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NHK【新プロジェクトX】任天堂とソニーの“幻の共闘”から生まれたプレイステーション秘話|2025年10月11日

新プロジェクトX
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ゲームの未来を変えた“異端児たち”の挑戦

ゲームが“子どもの遊び”から“世界を動かす産業”へと進化した裏側には、常識を超えた発想で時代を切り開いた技術者たちがいました。あなたは知っていますか?あのプレイステーションが誕生するまで、そこにどんなドラマがあったのかを――。
この記事では、NHK「新プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で描かれた「異端児たちのゲーム機革命 電機メーカー 新時代への一手」の全エピソードをもとに、久夛良木健大橋正秀ら“挑戦者たち”の軌跡をたどります。読めば、ゲームが単なる娯楽ではなく「夢を形にした技術」であることが、きっと伝わるはずです。

下町の少年が世界を変える一歩を踏み出した

1975年、日本はオイルショックの影響で深刻な景気後退に陥り、企業倒産や失業が相次いでいました。そんな厳しい時代に、ソニーに新入社員として採用されたのが若きエンジニア久夛良木健です。彼は東京都下町の小さな印刷所の家庭に生まれ、体が弱く、外で遊ぶことよりも家の中で機械を分解したり組み立てたりすることに夢中な少年でした。家には壊れたラジオやモーターが転がり、それをいじって動かすことが彼の楽しみでした。周囲からは“変わり者”と見られることもありましたが、その好奇心こそが彼を技術者の道へ導きました。

ソニー入社後、久夛良木はデジタル信号処理など、当時としてはまだ新しかった分野にのめり込み、夜遅くまで研究室にこもる日々を過ごしました。上司からは「そんなものが本当に役に立つのか」と言われることもありましたが、彼はブレませんでした。「自分が面白いと思うことを形にする」。それが彼の信念でした。

1983年、任天堂が発売した家庭用ゲーム機『ファミリーコンピュータ』――通称ファミコンが爆発的な人気を集め、日本中にゲームブームが巻き起こります。白と赤のコンパクトな本体に、マリオやドンキーコングといったキャラクターが画面の中を動く姿は、まさに新時代の象徴でした。

この現象を目の当たりにした久夛良木は強い衝撃を受けます。「ゲームがここまで人を夢中にさせるのか」と。そしてすぐに任天堂を訪ね、「もっと多彩な音を出せるゲーム機を作りたい」と直談判します。当時の家庭用ゲーム機は、同時に鳴らせる音がわずか3音ほどで、メロディは単調でした。久夛良木はソニーの音響技術を応用し、より立体的で豊かなサウンドを実現しようと考えたのです。

彼が中心となって開発した音源チップは、後に『スーパーファミコン』に搭載されることになります。このチップによって同時発音数は3音から8音に増え、ゲーム音楽は一気に表現力を増しました。作曲家たちはコード進行やハーモニーを駆使できるようになり、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』などの名曲が次々と誕生します。電子音から“音楽”へ――ゲームサウンドの進化は、この小さなチップから始まったのです。

当時、ソニー社内では「ゲームなんて子どもの遊び」と言う声も少なくありませんでした。しかし久夛良木は、音と映像を融合させた“新しいエンターテインメント”の可能性を誰よりも信じていました。彼の挑戦は、やがてプレイステーションという革命的なゲーム機の誕生へとつながっていくことになります。

CDが導いた、デジタル革命の扉

久夛良木健は、次の時代のゲームに必要なのは「音」と「映像の自由度」だと考えていました。当時のゲームソフトはカセット式で、容量の制限が大きく、表現にも限界がありました。もっと映画のような世界を作りたい――その思いから、彼はCD-ROMという新しいメディアに注目します。音楽や映像の分野ではすでに活用が進んでおり、データ量はカセットの100倍以上。これをゲームに使えば、よりリアルで立体的な体験が実現できると確信していました。

久夛良木は社内で猛反対にあいながらも、ソニーミュージックに足を運び、音楽業界の技術者たちに協力を求めました。CDを単なる“音楽の媒体”ではなく、“デジタルエンターテインメントの器”として使うという発想は、当時としては前例のないものでした。彼は「音楽もゲームも、同じく感動を届けるものだ」と語り、業界の壁を越えて手を組みます。ソニーミュージックの音響技術や生産ノウハウが加わり、ゲームソフトの制作環境は大きく変わっていきました。

その頃、任天堂との関係にも転機が訪れます。共同で開発していたCD-ROM対応の新型ゲーム機計画――いわゆる「プレイステーション計画」が進んでいた最中、任天堂が海外メーカーフィリップスと同様の構想を進めていることが明らかになったのです。この知らせはソニー社内に衝撃を与えました。これまでの協力関係が一瞬で崩れ去り、計画は白紙に戻ります。

しかし久夛良木は諦めませんでした。「自分たちだけで作ればいい」。その言葉通り、彼はソニー単独での家庭用ゲーム機開発に踏み切ります。当時、電機メーカーがゲーム市場に参入することは“無謀”とされていました。社内では「おもちゃに手を出すのか」と批判され、理解者はほとんどいませんでした。

