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NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】シークレットサービスの知られざる使命と犠牲|ケネディ暗殺とレーガン救出の舞台裏|2025年4月7日放送

ドキュメント

大統領の盾となる者たち|2025年4月7日放送

アメリカの大統領は「世界で最も危険な職業」とも呼ばれます。歴代45人のうち、実に20人が命を狙われるという現実の中、その命を守ってきたのが「シークレットサービス」という存在です。24時間体制で大統領を守る彼らは、失敗したときだけ世間から注目され、成功してもほとんど評価されない厳しい任務を背負っています。今回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、そんな彼らの勇気と苦悩、そして報われぬ戦いの歴史が丁寧に描かれました。
放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。

暗殺未遂は20件以上 常に命の危機にさらされる大統領

アメリカ大統領は、世界中の注目を集める存在であり、絶大な権力を持っています。しかしその一方で、国民全員から支持されるわけではなく、強い反発や憎しみの対象となることも少なくありません。そのため、大統領は就任と同時に「命を狙われる」立場に置かれます。

実際に、アメリカの歴代大統領45人のうち20人が暗殺未遂を経験しています。これは偶然ではなく、権力の中枢に立つ者が抱える避けられない運命の一部とも言えるでしょう。

暗殺未遂の例をいくつか挙げると以下のようになります。

  • 1861年:エイブラハム・リンカーン大統領は、南北戦争中に何度も命を狙われ、最終的には劇場で暗殺されました。

  • 1901年:ウィリアム・マッキンリー大統領は、バッファローで一般市民との面会中に至近距離から撃たれ、死亡しました。

  • 1933年:フランクリン・ルーズベルト大統領(当選直後)が暗殺未遂に遭遇。シカゴで演説中に発砲されましたが、命は助かりました。

  • 1981年:ロナルド・レーガン大統領がホテル前で銃撃され、銃弾が肺を貫通しましたが、一命をとりとめました。

こうした事例は氷山の一角です。表に出ない未遂事件や計画も数多く存在し、大統領が365日24時間、常に命の危機にさらされていることは明白です

このような過酷な状況の中で、1901年、当時のマッキンリー大統領暗殺を受けて、アメリカ合衆国シークレットサービスは正式に大統領の警護を任されるようになりました。それ以前は財務省の下で偽札対策を主に担当していた組織でしたが、以降は「命の盾」としての役割に特化し始めたのです

警護対象は大統領だけでなく、副大統領、その家族、大統領経験者にも広がり、任務は多岐にわたります。

  • 大統領が移動する際の警護計画は数か月前から練られ、現地の警察や軍と連携して警備が展開されます。

  • 街頭演説や遊説先では、一般市民に紛れて接近しようとする危険人物への対応も日常茶飯事です。

  • SNSやネット掲示板での暗殺予告や過激な投稿も監視対象とされ、水面下で多くの危機が防がれています。

これらの仕事の多くは人々の目に触れることがなく、未然に防いだ場合は「何も起きなかった」として評価されることもないのが現実です。成功して当たり前、失敗すれば非難が集中する。それでもシークレットサービスは、大統領の安全を最優先に日々の任務を遂行し続けています。

大統領を守るということは、単に一人の人間を守ることではなく、国家の安定と未来を守ることでもあるのです。そのために、どれほどの準備と覚悟が必要か。シークレットサービスの存在なくして、アメリカの大統領職は成立しないと言っても過言ではありません。

ケネディ暗殺 守れなかった男の後悔

1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領は、テキサス州ダラスのパレード中に暗殺されました。オープンカーに乗っていた大統領の背後から3発の銃弾が放たれ、致命傷を負いました。この日、アメリカ史に深い傷を残す出来事が起こったのです。

事件は世界中に衝撃を与えただけでなく、大統領の命を守るはずのシークレットサービスの警護体制にも深刻な疑問が向けられました。なぜ守れなかったのか。なぜ銃弾を止められなかったのか。現場にいたエージェントたちにとって、それは今も消えることのない問いです。

事件が起きる前日の夜、一部の警護担当者が飲酒していたという事実が後に報道で明らかになり、大きな波紋を呼びました。任務前の飲酒は規則で禁じられており、規律の緩みが事件当日の対応に影響を与えた可能性が指摘されました

暗殺が起きたのは、ダラス中心部のディーリー・プラザ。背後の教科書倉庫ビルから放たれたライフル弾が、大統領の頭部を直撃しました。最初の一発で喉に傷を負い、最後の一発で致命傷を受けたケネディ大統領は、搬送先の病院で死亡が確認されました。

すぐ近くには、シークレットサービスのエージェント、クリント・ヒル氏が同乗しており、発砲音とともに車の後部に飛び乗りました。彼はファーストレディのジャクリーン・ケネディを庇いながら、背後からのさらなる攻撃を防ごうとしました。しかし、それはすでに遅く、大統領はその場でほぼ即死状態だったと言われています

事件後、ヒル氏をはじめとするエージェントたちは深い悲しみに沈みました。「自分がもっと早く動いていれば」「あのときオープンカーを使っていなければ」――彼らは何十年経ってもその責任から逃れることができませんでした

