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NHK【新プロジェクトX】滋賀・看護助手冤罪事件の全貌と無罪を勝ち取るまでの15年|2025年7月5日放送

新プロジェクトX

無罪へ 声なき声を聞け 滋賀・看護助手 知られざる15年|2025年7月5日放送

2025年7月5日にNHK総合で放送された「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜」では、滋賀県で起きた看護助手の冤罪事件と、その15年にわたる知られざる戦いが特集されました。罪を着せられた女性と、彼女を支え続けた家族、弁護団、新聞記者の努力が描かれています。

看護助手が突然、殺人犯にされた

2003年、滋賀県彦根市にある湖東記念病院で、終末期を迎えた患者が亡くなりました。患者は病院で治療を受けていましたが、ある日突然、命を落としてしまったのです。当初、病院内では人工呼吸器が外れていた可能性があるという情報が広がりました。

本来、人工呼吸器が外れるとアラームが鳴る仕組みになっています。しかし、その時アラーム音を聞いた人は誰もいませんでした。この状況に警察が不審を抱き、病院への捜査が始まりました。警察は関係者への聞き取りや現場検証を進める中で、看護助手だった西山美香さんに注目しました。

その後、美香さんは「殺人を自白した」とされ、逮捕されました。ですが、美香さんは当初から一貫して無実を訴えていました。裁判の中でも、美香さんは自分が犯人ではないと否定し続けたのです。しかし、警察の捜査や取り調べ、そして裁判の結果、美香さんには懲役12年の有罪判決が下されました。

この事件にはいくつかの不可解な点がありました。

・人工呼吸器が外れたとされるのに、アラーム音は誰も聞いていない
・自白の内容が、取り調べの中で変わっていった
・美香さんには、他人の言葉をそのまま信じやすい傾向があった

これらの事実にも関わらず、裁判は進み、懲役12年という重い判決が決まってしまったのです。美香さんの家族や知人たちは驚きと悲しみに包まれ、本人は刑務所での生活を強いられることになりました。この事件は、当時から地元でも大きな話題となり、後に多くの人が冤罪の可能性について関心を持つきっかけになりました。

弁護士と新聞記者が立ち上がる

2012年、滋賀県で起きたこの事件に大きな動きがありました。弁護士になったばかりの井戸謙一さんのもとに、西山美香さんの両親が訪ねてきたのです。井戸さんは当時57歳。まだ開業してからわずか3か月の新米弁護士でしたが、美香さんの家族にとっては最後の頼みの綱でした。

両親はそれまで、100人以上の弁護士に相談を断られてきたといいます。理由は、すでに有罪が確定している事件で再審を求めることはとても難しく、ほとんどの弁護士が関わりたがらなかったからです。しかし、井戸さんは違いました。裁判資料を丹念に読み込んだ井戸さんは、供述調書の不自然さにすぐに気づきました。

供述調書は30通以上にもおよび、その内容は時期によって大きく変わっていました。本来、事件の証言が何度も変わることは不自然です。これを読んだ井戸さんは、強い疑問を抱き、美香さんの冤罪の可能性を本格的に調べ始めたのです。

一方、報道の現場でも事件は注目され続けていました。中日新聞の角雄記記者は、この事件を長年追い続けていました。美香さんは、刑務所から両親に約350通もの手紙を送り、無実を訴え続けていたのです。手紙には、家族への感謝や苦労をかけたことへの謝罪、そして自分がやっていないという強い訴えが何度も綴られていました。

しかし、事件の再審は簡単には認められませんでした。井戸さんが再審を申し立てたものの、2015年には第二次再審請求が棄却されてしまいました。この結果に、美香さんの家族や支援者たちは大きな失望を感じましたが、それでも真実を求めて戦い続ける決意を新たにしたのです。

無実を信じて戦い続けた人たち

スタジオには、弁護士の井戸謙一さんと中日新聞の角雄記記者が登場しました。二人はこの事件の裏側を語り、裁判の中でどれだけ不当な判断が続いたのかを伝えました。角記者は、当時の記事に「えん罪ではないか」とはっきり書くことはできませんでした。しかし、心の中では強い疑問を感じながら、真実を追い続けていたのです。

