オモチャの技術が月に届いた夜 新プロジェクトX(2025年12月20日放送)
このページでは『新プロジェクトX(2025年12月20日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
オモチャとして生まれた発想が、なぜ宇宙開発の最前線で力を発揮したのか。世界最小の月面ロボット『SORA-Q』が誕生し、月面で使命を果たすまでの道のりを、技術と人の歩みの両面からたどります。
日本の月探査が直面していた世界的な競争環境
世界の宇宙開発は、再び月を中心に大きく動き始めていました。アメリカは月に眠るとされる水資源に注目し、人が長期滞在できる基地建設を目指す『アルテミス計画』を進めています。月の永久影には氷が存在すると言われ、その氷を電気分解すれば水素と酸素を得られ、将来の燃料にもつながる可能性があります。
中国やインドも次々と月面着陸に成功し、月は単なる到達点ではなく、次の宇宙探査へ向かう中継地点として位置づけられるようになっていました。こうした世界的な流れの中で、日本はどのような形で月探査に参加するのか、その戦略が問われていました。
小型ロボットにこだわり続けた久保田孝の構想
JAXAで長年月探査の検討に携わってきた久保田孝は、一貫して小型ロボットによる探査を主張してきました。大型で高価な機体ではなく、小さくても確実に役割を果たす探査機こそが、日本の技術を生かす道だと考えていたからです。
久保田は子どもの頃からロボットやオモチャに強い興味を持ち、宇宙で活躍するロボットを作ることを将来の夢としてきました。NASAへの留学を通じて、小型化が宇宙開発で持つ意味を実感し、身近なオモチャの構造や仕組みが、宇宙技術のヒントになると確信するようになっていきます。
オモチャ開発者・渡辺公貴との出会い
2015年、JAXAは民間のノウハウを積極的に取り入れる新たな体制を整えます。その中で久保田が小型ロボットの共同開発パートナーを募集し、応募してきたのが二足歩行ロボットの開発者・渡辺公貴でした。
渡辺は身長184センチの元学生力士で、大学相撲の団体戦で全国優勝を経験しています。自分が大きかったからこそ、小さなオモチャに強く惹かれてきたと語り、極小サイズのロボットを追求しギネス世界記録にも登録されました。しかし、その後8年間は大きなヒットに恵まれず、社内では厳しい状況に置かれていました。それでも、オモチャで培った技術を宇宙に生かしたいという思いが、久保田の構想と重なりました。
トランスフォーマー発想から生まれた変形構造
最初の打ち合わせで久保田が用意したメモには、『トランスフォーマー』『小さいボールからロボットへ』という言葉が記されていました。これは、渡辺が関わってきた変形玩具の代表的な発想です。
渡辺はこのアイデアをもとに検討を重ね、1年3か月をかけて直径10センチの試作機を完成させました。球体から変形し走行する構造は、まさにオモチャの技術そのものでした。しかし評価会で披露されたロボットは、13度の坂しか登れず、渡辺自身は納得できる結果ではないと感じていました。
8センチ300グラムという搭載条件の現実
月面ロボットに課された条件は非常に厳しいものでした。直径8センチ、重さ300グラム以内という制限の中で、月面の30度の斜面を移動しなければなりません。
すでに8センチサイズでは走行が難しいことは検証で分かっており、条件を知った渡辺は表情を曇らせます。それでも開発を前に進めるため、二足歩行ロボットの開発で共に取り組んできた米田陽亮に助けを求めました。何度も試作と実験を繰り返しましたが、斜面を登ることはできず、時間だけが過ぎていきました。
偏心車輪による月面走行の技術的突破
行き詰まる中、転機は意外な瞬間に訪れます。風呂から上がった渡辺の頭に浮かんだのは、ウミガメの赤ちゃんの姿でした。ウミガメは急な斜面でも、地面をしっかり押さえながら登っていきます。
その動きに着想を得て生まれたのが、偏心車輪という仕組みでした。モーターの軸を車輪の中心からわずかにずらすことで、地面を押さえる力を生み出します。米田はミリ単位で穴を開け、最適な位置を探り続けました。試作6号機は33度の斜面をゆっくりと登り切り、小型ロボットの基本構造がついに完成します。
自律制御マイコンと画像認識への挑戦
構造が完成しても、月面を自律的に移動し、SLIMを見つけて撮影するという課題が残っていました。ある休日、渡辺が訪れた電子工作の展示会で目にしたのが、自律制御で動くオモチャでした。
