お遍路宿はなぜ必要なのか 民宿まるたやでわかる23番24番の間の役割と観光宿との違い
NEO遍路が若い世代や外国人に広がる理由
NEO遍路が広がっている理由は、「お遍路=年配の人が長い日数をかけて歩くもの」という昔ながらのイメージが、少しずつ変わってきたからです。
四国遍路は、四国にある88か所の札所を巡る旅です。もともとは信仰の旅として受け継がれてきましたが、今はそれだけではありません。自分を見つめ直す旅、自然の中を歩く旅、地域の人と出会う旅、心を整える旅としても注目されています。
若い世代にとって大きいのは、「完璧にやらなくてもいい」という自由さです。
白装束で全行程を歩く本格的な巡礼だけでなく、車、バス、自転車、バイク、公共交通機関を使って巡る人もいます。1回で88か所を回る必要もなく、週末ごと、旅行のついで、気になる札所だけ、という入り方もできます。
この気軽さが、令和のお遍路らしさです。
さらに、外国人にとって四国遍路は「日本らしさを深く体験できる旅」として魅力があります。観光地で写真を撮るだけではなく、道を歩き、お寺で手を合わせ、宿に泊まり、地元の人と会話する。そうした体験は、日本文化を表面ではなく内側から感じられるものです。
近年は外国人の歩き遍路も増えており、ある休憩施設では2022年に139人だった外国人利用者が、2023年には1543人に増えたという調査もあります。欧米やオーストラリアなどから来る人が目立ち、世界的な巡礼型観光への関心ともつながっています。
若い世代や外国人に広がる背景には、デジタル化もあります。
スマホでルートを調べたり、参拝方法を確認したり、宿を予約したりできるようになったことで、初めての人でも不安が少なくなりました。お遍路は昔からある文化ですが、入口が今の時代に合わせて広がったことで、より多くの人が参加しやすくなっています。
つまりNEO遍路は、伝統を軽くしているのではありません。
伝統の中にある「人を受け入れる広さ」を、今の人にも届く形にしているのです。
自由すぎる令和のお遍路スタイルとは?
令和のお遍路スタイルで大切なのは、「こうしなければならない」と考えすぎないことです。
もちろん、お遍路には作法や歴史があります。札所で手を合わせること、納経をすること、静かな気持ちで巡ることには意味があります。ただし、すべてを最初から完璧に覚えなければいけないわけではありません。
初めてなら、まずは1つのお寺に行ってみるだけでも十分です。
たとえば一番札所から始める人もいれば、旅先で立ち寄れる札所から始める人もいます。順番通りに回る「順打ち」、逆の順番で巡る「逆打ち」、区切って少しずつ巡る「区切り打ち」など、まわり方にもいろいろあります。
わかりやすく整理すると、今のお遍路には次のようなスタイルがあります。
・歩いてじっくり巡る
・車やバイクで効率よく巡る
・観光バスで安心して巡る
・自転車で自然を感じながら巡る
・週末や連休に少しずつ巡る
・家族や友人と一部だけ体験する
・ひとり旅として自分のペースで巡る
この自由さが、今の暮らしに合っています。
仕事や家庭がある人にとって、長い休みを取ってすべてを巡るのは簡単ではありません。でも、何年かかってもいい、何回に分けてもいいと思えば、ぐっと現実的になります。
また、令和のお遍路は「修行」という重いイメージだけではなく、心を整える旅として受け止められています。
毎日忙しく過ごしていると、自分が何を考えているのか、何に疲れているのかも分からなくなることがあります。お寺で手を合わせる、静かな道を歩く、自然の音を聞く。そうした時間は、心の中を少しずつ整理してくれます。
『あさイチ NEO遍路!巨大渦潮!徳島の旅▽イマドキのおひとり様サービス(2026年5月7日)』でも、令和のお遍路は信仰だけでなく、旅や癒やし、自分を見つめる時間として紹介されました。
ここで大事なのは、お遍路を「難しいもの」と決めつけないことです。
作法を知るほど深く楽しめますが、最初の一歩はもっと気軽で大丈夫です。手を合わせる時間が、自分にとって少しでも落ち着くものになれば、それも立派なお遍路体験です。