  • 一部の報道では、ケネディ自身が「国民との距離を近く保ちたい」としてオープンカーを選んだとも言われています。

  • しかし、警護の観点から見れば、屋根のない車は明らかにリスクが高く、エージェントたちは内心では不安を抱えていたとされています

  • 実際、シークレットサービスの一部メンバーは事前に警備体制の強化を求めていたという記録も残っています。

この暗殺事件は、シークレットサービスにとって「二度と繰り返してはならない失敗」として語り継がれています。その後、警護体制は大きく見直され、大統領の乗る車両の設計や移動時の警備方法も徹底的に再検討されました

しかし、現場で命を守れなかったという重さは、エージェントたちの心から消えることはありません。クリント・ヒル氏は後年のインタビューでこう語っています。「私はあの日、職務を果たせなかった。それは一生背負っていくものだ」

このように、ケネディ暗殺事件は一人の大統領の死だけでなく、その背後にいた名もなき守り人たちの後悔と苦しみを深く刻んだ事件だったのです

銃弾の盾になった男 レーガン大統領を救った勇気

1981年3月30日、ワシントンD.C.のヒルトンホテル前。ロナルド・レーガン大統領が演説を終えて建物から出たその瞬間、銃声が響き渡り、騒然とした空気に包まれました。犯人ジョン・ヒンクリー・ジュニアは、レーガン大統領を狙ってわずか数秒のうちに6発の銃弾を発射しました。

その中の1発は、大統領の胸部に当たり、肋骨をかすめて肺を貫通するという重傷を負わせました。しかしこの時、決して混乱せず、瞬時に大統領の身を守り、現場から迅速に脱出させたのが、シークレットサービスのジェリー・パー氏でした。

発砲の直後、パー氏はレーガン大統領をリムジンの後部座席に押し込み、すぐにホワイトハウスへ戻るよう運転手に指示しました。ところが車内での会話や大統領の顔色から、ただ事ではないと判断。進路を変更し、最寄りのジョージ・ワシントン大学病院へ直行するという判断を下します

この決断が、大統領の命を救いました。

  • 銃弾は肺に達しており、出血が激しく、そのままホワイトハウスに向かっていれば手遅れだった可能性が高いと医師は語っています。

  • 大統領は病院に到着後、すぐに手術を受け、一命をとりとめました。

  • パー氏の判断と対応の早さが「生死を分けた」と公式に評価されています

この事件では、他にも3人が銃弾を受けています。シークレットサービスのティモシー・マッカーシー氏は、体を広げて銃弾を受け、レーガン大統領の盾となりました。また、大統領補佐官のジェームズ・ブレイディ氏も頭部に重傷を負い、事件後、銃規制運動の象徴的存在となります。

ジェリー・パー氏はその後の回顧録で、「迷っている暇はなかった。ただ、大統領を守らなければという思いだけだった」と記しています。彼にとっては職務の一環だったかもしれませんが、その行動はまさに命を懸けた勇気そのものでした

このレーガン暗殺未遂事件は、シークレットサービスの職務と覚悟がどれほどのものかを世界に示した象徴的な出来事となりました。銃弾が飛び交う混乱の中で一瞬の判断が命を救い、国家の危機を防いだのです。

この事件以降、警護体制や行動マニュアルの見直しが徹底され、より強固なセキュリティが敷かれるようになりました。しかし、どれだけ体制が強化されようと、最後に大統領を守るのは「人」の力です。ジェリー・パー氏の行動は、人間の判断力と勇気がいかに大きな役割を果たすかを改めて示しました

大統領という一人の命が国家の運命を左右することもある。だからこそ、その命を守る者たちの一瞬の判断と覚悟は、歴史を変える力を持っているのです

名もなき人々の闘い 光が当たることのない日々

シークレットサービスは、大統領の命を守るためならば、自分の命も惜しまないという覚悟を持つ集団です。しかし、彼らの仕事は成功して当たり前とされ、失敗すれば激しく非難されるという過酷な世界です。どれだけ多くの命を守っても、表舞台で称賛されることはほとんどありません。

この番組では、そんな無名のヒーローたちの証言や、貴重な映像資料を通じて、彼らの人間らしい葛藤や誇り、そして静かな戦いが描かれていました。日々の訓練、瞬時の判断、精神的プレッシャー…。すべては「盾」となるための準備であり、決してドラマではなく現実なのです。

今も続く、命の盾としての使命

現代においても、アメリカ大統領は常にテロや暴力の標的となるリスクを背負っています。その最前線で戦うシークレットサービスの存在は、今後も変わらず重要な意味を持ち続けるでしょう。その使命は、「一発の銃弾が歴史を変えることを防ぐ」ことにあります

今回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、シークレットサービスという「陰の主役たち」の覚悟と、その胸の内に秘められた誇りが、丁寧に描かれていました。ただの組織ではなく、「人」の物語として見ることで、より深くその意味が伝わってきました


※この記事は、2025年4月7日放送のNHK『映像の世紀バタフライエフェクト』「シークレットサービス 大統領の盾となる者たち」の内容をもとに作成しています。

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