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【ファミリーヒストリー】400年の歴史を持つ小島家の壮大な物語!愛知・北海道・沖縄に広がる家族の絆と挑戦の歴史|2025年2月19日放送

人物

小島よしお ひたむきに天職を追い求めて|2025年2月19日放送

2025年2月19日放送の「ファミリーヒストリー」では、お笑い芸人・小島よしおさんの家族の歴史が詳しく紹介されました。「そんなの関係ねぇ!」のギャグで一世を風靡し、一発屋と呼ばれながらも子どもたちに愛される芸人として再ブレイクした小島さん。その背景には、彼の先祖たちが歩んできた歴史や、挑戦を恐れない精神がありました。

番組では、小島さんの父方のルーツである愛知県犬山市と、母方のルーツである沖縄県久米島を中心に、彼の家族がどのように生き抜いてきたのかが語られました。本記事では、その内容を詳しくまとめています。

父方のルーツ 400年続いた神職の家系

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小島よしおさんの父・孝之さんは北海道出身ですが、家系をたどると愛知県犬山市にルーツがあることがわかりました。小島家は、代々神社の神職を務める家系でした。しかし、歴史の流れとともにその役割を失い、新たな道を模索することになります。

  • 小島家は入鹿村(現在の犬山市)の神社で神職を務めていた
  • 1630年頃、入鹿池の建設によって村ごと水没し、立ち退きを命じられる
  • 約3キロ離れた場所に移り、再び神社を建立し、神職を続ける
  • 明治時代、新政府による神職の世襲禁止で職を失い、生活が困難に

こうした歴史の中で、小島家の一部は犬山を離れ、新たな地へ移住することを決意しました。そして、小島家のある一族は北海道へと渡ることになります。

新天地・北海道での生活 苦労と挑戦の歴史

北海道へ渡った小島家の一族は、札幌駅にほど近い国道沿いで新たな生活をスタートさせました。当時、北海道庁は全国に向けて移住者募集の冊子を配布し、多くの人々が新たなチャンスを求めて北海道に移住していました。

  • 明治時代の北海道は、全国からの移住者が急増し、新たな産業が生まれつつあった
  • 傅(でん)さんの孫・丈太郎さんは、印刷業を始め、役場関係の印刷を請け負うようになる
  • 明治37年(1904年)に結婚し、7人の子どもを育てる

こうして、小島家は北海道での新生活を確立していきました。そして、その長男である文夫さんが、さらに新たな挑戦をしていくことになります。

勤勉さと挑戦の精神 祖父・文夫の生き方

文夫さんは、昭和3年(1928年)に小樽高等商業学校に合格し、卒業後は全国に70以上の支店を持つ不動貯金銀行に就職しました。この銀行では、「ニコニコ主義」という考えが掲げられ、常に笑顔でいることが仕事の成功につながるとされていました。

  • 昭和11年(1936年)、26歳で結婚し、1男1女を授かる
  • しかし、知人の借金の保証人となり、莫大な借金を抱えてしまう
  • 銀行に居づらくなり退職、新たな事業に挑戦する
  • アンゴラウサギの飼育を始めるが失敗、次にパチンコ店を経営するも軌道に乗らず

その後、昭和27年(1952年)、公共工事の前払金を保証する信用保証会社の設立に関わることになり、資金集めや組織づくりに奔走しました。

  • この会社は現在も札幌にあり、インフラ工事を支える重要な企業として存続している
  • 会社設立5周年の記念冊子には、「意義のある仕事を天から授かった」との言葉が残る

こうした祖父の生き方は、孫の小島よしおさんにも大きな影響を与えています。

母方のルーツ 琉球王国の役人だった高祖父

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一方、小島よしおさんの母・智恵さんのルーツは沖縄県久米島にあります。彼の母方の先祖は、琉球王国時代に役人を務めていたことがわかりました。

  • 5代前の高祖父・加那さんは、久米島の在番所(行政機関)で番人として働いていた
  • ヤコウガイ(貝)を税として納める制度があった

祖父・敏一さんは、村の人気者で、人を笑わせるのが大好きでした。しかし、戦争によって人生が大きく変わってしまいます。

  • 昭和12年(1937年)、20歳で日中戦争に出征し、左腕に重傷を負う
  • 昭和19年(1944年)、再び招集され石垣島へ送られる
  • マラリアが蔓延し、3000人以上の兵士と住民が死亡するが、幸運にも生還

戦後は久米島に戻り、家族と再会しました。戦争の話をすることはなく、常に明るく振る舞っていたといいます。

北海道の父と沖縄の母 二人の出会い

小島よしおさんの母・智恵さんは、琉球舞踊を習い、様々なイベントで踊るようになりました。ある集会で踊りを披露した際、司会をしていた孝之さんと出会い、交際が始まりました。

  • 昭和53年(1978年)に結婚し、長男が誕生
  • その後、次男・義雄さんを出産

孝之さんは政治家を目指し、6度の国政選挙に挑戦しましたが、すべて落選しました。それでも、「小島家の誇りだ」という父・文夫さんの言葉を胸に、挑戦を続けました。

小島よしお ブレイクと新たな道

平成12年(2000年)、小島よしおさんは早稲田大学に入学し、お笑いサークルに所属。卒業後は芸人を目指し、平成19年(2007年)に「そんなの関係ねぇ!」で大ブレイクしました。しかし、その後テレビ出演が減少し、一発屋と呼ばれるようになります。

  • それでも、子ども向けの動画やイベントを通じて再ブレイク
  • 教育分野でも活躍し、子どもたちに大人気の芸人として復活

まとめ

小島よしおさんの家族の歴史は、挑戦し続ける精神と、明るく前向きに生きる姿勢に満ちていました。彼の成功の背景には、何度も挑戦し続けた祖父や両親の姿がありました。

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