鳴門の渦潮と鳴門ダイが徳島観光で人気の理由
徳島・鳴門の魅力は、自然の迫力と食の楽しみがつながっているところにあります。
代表的なのが鳴門の渦潮です。
鳴門海峡では、瀬戸内海側と太平洋側の潮の満ち引きによって水位差が生まれます。その水が狭い海峡を勢いよく流れることで、速い流れと遅い流れの差ができ、回転する力が生まれます。これが渦潮の大きな仕組みです。
渦潮はいつでも同じように見られるわけではありません。
潮の流れが強い時間帯に迫力が増し、特に春と秋の大潮の時期には大きな渦が見られやすいとされています。直径20〜30mほどに達することもあるとされ、世界的にも大きな渦潮として知られています。
この「時間によって見え方が変わる」点も、鳴門観光の面白さです。
ただ景色を眺めるだけではなく、潮の時間を調べて、いちばん迫力のある瞬間を狙う楽しみがあります。自然現象だからこそ、毎回同じではありません。そこに旅の特別感があります。
そして、鳴門の海の魅力を食で味わえるのが鳴門ダイです。
鳴門海峡のような潮流の強い海で育った魚は、よく泳ぐため身が締まりやすいといわれます。鳴門ダイは、しっかりした食感とうまみが魅力で、徳島らしくすだちを合わせて食べると、さっぱりした香りが魚の味を引き立てます。
鳴門の旅が人気なのは、渦潮を見るだけで終わらないからです。
海の迫力を見る。そこで育った魚を食べる。さらに、その魚にまつわる地域の話を知る。こうして自然、食、文化がひとつながりになることで、旅の記憶に残りやすくなります。
つまり鳴門は、「写真映えする観光地」ではなく、体験として深く味わえる観光地なのです。
“鳴門骨”はなぜ縁起物として注目されるのか
鳴門骨とは、マダイなどの骨に見られるこぶのような部分のことです。
見た目が少し変わっているため、初めて見ると「これは何だろう」と気になります。昔から、鳴門海峡の激しい潮流を泳ぎ抜いた魚の証のように受け止められてきました。
鳴門骨については、江戸時代前期の文書にも似た記述があるとされます。生物学的には、脊椎骨の一部が肥厚したものと説明されています。ただし、鳴門ダイだけに見られるものではなく、ほかの海域のマダイなどでも確認されているため、「鳴門だけの特別な骨」と言い切るのは注意が必要です。
では、なぜ縁起物として注目されるのでしょうか。
それは、鳴門骨が「厳しい海を生き抜いた力」の象徴のように見えるからです。
人は昔から、珍しい形の石、貝、魚の骨などに特別な意味を見いだしてきました。鳴門骨も、ただの骨の特徴というだけでなく、「荒波に負けずに育った魚の力こぶ」のように語られてきました。
特にタイは、昔からおめでたい魚として親しまれています。
「めでたい」という語呂合わせもあり、祝いの席にもよく使われます。そのタイの中に、さらに珍しい骨があるとなれば、縁起がよいものとして見られるのも自然です。
鳴門骨が面白いのは、科学的な説明と昔ながらの言い伝えが重なっているところです。
科学だけで見れば、骨の一部の変化です。けれど、地域の文化として見れば、激しい海で育つ鳴門ダイのたくましさを感じさせるものです。
旅の記事で鳴門骨を扱うときは、この両方を入れると深みが出ます。
「本当に潮流だけが原因なのかは分からない」
「でも、鳴門の海で育った魚の物語として親しまれてきた」
このように書くと、読者にも伝わりやすくなります。
鳴門骨は、食べ物の中に見つかる小さな地域文化です。
だからこそ、鳴門ダイを食べる体験が、ただのグルメではなく、土地の物語を味わう体験になります。
外国人にも人気の遍路宿とお寺ステイ体験
遍路宿は、お遍路さんが休むための宿です。
昔ながらの旅館のような宿もあれば、宿坊のようにお寺の近くや境内にある宿もあります。最近は、無人で泊まれるタイプ、外国人に対応しやすいタイプ、道具や情報をそろえられるタイプなど、宿の形も広がっています。
外国人に遍路宿が人気なのは、単に安く泊まれるからではありません。
