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NHK【プロフェッショナル仕事の流儀】心臓外科医・天野篤の挑戦|天皇陛下執刀から88歳高齢手術まで|2025年8月18日放送

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「心臓外科医・天野篤」

「心臓の手術って本当に安全なの?」「高齢でも大丈夫なの?」そんな疑問を持つ人に向けて放送されたのが、NHK総合の『プロフェッショナル 仕事の流儀』2025年8月18日放送回です。番組では、天皇明仁の心臓手術を執刀した心臓外科医・天野篤に密着しました。この記事では、天野医師の挑戦と患者の物語をすべて振り返り、心臓外科の最前線と人間的なドラマを紹介します。

手術の鬼と呼ばれる日常

天野篤医師は、順天堂大学医学部附属順天堂医院に勤務しており、心臓外科の最前線に立ち続けています。多いときには、なんと1日で4件もの心臓手術をこなすこともあります。手術は1件ごとに長時間にわたり、集中力を極限まで必要とする作業ですが、それを連日行う姿勢からは、まさに「手術の鬼」と呼ばれる理由が伝わってきます。

心臓のバイパス手術では、人体に存在する9か所の血管の中から使えるものを選び、患者自身の体から取り出します。さらにその血管を一本一本ていねいに整え、余分な部分を取り除いたうえで利用します。わずかな乱れが命に関わるため、この作業には非常に高い技術と集中力が求められます。番組では、そうした繊細な準備を経て行われる手術の様子がリアルに映し出されていました。

また、日々の多忙さは手術だけにとどまりません。天野医師は手術の合間に短い時間で昼食をとる姿も紹介されました。食事といってもゆっくり味わう余裕はなく、体力を保つために最低限の栄養補給を素早く済ませる様子から、その仕事の厳しさが伝わってきます。

さらに印象的だったのは、憧れの人物としてアントニオ猪木の名前を挙げていた場面です。プロレスラーとして常に自らの限界に挑み続けた猪木に共感し、自分自身も「どんな困難にも立ち向かう」という姿勢を持ち続けていると語っていました。医師としての信念と格闘家の精神を重ね合わせることで、天野篤医師の挑戦はより強く心に響きました。

超高齢の手術に挑む

88歳の長井登志夫さんに対して、天野篤医師は思い切った判断で人工弁を取り付ける心臓手術を実施しました。高齢者に対する手術は、合併症のリスクや回復の遅れなどが予想されるため、通常よりも大きな危険を伴います。番組の中でも、ベテランの心臓外科医である天野医師自身が、緊張感を隠せない表情を見せていたのが印象的でした。

手術は、患者の心臓を一旦止めて人工心肺装置に切り替えるという、まさに命を預かる一大手術でした。しかも心臓は加齢による石灰化が進んでおり、通常よりも難易度が高かったのです。それでも医師とチームの高度な技術と冷静な判断によって、手術は予定通り進み、見事に成功を収めました。

そして驚くべきことに、手術からわずか2週間後、長井さんは自分の足で歩きながら病院を退院する姿を見せました。超高齢での大手術にもかかわらず、しっかりと歩く姿はとても力強く、多くの視聴者に「高齢であっても希望はある」という大きな勇気を与えました。医療の可能性と、人の生きる力を示した象徴的なエピソードでした。

落ちこぼれからの出発

天野篤医師の道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。大学受験では何度も失敗を繰り返し、同級生がすでに進学先を決めている中、ようやく21歳で医学部に入学することができました。周囲よりも遅れてのスタートは、彼に強い劣等感を抱かせるものでした。

医師となってからも試練は続きました。希望していた病院に就職することは叶わず、進路は思うように開けませんでした。理想と現実の差に直面し、挫折の連続だったのです。それでも天野医師は、自分の努力を信じて一歩ずつ進むことをやめませんでした。

