顔認証で世界一を掴んだ日本人たち〜マイクロソフトに挑んだ開発者たちの物語〜
スマホのロック解除、空港の入国審査、テーマパークの入場ゲート。今や当たり前のように使われている『顔認証システム』。けれど、この技術の裏には、かつて誰にも注目されなかった日本のエンジニアたちの、静かで熱い挑戦がありました。この記事では、2025年11月1日放送の新プロジェクトX〜挑戦者たち〜「マイクロソフトに挑んだ男たち〜顔認証システム、世界一へ〜」をもとに、NECの小さなチームがGAFAMの一角・マイクロソフトに挑み、世界一の精度を誇る顔認証システムを築き上げた奇跡の物語を、詳しく紹介します。
パズル好きの青年が見つけた“顔の法則”と小さな発見の積み重ね
物語の主人公、今岡仁さんは1970年の大阪万博の年に生まれたエンジニア。子どもの頃から数学やパズルに夢中で、難題をコツコツ解くことに喜びを感じるタイプでした。1997年に日本電気(NEC)へ入社しますが、最初の数年は成果を出せず、いわば「凡庸な社員」だったといいます。当時のNECはバブル崩壊の影響を受けて業績が悪化し、多くの部門でリストラが進行。今岡さんも例外ではなく、ある日突然、顔認証技術の開発チームへの異動を命じられました。それは決して花形の部署ではなく、むしろ社内では「日の当たらない地味な研究」と見られていました。
そんな状況で転機となったのが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件。国際社会が「テロを未然に防ぐ」ための技術開発に動き出し、世界中で顔認証システムの需要が一気に高まったのです。とはいえ当時の技術はまだ未成熟で、認証精度はわずか70%ほど。笑顔になると「別人」と認識されるようなレベルで、とても実用には程遠いものでした。
ここで今岡さんの“パズル脳”が動き出します。顔認証を「パズルを解くようなもの」と考え、表情の変化に影響されない“骨格に近い不変の特徴”を探し出したのです。その特徴点を線で結び「顔を面で捉える」という全く新しい発想を導入。結果、認証精度は一気に95%にまで跳ね上がり、チームの士気も高まりました。
数字の壁、そして“2人だけのチーム”で挑む限界の先
しかし、世の中は冷酷でした。指紋認証の精度が99.9%を誇る中、95%では「まだ使い物にならない」と言われ続けたのです。NEC内でも顔認証への期待は薄く、チームは次第に縮小されていきます。ついには2人だけの体制に。残ったのは今岡さんと、郵便番号の自動読み取り技術を担当していた佐藤敦さん。
佐藤さんは「コツコツやろう、焦るな」と声をかけ、静かな情熱でチームを支えました。2人は、数万枚の顔画像を一枚ずつ解析し、光の当たり方や年齢、表情の違いなど、あらゆる条件下での認識誤差を減らしていきます。その地道な作業の果てに、彼らはある大きな目標を掲げました。それがアメリカ国立標準技術研究所(NIST)が主催する国際的な顔認証精度テストです。ここで上位に入れば、世界の空港や政府機関に採用されるチャンスが生まれる。まさに一発逆転を狙う最後の舞台でした。
不況とリーマンショック、それでも技術は生きていた
2008年のリーマンショックは、世界中の企業を直撃しました。NECも主力事業の縮小や撤退を余儀なくされ、研究開発費は削減。顔認証チームは新人を加えたわずか4人に。それでも彼らは前を向き続けました。2009年、NISTの評価テストで認証精度97.9%を達成し、世界一に輝いたのです。世界中の顔データを使った過酷な条件の中で、異なる人種・年齢・性別すべてに対応した性能が評価されました。翌年にはさらに精度を高め、99.7%という驚異的な数字を記録。
それは単なる数字の勝負ではなく、「日本の技術がまだ世界に通用する」という証でもありました。NECへの問い合わせは100件を超え、病院の受付、空港ゲート、テーマパークなど、日常のさまざまな場面で採用が進みました。ついに「顔認証システム」は、社会インフラの一部として動き始めたのです。
マイクロソフト参戦、AI時代への挑戦
しかし、歓喜は長く続きませんでした。世界的企業マイクロソフトがNISTのテストに参戦し、中間発表では首位に立ったのです。AI技術の急速な発展で、データ処理の桁違いの差が開いていました。NECの小さなチームは、社内で「竹槍で戦っている」と揶揄されながらも、AI導入を決断。人の手で磨いてきたアルゴリズムをAIに学習させ、膨大な画像を解析していきました。
しかし、今岡さんたちは単に“データの勝負”に挑んだのではありません。彼らの強みは「人に寄り添う技術」でした。空港や病院など、実際に顔認証を使う現場の声を一つひとつ聞き、使いやすさと安心感を追求。誤認を防ぐための微調整を重ね、コンピュータと人間の感覚を融合させた設計を実現します。
その努力が実を結び、2019年の評価テストでNECは精度99.5%を達成し、再び世界一に返り咲きました。現在、ジョン・F・ケネディ国際空港をはじめとする世界200以上の空港で採用され、2200件以上のなりすまし防止に貢献。EUサミットや国際イベントでも導入され、NECの名は再び世界の舞台で輝きました。
技術の先にある“人間の未来”を見つめて
2025年、大阪・関西万博。その入場ゲートに立つのは、55年前の万博で「夢の技術」として紹介された顔認証システム。あのとき夢見た未来が、今や現実のものになりました。
共に挑んだ森下雄介さんは番組で「現場の苦労の積み重ねがあってこそ今がある」と語りました。NECの顔認証技術は、現場を知る人間の経験と、AIの精密さが融合した「人間味のあるテクノロジー」として評価されています。現在、今岡さんは新たな研究に取り組んでおり、『顔から健康状態を読み取る』という、医療とAIを融合した新技術の開発を進めています。
一方で、顔認証には新たな課題もあります。アメリカでは黒人男性が誤認逮捕される事件が発生し、香港では監視社会化への懸念が広がりました。便利さとプライバシーのバランス、技術と倫理の共存——これこそが次の時代の大きなテーマです。
まとめ:日本の粘りと情熱が生んだ“人間のためのAI”
この記事のポイントは3つです。
・NECの小さなチームが“人に寄り添う技術”で世界一に輝いた
・マイクロソフトとの真っ向勝負の中、AIを使いこなす力で勝利
・顔認証は今、便利さと倫理のはざまで新たなステージに進んでいる
顔認証の進化は、単なる技術競争ではなく「人を守るための挑戦」でした。竹槍でも戦う覚悟、パズルを解くような粘り強さ、そして人を思う心。その積み重ねが世界を動かし、未来を変えていく。
今岡仁さんたちが歩んだ道は、AI時代の“人間らしさ”を取り戻す希望の物語でもあります。
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