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NHK【新プロジェクトX】なぜ中村哲は用水路を作った?山田堰の知恵とマルワリード用水路の奇跡|2025年12月6日

新プロジェクトX
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『75万人の命を救った用水路〜医師・中村哲 希望のアフガニスタン』

アフガニスタンの荒れ果てた大地を希望へと変えた日本人医師 中村哲。砂漠を緑へ戻すという途方もない挑戦の裏には、戦争、干ばつ、仲間の死、そして現地の人々との深い絆がありました。この記事では、中村がなぜ用水路建設に踏み出したのか、その道のりで何が起きたのか、そして彼の意思がどう受け継がれているのかをたどります。読んだ人が「人が生きるために何が必要なのか」を考えたくなる物語です。

オープニング 75万人を救った用水路と中村哲の挑戦

アフガニスタン東部には、かつて『死の谷』と呼ばれた砂漠地帯がありました。紛争と干ばつで農地は枯れ、人々は病や飢えに苦しんでいました。この絶望的な状況を変えたのが一本の用水路でした。中心となったのは日本人医師 中村哲
番組は「100の診療所より1本の用水路が命を救う」という中村の言葉から始まり、彼が凶弾に倒れる6年前まで続けた戦いを追いました。

中村哲がアフガニスタンへ向かった理由

アフガニスタン東部・ダラエマワにあった小さな診療所。薬も器具もない中で、中村は患者の声に耳を傾け、目で状態を確かめながら医療を続けていました。
彼が初めてこの地域に足を踏み入れたのは32歳のとき。登山隊の医師としてパキスタンを訪れ、途中の集落で治療を求める人々に囲まれます。しかし薬が足りず、助けられなかった人たちを残して立ち去るしかなかった経験が彼の心に深く残りました。

その後、日本で勤務を続けていた中村に、パキスタンで医療活動を行う医師募集の知らせが届きます。彼は即応募し、家族を連れてペシャワールへ渡りました。そこから後輩 村上優 らが中心となって支援団体『ペシャワール会』を結成し、カンパで医療活動を支えます。

驚くことに、彼の診療所には隣国アフガニスタンから来る患者が多いことが判明します。旧ソ連侵攻後の混乱を逃れた難民でした。
アフガニスタンにも診療所を広げると決めた中村は、現地の人に「本気でここを支える覚悟」を伝えるため直接語りました。

そこへ訪ねてきたのが看護師 藤田千代子。マザーテレサに憧れ、この地で働くことを望んでいました。
ある日、藤田がゆっくり作業する現地スタッフを手伝っていると、中村はこう叱ります。

「外国人のあなたが主役じゃない。現地の人が技術を身につけなければ続かない。」

この言葉には、助ける側の論理で支援を押し付けないという確固たる姿勢がありました。

さらに診療所が銃撃された際、スタッフが反撃しようとすると中村は制止します。

「やられてもやり返すな。報復しても何も生まれない。ただ混乱が生まれるだけだ。」

混乱の中でも暴力を拒む姿勢は、彼が貫いた信念の象徴でした。

大干ばつと『緑の大地計画』誕生

16年後、アフガニスタンを100年に一度といわれる大干ばつが襲いました。農地は完全に枯れ、さらに『アメリカ同時多発テロ』の余波で米軍がアフガニスタンへ侵攻。治安が崩壊し、国連職員も退避するほどの混乱に陥ります。
日本政府も中村に帰国を勧告しましたが、彼は留まりました。

そして歴史的な決断を下します。

「今命を救うのは100の診療所より1本の用水路だ。」

これが『緑の大地計画』です。
クナール川上流から水を引く13kmの用水路を砂漠地帯に建設するという、医師とは思えない規模の構想でした。総工費は数億円。資金は ペシャワール会 が寄付を募って集めました。地元の人々は歓喜し、この計画に未来を託します。

用水路建設の現場 若者たちと600人の作業員が挑んだ13km

土木の知識がなかった中村は、日本から専門書を大量に取り寄せて独学し、深夜まで設計図と向き合いました。
計画には日本からも20名ほどの若者が参加しました。農業に詳しい 伊藤和也、大学を出たばかりの 鈴木学、写真家志望の 中山博喜 らが献身的に支えました。

2003年3月、工事が始まります。
中村が選んだのは日本の伝統工法『蛇籠』。鉄網に石を詰め護岸をつくる工法で、重機がなくても施工できます。
作業員600人と中村は泥にまみれ、酷暑と闘いながら作業を進めました。

しかし堰づくりは思うように進まず、流れの強さが壁になりました。そこで鈴木が持ち込んだのが、江戸時代から筑後川に残る『山田堰』のアイデア。流れに沿って石を組み、水を自然に導く仕組みでした。
中村は「これならいける」と決断し、大量の石を運ばせました。

1年後、堰がついに完成。水が新しい水路に流れ込んだ瞬間、砂漠だった大地に命が戻り始めました。

犠牲と継承 伊藤和也の死と25kmに広がった緑の大地

喜びの中で、深い悲劇も起きました。
翌年、農業支援で活躍していた 伊藤和也 が武装した男たちに拉致され、銃撃で命を落としました。葬儀には村人800人が集まり、伊藤を悼みました。
中村は、憎しみで仲間をまとめるのではなく、さらに前へ進む道を選びます。

2010年、水路は25kmに伸び、5年後には1万6500ヘクタールの農地が誕生。小麦、果物、野菜が実る土地へと変わりました。
しかし中村は「まだアフガニスタンのほんの一部」と語り、喜びに浸ることはありませんでした。

