国民を道連れにした独裁者とは
2025年8月4日にNHKで放送された「映像の世紀 特別編 ヨーロッパ2077日の地獄 第3部」は、第二次世界大戦末期のドイツを中心に、アドルフ・ヒトラーの独裁体制がもたらした結末を深く掘り下げた内容でした。特にヒトラー暗殺未遂事件からノルマンディー上陸、ベルリン陥落までの激動の日々を、実際の映像と証言を交えて振り返りながら、戦争がいかに多くの命と心を傷つけたかを描いていました。
戦争を終わらせたかった将校たちの決起
番組は1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件から始まります。戦争の早期終結を望む一部のドイツ軍幹部が、ヒトラーを排除しようと決起しました。会議中の爆破計画は惜しくも失敗に終わり、ヒトラーは命を取りとめました。この事件をきっかけに、彼の猜疑心が一気に高まり、内部の粛清が一層進みました。和平交渉の可能性はここで断ち切られました。
決戦に向けた準備とテヘラン会談
同じ頃、イランのテヘランでは、連合国の三首脳チャーチル、ルーズベルト、スターリンが一堂に会して作戦会議を行っていました。このテヘラン会談では、ドイツへの最終的な攻撃方針が話し合われ、アメリカからも多くの若者がヨーロッパ戦線に向けて送り出されました。
ノルマンディー上陸作戦と兵士たちの犠牲
**1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦が始まります。**フランス北西部のノルマンディー海岸には、連合軍の大部隊が上陸しました。中でもオマハビーチでは激しい攻防が繰り広げられ、たくさんの命が失われました。アメリカのベッドフォード出身の双子、レイとロイの兄弟の話も紹介され、ロイだけが生き延びたという証言が印象的でした。
また、この作戦にはハリウッド映画監督のジョージ・スティーブンスも同行しており、当時貴重だったカラーフィルムで最前線の様子を記録しました。その映像からは、連合軍の空爆によりフランスの民間人3万5000人が命を落としたことも伝えられました。
独裁者が無視した現実と失われたチャンス
この大規模な攻撃にもかかわらず、ヒトラーは危機感を持たず、愛人エヴァ・ブラウンの妹の結婚式に出席していたという記録が残されています。この隙を突いて再び暗殺計画が実行されますが、またしても失敗。この後、反ヒトラー勢力は壊滅状態となり、戦争終結の希望は遠のきました。
パリ解放と民衆の反撃
ノルマンディーから進軍してきた連合国軍に呼応するように、パリでは市民たちがドイツ軍に反乱を起こします。数日間にわたる戦いの末、パリはわずか7日で解放され、ドイツ軍は降伏しました。この場面にもジョージ・スティーブンスのカメラが同行しており、戦場にあった緊張と希望の両方が記録されています。
追い込まれたドイツとヒトラーの末路
戦況がさらに悪化する中、ヒトラーはパーキンソン病を患っていたとされています。ベルリンでは少年や老人までが戦闘に参加する「国民突撃隊」が結成され、国民総出での防衛体制が敷かれました。ゲッベルスは徹底抗戦を呼びかけ続けましたが、もはや勝機はありませんでした。
1945年4月16日、ソ連軍がベルリンに攻撃を開始。4月30日、ヒトラーは地下壕で自殺し、ついに独裁者の最期を迎えます。このときに撮られた生前最後の映像も紹介され、痩せ細った姿に戦争の重みを感じさせました。
ナチスの崩壊と戦後に残された影
ドイツが降伏した後、アウシュヴィッツやダッハウなどの強制収容所の実態が明らかになりました。数百万のユダヤ人や反体制者が命を奪われたという事実に、世界中が衝撃を受けました。
そして1946年1月には、ウクライナのキーウでナチス関係者が公開処刑され、ヒトラーによってまかれた憎しみが、今度は報復というかたちで逆流してきたのです。
番組の最後には、戦争から80年経った今も世界から争いが消えていないという現実が語られました。歴史を繰り返さないために、何を見て、どう学ぶのか。その問いを静かに投げかける終わり方でした。
出典:
NHK「映像の世紀 特別編 ヨーロッパ2077日の地獄 第3部 国民を道連れにした独裁者」2025年8月4日放送
https://www.nhk.jp/p/ts/DN7MMV72JP/
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