記事内には、広告が含まれています。

NHK【映像の世紀バタフライエフェクト】ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独|満州引揚者と戦後の苦難とは【2025年7月7日放送】

映像の世紀バタフライエフェクト

ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独|2025年7月7日放送

2025年7月7日、NHK総合で「映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 日本 660万人の孤独」が放送されます。この番組は、去年放送された特集のアンコールで、日本の敗戦とその影響を改めて振り返る内容です。終戦間際、海外にいた660万人の日本人が経験した苦しみや、その後の運命を、当時の映像や証言とともに紹介します。今回は満州や朝鮮半島に取り残された人々、シベリア抑留、中国残留日本人、戦後の開拓生活まで、さまざまな視点から日本の歴史が描かれます。

660万人の日本人が海外にいた理由

太平洋戦争中、日本は満州、朝鮮半島、台湾など多くの地域を支配していました。その影響で軍人や民間人、合わせて660万人もの日本人が海外に住んでいたのです。しかし、1945年の敗戦によって、その人々の運命は大きく変わってしまいました。

番組では、当時の貴重な映像を通じて、朝鮮半島南部の日本人が引き揚げていく様子も紹介されました。660万人のうち、ソ連を除く地域にいた300万人以上は、戦争が終わってから1年以内に日本に戻ることができたといいます。しかし、ソ連軍が進出した満州では、多くの人が簡単には帰れなかったのです。

満州での悲劇とシベリア抑留

満州ではソ連軍の侵攻が始まり、多くの日本人が暴力や略奪にさらされました。中でも注目されるのがシベリア抑留です。開拓団や日本兵、民間人が次々と捕らえられ、厳しい寒さと労働を強いられたのです。

  • 約60万人がシベリアに送られ、そのうち6万人が命を落としました

  • 満州では都市部を中国国民党、農村部を中国共産党が支配し、混乱が続きました

この時期、日本に戻ることができた人もいましたが、多くの人が現地に取り残され、帰還への道が閉ざされたままだったのです。

日本人救出と有名人たちの帰還

その後、ソ連軍の撤退を受け、アメリカや中国が満州の日本人救出に動きました。このとき、日本に戻った中には、後に有名になる人たちもいました。

  • 漫画家・ちばてつやさん

  • 作詞家・なかにし礼さん

彼らも満州から引き揚げ、戦後の日本で新たな人生を歩んだのです。

戦後の日本と開拓事業

帰国した日本人を待っていたのは、生活の再建という大きな壁でした。政府は、引揚者や復員兵のために戦後開拓事業をスタートさせます。

  • 痩せた土地を開拓し、食糧や住まいの問題を解決するための取り組み

  • しかし、農業に不向きな土地も多く、生活は決して楽ではありませんでした

さらに、朝鮮戦争の影響で開拓地の土地接収が検討されるなど、引揚者たちは再び不安な状況に置かれました

それでも多くの人が努力を重ね、日本国内での新しい暮らしを築いていきました。最終的に660万人のうち、630万人が帰国できましたが、旧満州には1万人以上が取り残され続けました。

中国残留日本人と野村志津の運命

中国に残された日本人の中で、特に知られているのが野村志津さんのエピソードです。野村さんは戦時死亡宣告を受けて、日本では亡くなったことになっていました。しかし、実際は満州に取り残されたままだったのです。

1972年、日本と中国の国交が正常化されたことで、ようやく中国残留日本人の帰国が実現します。1973年、新聞各紙は野村志津さんの帰国を大きく報じました。

ですが、野村さんは帰国後すぐに入院し、2か月後に亡くなりました。残された家族も苦難を強いられ、日本語を話せない子どもたちは、新しい環境に馴染むのが難しかったといいます。

1990年代になると、残留日本人の帰国はピークを迎えました。野村志津さんの子どもや孫も日本に移住し、その生活が紹介されました。

野村達雄さんとゲームがつなぐ絆

野村志津さんの孫、野村達雄さんは日本語を話せませんでした。しかし、そんな彼にとって助けとなったのが、人気のゲーム「ポケモンGO」でした。

このゲームを通じて友人を作り、日本での生活に慣れていきました。さらに、達雄さんは満州から引き揚げた経験を持つなかにし礼さんと対談をしました。

  • どこにいても、よそ者として見られることが多かった

  • 引揚者同士、共通するつらさや苦しみを語り合いました

開拓地と福島の今

戦後、開拓地として切り開かれた場所は、その後も日本の発展とともに利用されていきます。成田空港、東通原発、福島第一原発なども、かつての開拓地に建てられたものです。

特に福島県浪江町は、満州から引き揚げてきた人たちが住み着いた場所です。しかし、東日本大震災と原発事故の影響で、再び土地を追われることになりました

番組の最後では、浪江町の住民の声が紹介され、歴史のつながりと今も続く苦難が描かれました。

この「映像の世紀バタフライエフェクト」では、戦争が終わってもなお苦しみが続く人々の姿と、そこから立ち上がる強い意志が伝えられています。私たちが知らなかった歴史の一面を、分かりやすく学ぶことができる貴重な番組です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました