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【おとなのEテレタイムマシン】わたしの自叙伝 石垣綾子〜大恐慌のアメリカに生きて〜  主婦という第二職業論が生まれた原点―移民女性のリアルなアメリカ体験|2025年11月11日

おとなのEテレタイムマシン

彼女が見たアメリカと、女性としての生き方の原点とは

1926年、石垣綾子は姉夫婦の渡米に同行してアメリカへ渡りました。ニューヨークではコロンビア大学で聴講しながら、多様な人種や社会階層の現実を肌で感じます。1929年、世界を襲った『大恐慌』の真っただ中、街には職を失った人々があふれ、暗い表情で立ち尽くす光景を目にしました。彼女はそのとき、社会の仕組みの中で女性や移民がどれほど不安定な立場に置かれているかを痛感します。
「誰もが声を上げなければ、何も変わらない」。この思いが、彼女を評論家の道へと導いたのです。働く女性、そして異国で生きる移民の姿に共感しながら、石垣綾子は「社会を変える視点」を自分の中に育てていきました。

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戦争の時代に掲げた「平和」という旗

1930年代、日本が中国への侵攻を進める中で、石垣は祖国の姿に深い憂慮を抱きます。アメリカに暮らす彼女は、日系移民向け新聞やリベラル系雑誌に寄稿し、戦争反対を訴える論説を発表しました。彼女の主張は、「敵を憎むのではなく、対話によって平和を築く」というものでした。
1940年には筆名Haru Matsuiで『Restless Wave: A Life in Two Worlds』を出版。これは自身と夫石垣栄太郎、そして異国に生きる女性たちの実体験を描いた作品で、アメリカ社会における戦争の狂気と女性の生きづらさを冷静に見つめた内容でした。
しかし翌年、日米開戦。二人は“敵性外国人”として監視され、活動の制約を受けます。夫の職も奪われ、孤立無援の中で生活は困難を極めました。それでも石垣は筆を折らず、講演会では「憎しみの連鎖を断つことこそが人間の使命」と語りました。戦争が進む中でも、彼女の信念は変わることなく、やがてその姿勢は「反戦思想の象徴」として評価されます。
1951年、マッカーシズムの嵐が吹き荒れる中、共産主義の疑いをかけられた彼女と夫は日本への帰国を余儀なくされました。それでも彼女は「言葉で社会を変える」という信念を胸に帰国後も執筆を続けたのです。

日本で挑んだ「女性の生き方改革」

戦後の日本では、家庭に戻ることを理想とする“良妻賢母”の価値観が再び広がっていました。そんな時代に、石垣は1955年に『主婦という第二職業論』を発表します。そこでは「家事も尊い仕事だが、それだけで人生を終えるのはもったいない」と述べ、女性が外の世界で学び、働き、社会に関わることの重要性を訴えました。
この主張は大きな反響を呼び、「主婦論争」として新聞・雑誌を賑わせます。賛否両論の中でも、石垣は揺るがず「女性が家庭の中で自己を犠牲にする時代は終わった」と語りました。彼女にとって“新しい女性”とは、結婚や出産をしても学びをやめず、自分の意見を社会に発信する存在でした。
講演活動やテレビ出演でも彼女は常に笑顔で語りかけます。「声を上げる女性が増えれば、社会は必ず変わる」。その言葉は多くの働く女性や主婦に勇気を与え、後の女性運動の土台となりました。

評論家としての功績と思想の継承

石垣綾子は、戦後日本の言論界で数多くの著書を残しました。代表作には『女が変える社会』『私のアメリカ』『平和を生きる力』などがあり、どの作品にも「平和と女性の自立」というテーマが貫かれています。
また、晩年まで講演活動を続け、教育現場や市民団体で「考える力」「語る勇気」を育てることを重視しました。彼女の言葉は、若い世代の女性たちにも影響を与え、社会の中で自分の居場所を探す人々の背中を押しました。

いま、石垣綾子から学ぶこと

彼女の生涯を通して浮かび上がるのは、「どんな時代でも人間らしく生きる」という普遍のテーマです。大恐慌の混乱、戦争の悲劇、性別の壁――それらに翻弄されながらも、彼女は常に“考え、発信し、歩み続ける”姿勢を貫きました。
2025年のいま、社会は再び分断と不安の時代を迎えています。そんな時こそ、石垣綾子の言葉が教えてくれます。
「平和は、遠い理想ではなく、私たち一人ひとりの日常の中にある」
その信念は、時代を越えて今も輝きを失いません。

まとめ

この記事のポイントは以下の通りです。
・1920〜30年代のアメリカで『大恐慌』を体験し、社会の不平等を自らの問題として受け止めた
・戦時中は反戦・平和を訴える活動を続け、『Restless Wave』で人間の尊厳を描いた
・戦後日本では『主婦という第二職業論』を発表し、女性の自立と社会参加を提唱した

石垣綾子の生涯は、時代の制約を超えて「自分の言葉で生きる」ことの大切さを教えてくれます。彼女の思想は、これからの社会における平等・平和・多様性の礎として、未来へと受け継がれていくでしょう。

最後に、番組の内容と異なる場合があります。

参考・出典リンク

・ウィキペディア:石垣綾子(生涯・活動・著作)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/石垣綾子

・新宿区立図書館データベース:人物ゆかりの地「石垣綾子」
 https://www.library.shinjuku.tokyo.jp/database/jinbutuyukari/010/post276.html

・Discover Nikkei:Ayako Ishigaki — The Restless Wave(ディスカバー・ニッケイ公式サイト)
 https://discovernikkei.org/ja/journal/2020/10/20/ayako-ishigaki/

・オージオ公式サイト(OZIO):女性を変えた日本のヒロインたち – 石垣綾子
 https://ozio.jp/community/heroine/80.html

・太地町観光協会(和歌山県):石垣記念館(石垣栄太郎・綾子夫妻の功績)
 https://taiji-kanko.jp/facilities/ishigaki-memorial-museum2.html

・コトバンク:石垣綾子 – 主婦論争と評論活動
 https://kotobank.jp/word/石垣綾子-1053005

・立命館大学生存学研究センター(ARSVI)アーカイブ:石垣綾子の著作一覧・言説資料
 https://www.arsvi.com/w/ia06.htm

・英語版Wikipedia:Ayako Ishigaki(英語資料・出版情報)
 https://en.wikipedia.org/wiki/Ayako_Ishigaki


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