さらに、彼の人生を大きく揺さぶった出来事がありました。父の天野甲子男さんは若いころから心臓病を患っており、篤医師は「必ず父の心臓を治す」という強い思いで外科医を志しました。しかし、運命は残酷で、父は息子の執刀を受けながらも手術中に亡くなってしまったのです。目の前で父を救えなかった経験は、若き医師にとって計り知れない悲しみとなりました。

それでも天野医師は、その喪失を背負いながら前へと歩み続けました。亡き父の胸に残されていた人工弁を「形見」として大切に持ち続け、自らの原点を忘れないようにしています。その小さな人工弁は、彼にとって迷いや弱さを振り払うお守りであり、同時に命を守る仕事に全力を注ぐ誓いの象徴でもあります。こうした数々の挫折と苦しみを経て、天野篤医師はついに日本屈指の心臓外科医へと成長していったのです。

難手術への挑戦

患者の高橋尚子さんは、心臓の主要な血管3本が完全に詰まっているという極めて深刻な状態にありました。さらに過去の手術で、すでに5本の血管がバイパス用として使われてしまっていたため、残された血管の選択肢はほとんどありませんでした。通常の方法では対応が難しい極限のケースであり、番組内でも「かつてない難手術」として紹介されました。

手術を前に、天野篤医師は家族へ「手術中に死亡する可能性もある」と率直に伝えました。希望だけでなくリスクも隠さず説明する姿勢は、医師としての責任感と患者家族への誠実さを強く示していました。そのうえで、天野医師は何度もシミュレーションを行い、わずかに残された血管をどう組み合わせれば命をつなげるのかを入念に検討しました。

そして手術が始まると、予定されていた時間を大幅に超え、なんと14時間にも及ぶ壮絶な戦いになりました。途中、手術に用いた薬の副作用によって容体が急変する場面もありましたが、天野医師とチームは冷静に対応し、その危機を乗り越えました。ついに心臓へ再び血流が戻った瞬間、手術室には大きな緊張が解け、スタッフ全員の顔に安堵の表情が浮かんだのです。

驚くべきことに、術後わずか4日で高橋さんは意識を回復しました。そしてその後、体を動かすことができるまでに回復し、手術から2週間後にはリハビリを開始しました。長時間の大手術を乗り越え、再び立ち上がる姿はまさに奇跡であり、医療の力と患者自身の生命力が生み出した感動的な瞬間でした。

天皇陛下の執刀医としての使命

2012年、天皇明仁冠動脈バイパス手術を執刀したことで、天野篤医師の名前は一躍全国に知られる存在となりました。この大役を成功させたことは、当時大きなニュースとして報じられ、心配していた国民に計り知れない安心感を与えました。国家的な重責を背負いながらも冷静に臨み、結果を出したその姿は、日本の医療の水準の高さを象徴する出来事となったのです。

この成功は、医師としての天野篤の名声を決定づけるものであり、多くの人々に「命を託せる医師」という強い信頼を抱かせました。しかし、当の本人は決して驕ることなく、自らを「落ちこぼれから始まった」と語り続けています。その言葉には、輝かしい実績の裏に隠された長い苦労と挑戦の日々が込められていました。

天野医師は、大学受験に失敗を重ね、医師としても希望通りに進めなかった過去を何度も振り返っています。それでも歩みを止めず努力を積み重ねることで、ついには日本を代表する心臓外科医となりました。その姿は「才能よりも努力と信念こそが未来を切り拓く」という強いメッセージを、多くの人々に示しているのです。

まとめ

今回の放送で描かれたのは、「命をつなぐ」という一点に生涯をかける外科医の姿でした。
・1日4件の手術をこなす厳しい現場
・88歳患者の成功例が示す医療の可能性
・父を救えなかった経験が支える原点
・14時間の大手術に挑む執念

視聴者は「命を託す医師とは何か」を考えさせられる内容でした。心臓病や高齢での手術に不安を抱える人にとって、天野篤医師の姿は大きな励ましとなったはずです。


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