中日新聞では、美香さんの事件をさらに深く掘り下げるために特別取材班が作られました。取材を進めるうちに、これまで裁判ではほとんど取り上げられてこなかった美香さんの生い立ちや障害が明らかになっていきました。

美香さんは、幼いころから人間関係が苦手で、学校でも友達を作ることができず、勉強もあまり得意ではなかったといいます。人の言葉をそのまま信じやすく、相手の悪意を見抜く力が弱いという特徴がありました。そのため、取り調べの中で警察官に気に入られたいと考え、供述を合わせてしまった可能性が高いとされています。

さらに、警察の厳しい取り調べは周囲にも影響を及ぼしました。美香さんの同僚も取り調べを受けた際、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症してしまい、その後の生活に大きな影響を受けたといいます。

このような背景の中で、美香さんを信じて支え続けた人たちもいました。かつての元教師たちは、美香さんの無実を信じ、署名活動を行いました。地域の人々にも協力を呼びかけ、世論に働きかけることで、事件の再審につながる道を探し続けたのです。美香さんの声なき声を社会に届けようとする、たくさんの人たちの努力が少しずつ状況を変えていきました。

再審と無罪判決

長年、真実を追い続けてきた中日新聞の角雄記記者は、ついに署名入りで事件の連載記事を始めました。1本目の記事では、この事件にえん罪の可能性があることを読者に問いかけました。続く2本目では、美香さんの自白の不自然さについて具体的に指摘しました。そして3本目では、美香さんが抱える障害の問題が、これまでの裁判でまったく考慮されてこなかったことを明らかにしたのです。

この連載が大きな反響を呼びました。弁護士の井戸謙一さんは、新聞記事を重要な新証拠として裁判所に提出しました。裁判所はこの証拠をもとに再審の開始を決定し、再び事件の内容が裁判で検証されることになったのです。

再審の結果、裁判所は患者の死因に事件性を示す証拠が一切なかったと認めました。また、取り調べの過程も不当だったと判断され、美香さんの自白は警察に誘導されたもので信用できないとされました。この判断により、ついに無罪判決が言い渡されたのです。

判決後、裁判長は「西山さんが逮捕され今日に至るまでの15年という長い年月を無駄にせず、これを刑事司法の改善につなげなければならない」と、法廷で語りました。新聞各紙の紙面には「無罪」の文字が大きく掲載され、日本中にこの判決が広まりました。美香さんの15年にわたる苦しみと、信じて支え続けた人たちの努力が、ようやく形になった瞬間でした。

それぞれの思いと15年の重み

番組の最後には、事件に深く関わってきた井戸謙一さん角雄記記者秦融記者の3人がスタジオに登場しました。それぞれが、15年という長い時間の重みと、この事件への思いを語りました。

弁護士の井戸さんは、再審の裁判で裁判長が語った言葉に深く心を動かされたといいます。「15年という歳月を無駄にせず、刑事司法を改善していくための原動力にしなければならない」という裁判長の言葉は、井戸さんの胸に強く残りました。この裁判が、司法の在り方を考え直すきっかけになったことを実感したのです。

中日新聞の角記者は、これまでの長い取材を振り返りました。美香さんの手紙や家族の思い、署名活動、再審請求…ひとつひとつの出来事を思い出しながら、「新聞記者になって良かった」と語りました。角記者は、取材を通じて、声なき声を社会に届けることの大切さを強く感じたといいます。

秦記者は「すべては一人の声から始まった」と話しました。美香さんの無実を訴える声、家族の支え、記者たちの疑問、支援者たちの行動…その一つひとつがつながり、真実を明らかにする道が開かれたのです。

まとめ

今回の番組では、えん罪がどのようにして生まれ、そしてそれを正そうとする人々の粘り強い努力がどれほど大切かが描かれました。同時に、声をあげることの難しさと、その一歩を踏み出す勇気の重要性も伝えられました。誰かの小さな声が、大きな社会の動きを生むことを改めて教えてくれる放送でした。

【関連情報】
https://www.nhk.jp/p/projectx/ts/4R13N5LXP1/episode/te/Z79VQQZ5X7/
https://www.asahi.com/articles/ASS9C3J2TS9COXIE00DM.html
https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2024/05/100508.shtml
https://ja.wikipedia.org/wiki/湖東記念病院事件

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