朝鮮戦争と核の誘惑
2025年5月22日(木)23時50分から放送されるNHKのドキュメンタリー番組『映像の世紀バタフライエフェクト』では、1950年に勃発した朝鮮戦争を取り上げます。今回のサブタイトルは「そして核がばらまかれた」。北朝鮮の侵攻から始まった戦争が、どのようにしてアメリカ・ソ連・中国という大国を巻き込み、やがて核兵器の使用が現実味を帯びる危機へと発展していったのかを描く内容です。マッカーサー、金日成、スターリン、毛沢東といった名だたる指導者たちが、核という力に心を奪われ、決断を重ねていく姿が追われると予告されています。
放送後、詳しい内容が分かり次第、最新の情報を更新します。
北朝鮮の電撃侵攻とソウルの陥落
1950年6月25日、北朝鮮軍が突如38度線を越えて韓国に侵攻。装備や準備が不十分だった韓国軍は大きな被害を受け、わずか3日後の6月28日には首都ソウルが陥落します。北朝鮮は、ソ連から供与されたT-34戦車や重火器を使った電撃戦を展開し、韓国側の防衛線を次々に突破。漢江にかかる橋も爆破され、多くの兵士や市民が取り残されるなど、混乱が広がりました。
この時点で韓国は国土の大半を失う危機にありましたが、アメリカを中心とする国連が動き出します。すぐさま国連安全保障理事会が開催され、北朝鮮の侵攻を非難。韓国を支援するため、国連軍の派遣が決定されました。この対応により、朝鮮戦争は単なる南北の戦いではなく、米ソ冷戦の代理戦争としての性格を強くしていきます。
国連軍指揮官マッカーサーと核兵器の使用提案
国連軍を率いたのはアメリカのダグラス・マッカーサー将軍。彼は戦況が不利になると、戦局を打開するために核兵器の使用を真剣に提案しました。1950年12月には、アメリカ本国に対して「中国や北朝鮮の軍事目標に対し26発の原爆を使用すべき」との意見書を提出しています。
また、マッカーサーはさらに踏み込み、中国・満州にある軍事施設へ30〜50発の戦術核を投下し、中国国民党軍や米軍による北朝鮮封鎖を実施するという大規模な戦略も構想していました。これが実行されていれば、朝鮮戦争は第三次世界大戦へと発展していた可能性があります。
しかし、アメリカ政府はこの案を却下します。トルーマン大統領は、核兵器の使用が招く国際的な反発と戦争拡大のリスクを重く見たためです。さらにマッカーサーは軍人としての立場を超えた政治的発言を繰り返し、文民統制の原則に反したことから、1951年4月に解任されました。
スターリンと毛沢東も核の誘惑に引き込まれる
北朝鮮を支援したのは、当時のソ連と中国です。スターリンは表立った介入は避けつつも、金日成の韓国侵攻を承認し、兵器や訓練を支援しました。ソ連はすでに原爆の開発に成功しており、冷戦構造の中でアメリカに対抗する体制を強めていました。
中国の毛沢東も最初は朝鮮戦争への参戦に慎重でしたが、戦況悪化を受けて中国人民志願軍を朝鮮半島に投入。その後、この戦争の経験から核兵器の必要性を痛感し、1955年には中国独自の核開発が本格化します。
このように、朝鮮戦争は核兵器の拡散につながる重大な転機となり、アメリカ・ソ連・中国という三大核保有国が誕生する歴史の一因となったのです。
日本の安全保障体制にも大きな転換が
朝鮮戦争は、日本にも大きな変化をもたらしました。1950年7月、マッカーサーは吉田茂首相に対して「日本警察力の増強に関する書簡」を送ります。これを受けて、同年8月には警察予備隊が発足。これはのちの自衛隊の原型となりました。
さらに1951年には日米安全保障条約が締結され、日本はアメリカとの軍事的連携を深め、西側陣営の重要な拠点として位置づけられるようになります。経済復興と並行して、再軍備の道も歩み始めたのです。
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警察予備隊はのちの保安隊、自衛隊へと再編
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米軍駐留が恒常化し、日本の防衛はアメリカとの協力が前提に
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軍需特需により日本経済が急成長
これらの変化は、朝鮮戦争が日本にとっても平和から安全保障への転換点だったことを示しています。
戦争と核、そして指導者たちの選択
今回の『映像の世紀バタフライエフェクト』では、戦争の中で核という兵器に取り憑かれていく各国の指導者たちの姿が描かれると予想されます。戦争を終わらせるための手段としての核兵器が、いかに危険なものであるか、その教訓を視聴者に訴えかける内容になるでしょう。
**朝鮮戦争はまだ休戦状態が続いており、完全な終結には至っていません。**今も残る分断の傷跡と、そこから学ぶべきことが数多くあります。
放送内容の詳細は、番組終了後に改めて追記・更新いたします。
本記事は放送前の情報をもとに作成しています。実際の内容と異なる場合があります。
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