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NHK【新プロジェクトX】アートで奇跡の島再生!瀬戸内の古民家が世界を魅了|2025年5月17日放送

ドキュメント

島に誇りを〜アートでよみがえった瀬戸内海〜

2025年5月17日放送のNHK『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜』では、瀬戸内海に浮かぶ直島や豊島が、アートの力によって再び命を吹き込まれた感動の実話が紹介されました。かつては「はげ山」「ゴミの島」とまで呼ばれていた島々が、世界中の人々から注目を集める「芸術の聖地」となっていくまでの道のりには、数えきれないほどの努力と挑戦がありました。今回の放送では、島の誇りを取り戻すために奮闘した人々の姿を通して、アートが人と島を結びつける力を描いています。

工場の島だった直島に差し込んだ希望の光

直島は、かつては草木も育たないほど環境が悪化しており、「はげ山」と揶揄されていた島でした。工場が立ち並び、煙が空を覆い、美しかった海も死んだ魚で満たされていた時代。島の人々でさえ、出身を隠すような状況だったのです。そんな中で、町は未来を託し、福武書店(現・ベネッセ)の福武總一郎さんに再生を依頼しました。福武さんは、美術作品を活用し、ホテルと美術館を融合させた新しい施設を島に作ることを決断。1992年、アートホテルがオープンし、直島再生の第一歩が踏み出されました。

このホテルの学芸員として招かれたのが、かつて東京で「ザ・スコップマン」として路上パフォーマンスを行っていた秋元雅史さんです。芸術家として10年活動を続けても評価は得られず、生活のためアルバイトを続けていた秋元さんにとって、この仕事は人生を賭けた再出発となりました。

期待と失敗を繰り返しながら道を探った日々

秋元さんは「現代アートで観光客を呼び込もう」と、かつての仲間たちに声をかけ、次々と展覧会を企画します。しかし、奇抜な作品を並べても人は来ず、地元の反応も冷たいものでした。さらには、世界的なアーティストを招聘しても来館者数は伸びず、ホテルはわずか3人のスタッフで運営されるまでに縮小されてしまいました。

苦しい状況の中、秋元さんを支えたのは、島で昔から親しまれているうどん屋の一杯のうどん。その温かさに励まされながら、秋元さんは「この島でしかできないアートを作ろう」と方向を転換します。

島の古民家「角屋」に芽生えた新しい挑戦

ある日、町役場からホテルに電話があり、ある民家を買い取ってもらえないかという相談が寄せられます。その家こそ、島民から「角屋」と呼ばれていた築200年の古民家でした。外観も内装も荒れ果てていたこの家に、秋元さんは「島の誇り」を見出し、アートで蘇らせるプロジェクトを立ち上げます

作品制作を任されたのは、秋元さんの旧友であり、東京藝術大学時代の同級生だった宮島達男さん。LEDのカウンター作品で知られる宮島さんは、当初「ここでは無理だ」と制作を拒否しますが、秋元さんの熱意に押されて参加を決意。毎日、角屋に通い続け、構想を練る日々が続きました。

やがて、作品の中心には125台のLEDカウンターが使われ、島民一人ひとりにその速度を決めてもらうという仕掛けが加わります。5歳から95歳までの125人の島民が参加し、200年の歴史を持つ空間に、島の命が輝くような作品が完成しました。

島の人々が動き出し、観光が少しずつ芽生える

角屋の作品は大きな反響を呼び、秋元さんは直島にあるものを生かしたアートを次々と展開します。この動きに島民も呼応し、ボランティアガイドの会が発足。住民とアートが一体となった島づくりが始まり、観光客も少しずつ増えていきました。

しかし、瀬戸内にはもう一つの課題が残っていました。直島から船で20分の場所にある豊島(てしま)は、かつて産業廃棄物の不法投棄事件で「ゴミの島」と呼ばれ、日本中に環境汚染のニュースが広まっていたのです。

豊島に再び灯った希望と棚田の奇跡

豊島でみかん農家を営む山本彰治さんは、風評被害に苦しんでいました。「豊島」の名前を消してくれと取引先に言われることもありました。そんな中、美術館の建設計画を知り、山本さんの心に希望が芽生えます。舞台となるのは、島の棚田。しかし、その棚田はあれ果て、東京ドーム2個分の広さを再生するには最低3年はかかると見込まれていました。

それでも山本さんは諦めず、米作りを続けていた曽我晴治さんの家に毎日通って頭を下げ続けます。1週間後、曽我さんが「わかった」と協力を約束。島民17人が集まり、1年かけて棚田を再生していきました。

そして2010年10月、豊島美術館がついに完成。開館当日には船が人であふれ、人口1000人の島に17万人の観光客が訪れる大成功をおさめます。山本さんのみかんも「豊島みかん」として再び評価されるようになりました。

芸術祭が地域を変える 直島から瀬戸内全体へ

2025年4月には瀬戸内国際芸術祭2025が開催され、世界中から100万人以上が来場。直島から始まったアートの再生の波は、今では11の島々に広がり、地域を元気にしています

特に人口200人を切っていた男木島では、アートをきっかけに移住者が増加し、休校していた小中学校が再開。子どもたちの声が島に戻ってきました。

アートが人をつなぎ、島の誇りを取り戻す

かつては「日本の直島」と言えなかったこの島が、今では堂々と「世界に誇れる日本の直島」と言えるようになったことは、多くの人の努力と信念の積み重ねによるものでした。

アートとは特別なものではなく、人の思いをつなぎ、場所の価値を引き出す力を持っています。そしてそれを守り、育てていくのは、そこに暮らす人々の思いです。今回の放送は、アートがどれほどの可能性を持つかを改めて感じさせてくれる、心に響く内容でした。

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