政権トップが発信する言葉一つひとつが国際関係に与える影響を理解し、それをどう活かすかを常に考えていた姿勢が、番組を通じて強く伝わってきました。
小渕総理や小泉総理といった歴代首相たちとの対話を通じて、五百旗頭さんが示したのは、「発言には責任がある」「相手を理解することが国益につながる」という信念でした。それは今なお、日本が国際社会の中でどう信頼を築くかを考える上で、大きな示唆を与えてくれます。
国際社会におけるリアリズムと信念
五百旗頭真さんの外交哲学には一貫して「リアリズム」=現実を直視した外交の必要性が根底にありました。理想を掲げるだけでなく、現実に即した判断と行動がなければ、国際社会の中で責任ある国家としての立場は築けないという信念です。
その姿勢が特に表れたのが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件後の「対テロ戦争」においてでした。このとき日本は、自衛隊によるアメリカなどの艦隊への給油支援活動を行うという決断を下しました。しかし、国内では「平和主義に反するのではないか」という疑問や批判の声も少なくありませんでした。
こうした中でも五百旗頭さんは、はっきりと「国際秩序を維持するために、日本も役割を果たすべきだ」と主張し続けました。日本は戦後、「平和国家」として国際的な評価を得てきましたが、それは受け身の立場だけで成り立つものではありません。必要なときには責任を引き受け、貢献する意思を示すことが、信頼される国家の姿だと考えていたのです。
・五百旗頭さんは「平和=何もしない」ではないと捉えていた
・同盟国との協力だけでなく、国際社会全体に対する義務を重視
・自衛隊派遣の賛否が分かれる中でも、国家としての主体性と覚悟の重要性を訴えた
この姿勢は、外交において一貫して貫かれてきたものでした。「時代の転換点こそ、国家としての明確なビジョンが必要だ」というメッセージは、変動が激しい現代においてもなお有効です。現実を見据えながらも、目先の利害にとらわれず、将来に責任を持つビジョンを打ち立てること。五百旗頭さんはその重要性を政権の中枢に向けて何度も訴えてきました。
また、彼の「リアリズム」は決して冷徹なものではありませんでした。むしろ、現実を冷静に受け止めながらも、そこから未来に希望をつなげるための考え方でした。現実に背を向けて理想だけを語るのではなく、現実と理想のはざまで最もよい選択を見つけようとする、バランスの取れた知性と誠実さがにじんでいました。
現在の日本を取り巻く環境はさらに複雑化し、国際社会のルールや価値観も多様化しています。だからこそ、五百旗頭さんが示したような「現実に即しながら、信念を持ち続ける」外交姿勢が、これからの日本にとって大きな指針となるのではないでしょうか。
日中の戦略的互恵関係と民間交流
五百旗頭真さんは、日本と中国の関係改善と未来のために、政治レベルと民間レベルの両面から対話を重ねることの大切さを強く意識していました。とくに注目されるのが、2003年に発足した新日中友好21世紀委員会での取り組みです。
この委員会は、日中両政府の委託を受け、民間の有識者たちが自由に議論し、その成果を両政府に提言するという役割を担っていました。参加していた五百旗頭さんは、対立を避けずに正面から向き合う姿勢を大切にしていました。特に歴史認識の違いという、日中関係にとって長年の課題に対しては、こう語っていました。
「不幸な歴史だけでなく、戦後の平和国家として歩んできた日本の姿も見てほしい」
これは、過去を直視する勇気と、未来へつなげる視野の両方を持つべきだという考え方です。
・中国側が歴史問題に強い批判を示した場面でも、逃げずに本音で議論を続けた
・「聞きたくない話」も含めて共有することで、真の信頼関係を築こうとした
・対話を重ねたことで、戦略的互恵関係という新しい枠組みへと道が開かれた
この成果は、2006年に行われた日中首脳会談で正式に表現されました。
両国は「共通の利益を広げ、対立を管理しながら協力の幅を広げていく」という合意に達し、これが戦略的互恵関係と呼ばれるようになります。
さらに、2008年には東シナ海の資源問題をめぐって、緊張が高まっていた日中間で重要な進展がありました。当時、中国が海底資源開発を一方的に進める動きに対し、日本側が懸念を強めていたのです。
そんな中、五百旗頭さんは「東シナ海を平和・協力・友好の海にしよう」と委員会で提案しました。当初、このアイデアに対して中国側の委員たちから賛同は得られませんでした。しかし、粘り強い対話を重ね、ついに福田康夫元総理が国家主席・胡錦濤氏に直接提案することで、日中首脳の間でこの方針が合意されました。
・民間の対話が政治の場につながり、政策転換のきっかけを作った
・外交は「会談」だけでなく、日々の小さな積み重ねから生まれるという実例
・日本外交の「見えない資産」は、こうした信頼の構築にあることを証明した
五百旗頭さんの働きかけは、単なる政策提案にとどまらず、国際的な緊張を和らげる「対話の文化」を育てる力となっていました。目先の成果よりも長期的な関係構築を重視する姿勢は、日中関係にとってかけがえのない土台を築いたといえます。
現在も世界情勢が不安定な中、五百旗頭さんが残したこうした外交の知恵と努力は、未来の平和をつくるための大切なヒントになるはずです。
まとめ
今回の放送では、五百旗頭真さんが残した“外交の遺言”を通じて、混迷する世界に立ち向かうための日本の姿勢が描かれました。アメリカ・中国・ロシアといった大国が力で動く中で、日本がどのような理性と信念を持って世界に向き合っていくかが問われています。
五百旗頭さんの言葉は今もなお私たちに問いかけています。「国際秩序を保つために、日本が何をすべきか」「誰と、どう対話すべきか」。その答えは、日々変化する世界の中で一人ひとりが考え続けるべき課題なのかもしれません。
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