そこに使われていたのは、縦5センチ、横2.6センチの小型マイコンでした。このマイコンに可能性を感じた渡辺たちに応えたのが永田政晴です。永田は仲間を集め、SLIMを検出するプログラム開発に着手します。5000枚以上の画像を検証し、改良に2年をかけて、正確に着陸機を捉える仕組みを完成させました。
月面着陸成功とSORA-Qが残した一枚の写真
2023年9月、『SORA-Q』は月を目指して出発しました。2024年1月、着陸の最終段階までは順調でしたが、高度50メートル付近でメインエンジンの一つが脱落するトラブルが発生します。
ロボットの安否も分からない中、地球で待機していた平野大地は月からの電波を捉えました。復元に2日を要して現れたのは、『SORA-Q』が撮影したSLIMの姿でした。ピンポイント着陸の成功を示すその一枚は、長年の開発の積み重ねを静かに物語っていました。
物語は次の世代へ続いていく
『SORA-Q』の挑戦は成果を残し、次の世代へ受け継がれています。米田陽亮は、この物語を子どもたちに伝える活動を続け、宇宙や科学に興味を持つきっかけになればと願っています。
渡辺公貴は母校の同志社大学に戻り、学生たちにロボット技術を教えながら、もう一度月にロボットを送る夢を描いています。オモチャの発想が現実の宇宙開発を前に進めた事実は、これからの挑戦を支える土台になっています。
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もし失敗していたら何が得られなかったのかという視点で見るSORA-Q成功の意味

ここからは筆者からの追加情報として、SORA-Qの成功を「もし失敗していたら」という逆の視点から見ていきます。月面で小さなロボットが動いたという事実の裏には、失われていたかもしれない多くの価値がありました。その一つひとつを具体的に見ていくと、この挑戦がどれほど重要だったのかが、よりはっきり見えてきます。
ピンポイント着陸という日本独自の技術が残した意味
もしSLIMが月面への着陸に失敗していたら、日本が長年取り組んできたピンポイント着陸技術は、実証できないままでした。これまでの月着陸は、数キロから十数キロの誤差があるのが当たり前でしたが、SLIMは誤差をおよそ10メートル程度まで抑えることを目標としていました。この精度が実際に示されたことで、将来、水や氷があると考えられている限られた場所を正確に狙う探査が現実的になります。もしここで失敗していたら、日本の月探査は「狙って降りる」という次の段階に進めず、計画そのものが足踏みしていた可能性がありました。
小さく軽い探査機という選択肢を世界に示せたこと
SLIMとSORA-Qの成功が示したのは、大きくて重い探査機だけが正解ではないという事実です。軽量でコンパクトな設計でも、確実に月へ行き、必要な役割を果たせることが実証されました。もし失敗していたら、「探査は大型で高コスト」という考え方がそのまま残り、小型・低コストで挑戦する流れは広がりにくかったかもしれません。SORA-Qが動いたことで、限られた予算や条件の中でも宇宙探査に挑める道が開かれたと言えます。
月面で実際に動いた自律ロボットが残したデータの重み
SORA-Qが月面で自律的に移動し、撮影し、画像を地球へ送ったことは、単なる成功演出ではありません。実際の月面環境で自律ロボットがどう動くのかという、現場のデータが得られたことが大きな成果でした。もし失敗していたら、机上の設計やシミュレーションだけに頼るしかなく、次の探査に活かせる確かな材料が不足していました。この実働データは、今後の月探査や他の惑星探査でロボットを設計するうえで、欠かせない土台になっています。
想定していなかった環境で得られた貴重な運用実績
SLIMはもともと「月の夜を越える」ことを前提に設計されていませんでした。それにもかかわらず、越夜後に再び機能したという結果は、設計を超えた貴重な実例となりました。もし着陸や運用に失敗していたら、想定外の環境でも機体がどう振る舞うのかという重要な情報は得られなかったはずです。この経験は、今後の探査機づくりにおいて、安全性や耐久性を考える際の大きなヒントとして生きていきます。
失敗していた場合、日本は高精度着陸の実証、軽量設計の価値、自律ロボットの実働データ、想定外環境での運用経験という、未来につながる多くの要素を失っていました。SORA-Qの成功は、写真を撮ったという結果以上に、日本の宇宙探査の選択肢を広げ、次の挑戦へ進むための確かな足場を築いた出来事だったと言えます。
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