日本の暮らしや文化を、近い距離で感じられるからです。
大きなホテルに泊まる旅では、どこの国でも似たような快適さがあります。一方で遍路宿では、地元の食事、人との会話、畳の部屋、寺の近くの静けさなど、その土地ならではの時間を味わえます。
特に海外から来る人にとって、お寺に泊まるような体験はとても特別です。
観光名所を回るだけでは分からない、日本人の祈りや生活文化に触れられるからです。宿坊や遍路宿は、ただの宿泊場所ではなく、四国遍路を理解するための入り口にもなっています。
また、遍路宿は旅人の不安を減らす場所でもあります。
お遍路は、道に迷う、足が疲れる、次の宿が分からない、言葉が通じるか心配、といった不安が出やすい旅です。だからこそ、休める場所、情報を得られる場所、人とつながれる場所の価値が大きくなります。
遍路宿の魅力を整理すると、次のようになります。
・体を休められる
・地元の食事を楽しめる
・お遍路の情報を得られる
・ほかの旅人と出会える
・地域の人と交流できる
・お寺や巡礼文化を近くで感じられる
一方で、遍路宿には課題もあります。
宿を続けるには、人手、建物の維持、外国語対応、予約管理などが必要です。昔のように善意だけで支えるには限界があります。だから、適正な料金を取り、持続できる仕組みにしていくことも大切です。
外国人にも人気の遍路宿は、四国遍路を未来へ残すための文化の受け皿です。
泊まる人が増えることは、地域の経済にもつながります。そして、宿を通じて四国遍路の魅力が世界に広がっていきます。
マッチョ住職と筋トレ寺が変える現代のお寺文化
マッチョ住職や筋トレ寺という言葉は、最初に聞くと少し意外に感じます。
お寺といえば、静かに手を合わせる場所というイメージが強いからです。そこに筋トレ施設があると聞くと、「なぜお寺で筋トレ?」と思う人もいるでしょう。
でも、よく考えると、お寺と筋トレには共通点があります。
お寺は心を整える場所です。筋トレは体を整える行動です。どちらも、自分自身と向き合う時間を作るという意味では似ています。
現代のお寺は、葬儀や法事だけの場所ではなくなりつつあります。
地域の人が集まる場所、悩みを話せる場所、文化に触れる場所、子どもや若者が入りやすい場所として、役割を広げているお寺もあります。
筋トレ施設を境内に作ることは、ただ奇抜なことをしているわけではありません。
普段お寺に来ない人が、足を運ぶきっかけになります。若い人、外国人、健康に関心のある人、体を動かしたい人が、お寺という場所に自然に近づけます。
「祈りに行く」と思うと少し緊張する人でも、「体を動かしに行く」と思えば入りやすくなります。
そして、その場所がお寺であれば、帰りに手を合わせたり、建物を眺めたり、住職と話したりするきっかけも生まれます。これが、現代のお寺文化の新しい広がりです。
大切なのは、伝統を壊しているのではなく、伝統の入口を増やしているという見方です。
四国遍路も同じです。
アプリを使ってもいい。バスで巡ってもいい。宿の形が変わってもいい。筋トレ施設があるお寺があってもいい。入口が増えることで、伝統文化はむしろ次の世代に届きやすくなります。
もちろん、何でも新しくすればよいわけではありません。
お寺には静けさや祈りの空間としての大切さもあります。だからこそ、現代的な工夫と、昔から受け継がれてきた敬意のバランスが必要です。
マッチョ住職や筋トレ寺が話題になる理由は、見た目のインパクトだけではありません。
「お寺はこういう場所」という思い込みをほどき、地域の人や旅人がもう一度お寺とつながるきっかけを作っているからです。
NEO遍路、鳴門の渦潮、鳴門ダイ、遍路宿、そして筋トレ寺。
これらに共通しているのは、古いものをそのまま残すだけではなく、今の人に届く形に変えながら受け継いでいることです。
だからこそ、徳島の旅はただの観光ではなく、自然、食、信仰、体験、人との出会いが重なる深い旅として注目されているのです。
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