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NHK【大追跡グローバルヒストリー】ミクロネシア 謎の巨大ファミリーと森小弁の真実|2025年9月22日★

大追跡グローバルヒストリー

ミクロネシアに渡った日本人と巨大ファミリーの謎

南の島々を旅すると、思いがけず耳にする日本語。「シライ」「アイザワ」「ハシグチ」、そして圧倒的に多い「モリ」という名字。遠く離れたミクロネシア連邦で、なぜ今も日本の名字が受け継がれているのでしょうか。そこには130年以上も前に南洋へ渡った一人の日本人・森小弁と、彼が築いた巨大ファミリーの物語が横たわっています。この記事では、番組で描かれたエピソードをもとに、日本とミクロネシアの歴史的な交差点を解き明かします。

森小弁、南の島へ渡った理由と挑戦

1891年、旧土佐藩士の次男として生まれた森小弁は、若い頃から自由民権運動に関わり、後藤象二郎板垣退助の活動に触れていました。彼は日本の政治改革に熱意を燃やしましたが、金権政治に失望し、「海の向こうで新しい未来を切り開こう」と決意します。そのきっかけとなったのが、南洋調査から持ち帰られた一つのヤシの実。それは当時の日本人にとって未知の世界、ミクロネシアへの扉でした。

チューク諸島で築いた新しい人生

小弁がたどり着いたのはチューク州ウェノ島。そこでは部族間の抗争が絶えず、混乱の渦中にありました。武士の出自を持つ小弁は部族の人々と共に戦い、勇敢さを示すことで信頼を勝ち取りました。しかし、銃弾用の火薬を調合中に爆発事故が発生し、右手を失います。絶望の中でも彼は立ち上がり、自らを「左拳」と号して島に戻りました。この強さに心を打たれた部族長マヌッピスは、娘ノヌトーとの結婚を許し、やがて7世代3000人を超えるモリ・ファミリーが誕生することになります。

地域社会に残した大きな足跡

森小弁はただの冒険者ではありません。彼はトール島(水曜島)で運河を建設し、100メートルを超える水路を切り開きました。さらに、島の子どもたちの教育のために学校を設立。文化面では、日本から「運動会」を持ち込みました。このイベントには周辺の島々から人々が集まり、1万5000人が参加する大規模行事へと成長。驚くべきことに、この「ウンドウカイ」は現在でも同じ呼び名で続けられているのです。つまり、彼の活動はインフラ整備や教育だけでなく、文化交流の面でも深い影響を残しました。

日本語と名字に残る移民の痕跡

番組では、ウェノ港や市場で今も日本語が多く使われている様子が映し出されました。現地では「シライ」「アイザワ」「ハシグチ」など、日本の名字がそのまま受け継がれています。中でも「モリ」という名字は突出して多く、森小弁の子孫がどれほど広がったかを物語っています。現在、ミクロネシア連邦の人口の約2割が日系人とされ、移民の歴史が地域社会に根強く息づいていることがわかります。

中山正実とトシオ・ナカヤマ親子の試練

もう一つの大きな物語は中山正実と息子トシオです。1918年、18歳で渡航した正実は現地女性と結婚し、6人の子をもうけます。しかし、太平洋戦争の敗戦後、アメリカ軍の強制送還によって家族は引き裂かれました。正実は品川から息子に手紙を送り、「島には戻れない、私のことは忘れて生きてほしい」と記します。父を失ったトシオは、英語を必死に学び、統治政府の職員に抜擢されました。彼の努力の原動力には「父に再会したい」という強い願いがあったのです。

14年ぶりの再会、そして独立への道

1961年、29歳となったトシオは父を探しに日本へ。唯一の手がかりは「品川」という地名だけでしたが、日本人たちの協力でついに14年ぶりの再会を果たします。やがて正実は島へ帰還し、親子は再び暮らせるようになりました。この経験を経て、トシオはミクロネシア連邦の初代大統領に就任。彼は国の独立を導いた建国の父として歴史に名を刻みました。その背後には、父との別離と再会という個人的な物語が大きな影響を与えていたのです。

家族の物語が歴史を動かす

番組の中で劇団ひとりが指摘したように、幕末から明治にかけての高知には「世界を変えよう」という気風が漂っていました。坂本龍馬板垣退助と同じ土壌から生まれた森小弁もまた、その気概を持ち南の島に飛び込みました。彼の子孫と、中山家の物語が重なり合い、ミクロネシア独立の歴史に結びついていく。これは偶然ではなく、移民が地域社会に深く溶け込み、家族が次の世代へと力をつないでいった結果です。

まとめ

この記事のポイントは以下の3つです。

  • 森小弁は高知の自由民権運動から南洋へ渡り、運河や学校を建設し、文化を伝え、3000人を超える巨大ファミリーを残した

  • 中山正実とトシオ・ナカヤマの親子は、戦争による強制送還と離別を経験しつつも、再会を果たし、その経験が独立運動の原動力となった

  • 日本とミクロネシアの関係は、国家間の外交だけでなく、人々の暮らしや家族の物語の中にこそ深く刻まれている

ミクロネシアに残る名字や言葉は、単なる過去の遺産ではありません。そこには移民が築いた地域社会と、世代を超えて続く「家族の力」が宿っています。私たちが忘れがちな歴史は、今も生きた文化として息づいているのです。


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