絶望の中に見えた光――58年越しに晴れた『袴田事件』の真実
もし、あなたの大切な家族が「やってもいない罪」で“死刑囚”として閉じ込められたら――あなたは、どれほどの年月、その無実を訴え続けられるでしょうか。
1966年、静岡県旧清水市で起きた『袴田事件』は、日本の司法史に深く刻まれた冤罪事件です。味噌会社で4人が殺害された事件で、警察は当時、元プロボクサーの袴田巌を逮捕。激しい取り調べの末に自白を強要し、死刑判決が下されました。
けれども、袴田巌は一貫して「無実だ」と訴え続けました。獄中での日々は48年。その間も、姉の袴田ひで子は弟を信じ、たった一人で社会に訴え続けました。
今回の『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 雪冤“袴田事件”完結編 裁判官の独白 DNA鑑定の真実』(2025年10月4日放送)は、その58年に及ぶ闘いを描き切った、まさに日本の司法の“魂の記録”ともいえる放送でした。
【新プロジェクトX】袴田事件と“みそ漬け実験”とは?姉・袴田ひで子の執念と即日釈放の真実・前編|2025年9月27日
科学が明かした「真実の血痕」――法医学者・本田克也の信念
冤罪を覆す鍵となったのが、DNA鑑定という科学の力でした。
鑑定を引き受けたのは、法医学者・本田克也。しかし、最初から迷いがなかったわけではありません。
本田には、過去に深いトラウマがありました。1990年代に起きた足利事件では、当時導入されたばかりのDNA鑑定で菅家利和さんが犯人とされ、無期懲役となりました。ところが後に本田が再鑑定を行い、DNAが一致しないことを突き止めます。警察庁も再鑑定を実施し、同じく不一致の結果。こうして菅家さんの無罪が確定したのです。
しかし、DNA鑑定を覆したことは警察や検察の威信を傷つけ、「科学の権威を否定した」と激しい非難を浴びました。その経験が、本田の心に深く残っていたのです。
袴田事件で弁護団から再鑑定を依頼されたとき、本田は一度は断りました。「また同じような苦しみを味わうのではないか」と。けれども、弁護団の必死の訴えと、姉・ひで子の「どうしても弟を助けたい」という一心の思いに心を動かされ、再び試験管に向かいました。
本田は血液細胞を丁寧に凝集させる方法をとり、精密なDNA鑑定を実施。その結果、決定的な事実が浮かび上がりました。
――シャツの血痕は、袴田巌のDNAと一致しなかった。
犯人とされた彼の“決定的証拠”が、実は彼のものではなかったのです。
2014年3月27日、静岡地方裁判所は再審開始を決定。この日、48年ぶりに袴田巌は外の世界に戻りました。
「正義は沈黙してはならない」――裁判官・村山浩昭の覚悟
再審開始の裏には、もう一人の勇気ある挑戦者がいました。
2012年から事件を担当した裁判官の村山浩昭です。彼が驚いたのは、弁護団が最初に再審を求めてから最高裁の判断が出るまで27年もかかっていたことでした。
村山は、事件の本質を見つめ直すことを決意します。
中でも注目したのは、事件から1年以上も経過してから“突然”発見された5点の衣類。
これらは「犯行時に袴田が着ていた」とされ、死刑判決の大きな根拠となっていた証拠でした。
しかし、法医学者の山崎俊樹が実験を行ったところ、たった3か月でも味噌の中に入れた衣類はすっかり褐色に染まることが判明。
1年以上漬けて「白いまま」という検察の説明は、どう考えてもおかしい。
さらにDNA鑑定の結果も併せて分析した村山は、「もし捜査機関が証拠をねつ造していたのなら、すべての矛盾が説明できる」と確信。
司法の信頼を揺るがすような重大な結論でしたが、彼は逃げませんでした。
「公平に判断して自分で考えた結論を、忖度で変えるようでは裁判官じゃない」
恩師・木谷明の言葉が、村山の背中を押しました。
2014年、静岡地裁は「証拠ねつ造の疑い」を指摘し、再審を開始。さらに村山は前例のない即日釈放を決断します。
正義のために沈黙を破ったその一筆が、司法の未来を変えました。
40年越しの懺悔――死刑判決を書いた裁判官の告白
袴田事件の歴史を語るうえで欠かせない人物が、もう一人います。
事件当時、死刑判決を書いた裁判官の熊本典道です。
彼は晩年、衝撃的な告白をしました。
「本当は、無罪だと思っていた」
しかし、他の2人の裁判官が有罪を主張し、少数意見だった熊本は多数決に押し切られた形で死刑判決を書いたといいます。
判決後、良心の呵責に苦しみ続け、ついに守秘義務を破って告白しました。
司法の現場で、人間の心は常に葛藤しています。熊本の勇気ある言葉は、後の世代に大きな問いを残しました。
姉・袴田ひで子の信念――「弟を信じる心」が動かした社会
袴田巌の釈放後も、戦いは終わりませんでした。
東京高等裁判所は一時、DNA鑑定の信用性を否定。
「5点の衣類もねつ造の可能性は低い」との判断を下したのです。
それでも、姉の袴田ひで子は諦めませんでした。
「何があっても弟を守る」――その強い信念が、周囲の人々を突き動かしました。
支援の輪は全国に広がり、日本プロボクシング協会の新田渉世は世界チャンピオンたちに呼びかけ、冤罪撤回の声を上げました。
さらに、猪野待子が立ち上げた「袴田さん支援クラブ」では、釈放後の生活を支える活動が続けられました。
そして2023年、東京高裁が「衣類はねつ造の疑いがある」と再審を決定。
翌年の2024年9月26日、静岡地方裁判所が正式に無罪判決を言い渡しました。
この瞬間、58年にわたる戦いが終わりを迎えたのです。
正義を追い続ける者たち――その後の歩み
無罪が確定しても、挑戦は終わっていません。
村山浩昭は再審制度の見直しや証拠開示ルールの整備に奔走。
本田克也は冤罪被害者を支援するNPOを立ち上げ、科学の力で人を救う活動を続けています。
山崎俊樹と小川秀世は、過酷な取り調べや証拠ねつ造を行った捜査機関の責任を問う裁判を起こしました。
そして、袴田巌。
現在89歳。静岡で穏やかな日々を送りながらも、その存在自体が「司法と人間の尊厳」を問い続けています。
真実を求めること、それは“人間であること”の証
この記事のポイントは以下の3つです。
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科学の力が冤罪を覆した――『DNA鑑定』が正義を照らした。
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勇気ある裁判官の判断が、司法の限界を打ち破った。
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姉の信念と市民の支援が、社会を動かした。
正義は法の中にあるだけではなく、人の心に宿るもの。
科学者、裁判官、そして一人の姉。彼らの信念が58年の闇を照らし、司法に「人間の良心」という灯をともしました。
この物語は、過去の事件ではなく、いまを生きる私たちへの問いかけです。
「間違いを認める勇気を、社会は持てるのか」。
その答えを探す旅は、まだ続いています。
出典:NHK『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 雪冤“袴田事件”完結編 裁判官の独白 DNA鑑定の真実』(2025年10月4日放送)
https://www.nhk.jp/p/projectx/
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