中村哲の死と、それでも止まらなかったプロジェクト

プロジェクト開始から13年、土地が緑へ変わる中、中村は若い仲間 ファヒームディダール を呼び出し、改良工事の責任者に任命しました。技術者 樋口孝 と共に現地で鍛えた頼もしい存在でした。

しかし2019年12月4日。
現場に来ない中村を不審に思っていたところ、電話が鳴ります。

「中村先生が撃たれた。」

移動中の車が襲撃され、同行の5人とともに命を落としました。
現場は止まり、「もう続けられない」という声もありました。

10か月後、ファヒームとディダールは全身全霊で現場に戻ります。日本からも渡航できない状況で支援チームが結成され、映像を見ながら河川専門家が石の組み方などを遠隔で助言しました。

さらにタリバン政権復活後は送金も止まり、資金が届かない日々が続きました。
それでも2人は工事を諦めず、農作物の売上を工事費に回し、自分たちの給料も削り続けました。

1年半後、工事はついに完成しました。

2025年地震支援と、今も生き続ける中村哲の言葉

2025年8月31日、アフガニスタン東部で大きな地震が発生。
日本では ペシャワール会 のボランティアが現地の様子を伝え、資金を集めました。ファヒームとディダールら現地スタッフは、支援が届かない山岳地帯に食料や毛布を届け続けました。

2019年の葬儀では、当時の ガニ大統領 自らが中村の棺を担ぎ、その功績を讃えました。
最後に紹介されたのは中村の言葉です。

『世界がどうとか、国際貢献がどうとかに煩わされてはいけない。出会った人、出会った出来事の中で、人として最善を尽くすことではないか。』

この言葉は今も現地で働く仲間たちの支えとなっています。

まとめ

アフガニスタンの大地を変えたのは、医師 中村哲 の強い思いと、現地の人々、そして支援者たちの力でした。
診療から灌漑へ舵を切った決断、13kmの用水路建設、仲間の死を乗り越えた挑戦、そして彼の死後も続いたプロジェクト。
緑の大地は、ただの水路ではなく、人の心と希望がつないだ歴史そのものです。

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用水路建設で大事な「地形の読み方」を紹介します

しげゆき
しげゆき

ここからは、私からの提案です。用水路づくりに欠かせない地形の見極め方をさらに詳しく伝えます。実際の工事では、目の前の土地をよく観察し、その性質を深く理解することが欠かせません。とくにアフガニスタンのような乾いた土地では、地形の読み違いがそのまま水不足や農作物の不作につながるため、細かい判断がひとつずつ積み重ねられていきます。

勾配(傾斜)の見極め

用水路は、水が自分の力だけで流れるように、ちょうどよい傾きをつけることが大切です。傾きが弱いと水が止まり、強すぎると土が削られて水がこぼれてしまいます。一般的な農地用の水路は「1:500」や「1:300」ほどの、わずかな傾きが目安になります。山が続く場所や、起伏の多い土地では、自然の斜面を慎重に読み取りながら、できるだけ均一な傾きで進められるルートを探していきます。こうした作業は、地図の数字だけではわからない小さな起伏まで読み取る必要があり、土地との対話のような作業になります。

地形の高低差を正しくつかむ

水の流れを安定させるためには、谷や尾根、土の盛り上がりを正しく理解することが欠かせません。地図に描かれた等高線(コンターライン)をたよりに、どこが高く、どこが低いのかを細かくチェックします。とくに急な下り坂が現れる場所では、水が勢いを持ちすぎてしまうため、落差をやわらげるための構造を入れたり、水のスピードを調整する工夫が必要になります。こうした調整があることで、長い距離の水路でも安心して水を運ぶことができます。

地質を理解して、水がもれるのを防ぐ

砂や砂利が多い地域では、地面が水を吸ってしまうため、せっかくの水が途中で減ってしまいます。そこで重要なのが、水路の底や壁に使う防水の工夫です。ライニングと呼ばれる方法で、地面に水がしみこみにくい素材を敷き、水の流れを保つようにします。これは水をただ運ぶだけでなく、農地全体の水の量を安定させるための大切な作業です。また、地盤が弱い場所では、時間がたつと水路が崩れることもあるため、土の強さも慎重に調べます。

水源と取水口の最適な位置を読む

どこから水を取り入れるかは、水路づくりで最も重要な判断のひとつです。川の流れ方、山の形、水が集まりやすい場所など、自然の仕組みを丁寧に読み取りながら取水口の位置を決めます。また、大雨や洪水の時に水路が壊れないように、流れすぎた水を逃がす場所も必要になります。こうした仕組みがしっかりとつくられることで、長い期間にわたって水が安定して届けられるようになります。

地元の人々と自然との調和を考える

水路が完成したあとは、地域の人たちが長く使い続けていくことになります。そのため、地形に無理をさせず、地域の暮らしのリズムに合ったルートを考えることも大切です。季節の雨の変化や、雪解け水が流れ込む時期などを踏まえながら、自然の力に逆らわずに水が流れる道を整えていきます。こうした配慮があることで、地域に根づいた水の仕組みとして、長い年月を支える存在になります。

地形を読むことは、いのちをつなぐ道を描くこと

用水路づくりは、ただ地面を掘るだけの作業ではありません。その土地の姿、水が進む道、土の性質、季節の変化を理解しながら、水がいちばん自然に進むルートを探していきます。こうした丁寧な積み重ねによって、生きものや人々の暮らしを支える“水の道”が生まれます。緑が戻り、作物が育ち、人々の生活が守られるのは、この地形を読み取る技術と、自然と向き合う姿勢があってこそです。


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