瞳を閉じて——長崎・奈留島に生まれた“心の校歌”とユーミンの青春
1970年代の日本。まだSNSもメールもなかった時代に、長崎県・五島列島の奈留島にある小さな高校の生徒たちが、一通の手紙を東京に送りました。送り先は、当時まだ若手シンガーソングライターとして注目され始めた荒井由実(現・松任谷由実)さん。「自分たちだけの校歌を作ってほしい」という願いが、その手紙には素直に綴られていました。この小さな願いが、後に全国の人々の心に残る名曲『瞳を閉じて』を生むきっかけとなったのです。
今回の「時をかけるテレビ」では、1988年に放送された「九州特集 瞳を閉じて~ユーミンが贈った島の歌~」を再び紹介。当時の貴重な映像に加え、池上彰さんとユーミン本人が、半世紀にわたる歌と島の絆を語り合いました。
奈留島と『瞳を閉じて』——歌が生まれた背景
長崎県・五島列島の奈留島は、周囲約25km、人口4000人ほど(当時)の静かな島です。海とともに生きる人々の暮らしの中で、島の中心に建つのが長崎県立奈留高校。当時はまだ分校で、校歌がありませんでした。そのことに心を動かされたのが、当時の生徒だった藤原さん(現・侭田あつみさん)です。
彼女は「自分たちの歌がほしい」という想いを手紙に書き、東京の荒井由実さんに送りました。驚くことに、ユーミンはその手紙に感動し、快く作詞・作曲を引き受けます。こうして誕生したのが『瞳を閉じて』。
曲は最初、正式な校歌には採用されませんでした。しかし、柔らかく切ないメロディと、ふるさとへの想いを込めた歌詞が島の人々の心をとらえ、卒業式や文化祭などで自然と歌われるようになり、「愛唱歌」として島の象徴になっていきました。
“新日本紀行”が伝えた歌の誕生と島の記憶
今回の再放送では、当時の「新日本紀行 歌が生まれてそして~長崎県奈留島~」も紹介されました。そこには、校歌を願った生徒たちの青春や、島の人々の暮らしが映し出されています。
奈留町漁業協同組合を中心に、島の多くの人が漁業に携わり、豊かな五島の海とともに生きていました。年間6万トン近くの水揚げがあり、船のエンジン音が生活のリズムを刻む日々。そんな中でも、島の若者たちは「自分たちの歌」を夢見ていました。
平山さんという卒業生は、長男として島に残り漁師になりました。一方で、柿森さんのように島を離れて東京や千葉で暮らす人もいました。彼は「島の小さな社会に息苦しさを感じて家を出た」と話していましたが、『瞳を閉じて』を耳にすると、心の奥で奈留島を思い出すといいます。島に残った人も、離れた人も、それぞれの場所でこの歌を支え続けていたのです。
『瞳を閉じて』記念碑の建立——同窓生の絆
1988年、奈留高校の愛唱歌『瞳を閉じて』が高校の音楽教科書に掲載されることが決まりました。それを機に、卒業生たちは「記念碑を建てよう」と立ち上がります。発案者は、かつて校歌を願った藤原さん(侭田さん)。彼女は東京でウェイトレスとして働きながら、全国の同級生に声をかけました。
島に残る仲間たちは募金活動を進め、東京に住む同級生たちも協力。やがて、島内外から約600人の賛同が集まりました。記念碑の文字をユーミン本人にお願いし、除幕式にも出席してもらう計画が立てられました。
ところが、当日はあいにくの悪天候。飛行機が欠航し、ユーミンの到着は遅れてしまいます。しかし、彼女は諦めずに奈留島へと向かい、ついに到着。初めて島を訪れたユーミンは、除幕式でこう語りました。
「これから音楽をやっていくうえで、今日のこの気持ちは絶対に忘れたくない」
その言葉に涙ぐむ卒業生たち。式の後、ユーミンは校内を歩き、当時のデモテープを聴きながら懐かしそうに目を閉じました。滞在はわずか1時間ほどでしたが、その時間は奈留島の人々にとってかけがえのない宝物になりました。
ユーミンが語る「歌が人に宿るということ」
スタジオでは、池上彰さんが当時のVTRを交えながら、ユーミンにインタビュー。彼女は静かにこう語りました。
「この歌は私自身にとっても青春そのものなんです。あの頃の純粋な想いを、今も思い出します」
さらに、「歌はその人の心に住み着く」とも語り、音楽の本質について深く語りました。時間を超えて歌が人と人をつなぎ、島と東京、過去と現在を結んでいく。その象徴こそが『瞳を閉じて』だったのです。
現在、奈留島の人口は当時の半分ほどに減っていますが、この歌は島の式典や運動会、卒業式などで今も大切に歌われ続けています。
AI時代に挑むユーミン——人の心を動かすのは誰か
2025年のユーミンは、デビュー53年を迎えました。最新アルバムでは、AI(人工知能)を活用した新しい音楽制作に挑戦。自分の過去の歌声をAIに学習させ、今の声と重ねるという実験的な試みを行っています。
しかし、AIの進化を体感するなかで、ユーミンはChatGPTでの作詞にも挑戦しましたが、「新鮮味がない」と感じたそうです。そこから得た結論は、「やはり人の心を動かすのは人」。この言葉には、半世紀にわたり音楽を届け続けたユーミンならではの確信がこもっていました。
現在は、健康を意識した生活を送りながら、「お坊さんのようにストイックな暮らし」をしているとのこと。創作への情熱は今も衰えず、彼女の中で新しい“青春”が続いています。
2025年、奈留高校60周年に響いた『瞳を閉じて』
2025年の奈留高校創立60周年記念行事では、運動会のグラウンドに『瞳を閉じて』の歌声が再び響き渡りました。島に残る人も、離れて暮らす人も、同じ歌でつながるひととき。今もなお、この歌は“島の心”そのものです。
藤原さんが書いた一通の手紙から始まった物語は、半世紀を経た今も続いています。教科書に載り、記念碑となり、そして島の人々の声となって歌い継がれる『瞳を閉じて』。それは、時間や距離を越えて、人と人を優しく結びつける歌なのです。
まとめ
・『瞳を閉じて』は、奈留島の女子高生の「校歌がほしい」という願いから生まれた。
・松任谷由実(当時・荒井由実)が手紙に応え、作詞・作曲を担当。
・曲は校歌にはならなかったが、島の愛唱歌として歌い継がれている。
・1988年に教科書掲載を記念し、卒業生が記念碑を建立。ユーミンも奈留島を訪問した。
・2025年には奈留高校創立60周年で再び島に響いた。
・ユーミンはAI時代にも挑戦しつつ、「人の心に届く音楽」を模索し続けている。
『瞳を閉じて』は、単なる歌ではなく、人生の節目やふるさとへの想いを映す“心の風景”です。誰かのために作られたこの小さな歌が、時を越えて多くの人に届き、今も静かに息づいています。
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