パスタから読み解くイタリアの歴史
このページでは『木村多江の、いまさらですが… パスタから観たイタリア史(2026年2月23日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
ローマ帝国の繁栄、ゲルマン人大移動、大航海時代、そして統一運動まで。ひと皿のパスタを手がかりにたどると、イタリアという国の歩みがくっきりと見えてきます。食卓にのぼる料理が、実は歴史そのものだったと気づかされる回です。
パスタがユネスコで評価された理由
この回の入口は、パスタをふくむイタリアの食文化が、家族や地域のつながりを育てるものとして評価された、という話です。
近年、ユネスコは「食」を、ただのおいしさだけでなく、人と人を結び直す“暮らしの文化”として見ています。
実際に「イタリア料理(イタリアの料理文化)」は、二〇二五年にユネスコの無形文化遺産(人類の無形文化遺産の代表一覧表)に登録された、とユネスコ公式ページで示されています。
ニュースでも、登録決定(二〇二五年十二月)の流れが報じられています。
番組が言う「家族やコミュニティとつながる手段」という見方は、ユネスコが食文化でよく強調するポイントと重なります。
たとえば地中海の食文化(地中海式食事)は「いっしょに食べること」が文化の土台だと説明されています。
ローマ帝国とパスタの原型
紀元前二十七年、オクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)が実権を固め、ローマは大帝国として整っていきます。
道路や都市が整い、人や物が動きやすくなると、食も広がりやすくなります。
ここで番組が触れる「パスタの原型」については、今のスパゲッティそのものではなく、粉と水で作る生地をのばした料理(ラガナのようなもの)が、古い時代から知られていた、というイメージです。
パスタ史の話題では、古代に“薄い生地”の料理があった、という説明がよく出てきます。
筆者メモとして少し補足すると、当時の主役は「長期保存の乾麺」よりも、粉を練ってすぐ食べるタイプの料理だったと考えると分かりやすいです。
保存がきく乾いたパスタが本格的に広がるのは、もっと後の時代の工夫(乾燥・流通)と結びついていきます。
ゲルマン人大移動で消えた食の記憶
ローマの世界がゆらぐ大きな流れとして語られるのが、いわゆる「ゲルマン人大移動(民族移動の時代)」です。
四〜六世紀ごろを中心に、大きな人の移動が起き、西ローマ帝国の崩壊へつながった、と説明されています。
番組の「パスタが歴史の闇に消える」という言い方は、レシピがゼロになったというより、戦乱や移動で“記録や安定した食の形”が残りにくくなった、という意味で受け取ると自然です。
暮らしが不安定になると、同じ作り方を守るより、手に入る材料で生きのびる方が先になります。
食文化は、平和と流通が戻ってきたときに、また強く育ち直します。
大航海時代 トマトがイタリアに来た
次の転機が大航海時代です。
トマトは南北アメリカ原産で、コロンブス交換の流れで十六世紀にヨーロッパへ伝わった、とされています。
ここが面白いところで、イタリア料理=トマト、と思いがちですが、最初からそうだったわけではありません。
伝わった当初は観賞用だった時期もあり、食として根づくまで時間がかかった、という説明もあります。
でもいったん相性が見つかると、パスタとトマトは、地域の味として強く結びついていきます。
統一運動とガリバルディ パスタが結ぶ国
フランス革命後の時代、イタリアは統一へ向かう動き(リソルジメント)が強まります。
番組では、英雄ガリバルディが「パスタを愛する者同士が一つの国にまとまる喜び」をたたえた、と紹介されています。
この“パスタが国を結ぶ”という表現は、後世に引用されることがあり、ガリバルディの言葉として紹介される例も見つかりますが、出どころの確認が難しいタイプの話でもあります。
なので記事では、番組に合わせて「そう語られています」「そう伝えられています」と、少し距離を置いた書き方が安全です。
それでも、言いたいことは伝わります。
地域ごとに言葉も文化も違うイタリアで、食卓にのぼるパスタは、だれの家にもある“共通の景色”になりやすい。
国の形が変わる大きな歴史の中でも、鍋から立つ湯気と、家族が集まる音は、同じように続いていくんですね。
まとめ
本記事は番組情報をもとに構成していますが、放送内容と一部異なる場合があります。今回のテーマはパスタから読み解くイタリア史。ローマ帝国から統一運動まで、食文化を通して国の歩みをたどる内容です。
Eテレ【木村多江の、いまさらですが…】豊臣秀長〜天下一統を支えた男〜|略奪禁止の理由と大和郡山城下町、20万人が集まった葬儀の真実|2026年1月26日
ナポリと乾燥パスタ産業の発展

番組では触れきれない背景として、ここでぜひ紹介したいのが、ナポリと乾燥パスタ産業の関係です。イタリア南部のナポリ周辺、とくにカンパーニア州グラニャーノは、乾燥パスタの発展地として知られています。なぜこの地でパスタ産業が広がったのか。その理由は、気候と風にありました。
乾燥に適した気候と風
ナポリ湾に面したこの地域は、日差しが強く、空気がよく通ります。山と海に囲まれた地形によって、ほどよい乾いた風が吹き抜けます。この自然の風が、打ちたてのパスタをゆっくり均一に乾かすのに最適でした。昔は機械ではなく、外に並べて天日で乾かしていました。水分をしっかり抜くことで、長く保存できる丈夫な麺になります。自然の力が、そのまま産業の土台になったのです。
グラニャーノが「パスタの町」と呼ばれる理由
グラニャーノは「パスタの町」として世界的に知られています。十八世紀ごろには多くの工房が立ち並び、町じゅうで麺を干す風景が広がっていました。小麦粉は南イタリア産の硬質小麦が使われ、弾力のある麺が作られます。乾燥工程をていねいに行うことで、ソースがよく絡む質の高いパスタが生まれました。今もこの町の名前は高品質の証として語られています。
機械化と世界への広がり
十九世紀に入ると、蒸気機関などの技術が導入され、生産量が一気に増えました。それでも基本は、乾燥を大切にする製法です。保存がきく乾燥パスタは、船で運ぶのにも向いていました。こうしてナポリから各地へ、そして世界へと広がっていきます。パスタは家庭の料理でありながら、町を支える産業にもなりました。自然と歴史が重なって生まれたこの流れこそ、イタリア食文化の力強さを物語っています。
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