それでも彼は、これまで積み上げてきた技術を信じていました。CD-ROMの高容量を生かせば、音楽・映像・ストーリーを融合した全く新しいゲーム体験が作れる。その理想を胸に、久夛良木は少数の仲間を集め、ソニー発のゲーム機開発を本格的にスタートさせます。これが、後に世界中を席巻するプレイステーション誕生への第一歩でした。

3D時代の幕を開けた“技術の融合”

1992年、久夛良木健は新たな挑戦に踏み出しました。目指したのは、「家庭でリアルタイム3DCGを再現する」という前人未踏の目標でした。当時、3D映像は映画や放送業界の限られた領域でしか扱えず、1秒の映像を作るのに数日を要するほどの処理時間が必要でした。それを“家庭のテレビで動かす”という発想は、常識では不可能とされていたのです。

久夛良木が着目したのは、ソニー社内でテレビ局向けに使われていたシステムGと呼ばれる映像処理装置でした。これは、放送用CGをリアルタイムに合成するためのシステムで、当時としては革新的な技術でした。彼はその仕組みを家庭用ゲーム機に転用できないかと考え、装置全体をわずか1センチ四方の半導体チップに凝縮するという大胆なアイデアを打ち出します。大規模な装置を手のひらサイズに詰め込むという試みは、社内でも「無謀だ」と言われましたが、彼は諦めませんでした。

チップの開発は順調に進んだものの、次の壁が現れます。それは“陰影”と“質感”の再現でした。3Dの形を作るだけではリアルには見えない。光の反射や影の落ち方まで計算できなければ、立体感は生まれないのです。この課題を乗り越えるために、久夛良木が協力を求めたのが東芝の技術者、大橋正秀でした。

大橋は、アメリカの研究機関で最先端の3Dグラフィックス技術に触れ、日本に戻ってからもその応用を模索していた人物です。帰国後、彼は社内で3D描画チップの研究を続けていましたが、当時の日本企業ではその可能性が理解されず、孤立していました。彼のアイデアに関心を示したのは、のちにAppleを率いるスティーブ・ジョブズだけでした。ジョブズから共同開発の話があったほど、大橋の技術力は世界でも注目されていたのです。

そんな大橋に久夛良木が直接会い、「100万台売れる家庭用ゲーム機の心臓部を一緒に作ってほしい」と語ります。大胆で無鉄砲とも思える依頼でしたが、大橋はその情熱に心を動かされます。こうして、ソニー東芝という二つの巨大企業の垣根を越えた“異例の共同プロジェクト”が始動しました。

開発チームは日夜、半導体の設計に取り組み、映像をリアルタイムで処理するための演算能力を限界まで高めていきました。わずか数ミリのチップに、ポリゴン描画や陰影処理のアルゴリズムを組み込み、ゲームの世界に「光」と「空気感」を吹き込むことに成功します。これは後にプレイステーションの象徴となる“リアルな3Dグラフィック”の礎となりました。

久夛良木と大橋――異なる分野で孤独に戦ってきた二人の技術者が出会ったことで、ゲームの表現は“平面”から“立体”へと進化し、エンターテインメントの未来が動き始めたのです。

“異端児”たちが集まった日

ハードの完成が見えてきた久夛良木健たちの前に、次なる大きな壁が立ちはだかりました。それがソフト開発でした。どれほど高性能なハードを作っても、その魅力を体験として伝えるには、ユーザーの心を動かすソフトが必要でした。リアルタイム3Dを生かしたゲームを作るには、従来の2Dゲームとはまったく異なるノウハウが求められ、しかも莫大なコストと時間がかかります。

当時のゲーム業界にとって、ソニーは“電機メーカー”という印象が強く、ゲーム制作の経験がない新参者として見られていました。「テレビを作る会社が、どうしてゲームを?」と半ば冷ややかに扱われ、協力してくれるメーカーはほとんどありませんでした。そんな状況の中で唯一、手を差し伸べたのが老舗ゲームメーカーのナムコでした。

ナムコはすでに『リッジレーサー』や『ギャラクシアン3』など、アーケードで3D表現を追求していた企業で、ソニーの技術に強い関心を持っていました。ナムコ側のエンジニアたちは、3Dグラフィックを家庭で動かすという夢に共鳴し、「一緒にやろう」と手を組みます。両社が選んだテーマは、スピード感と立体表現を最大限に活かせるレーシングゲーム。リアルな車体の動き、遠近感のある背景、そして風を切るような音――それらすべてを家庭用ゲーム機で再現しようとする挑戦でした。

中心となって動いたのが、若き技術者竹中康晴です。彼は独学で半導体設計を学び、ハードの構造を理解した上で、ゲームに最適化した専用チップを改良しました。わずかな処理能力の差が映像の滑らかさを変えることを知り、回路を1行ずつ見直し、1フレームでも速く描画できるよう徹底的に調整しました。その執念が、ゲーム表現の限界を押し広げていきました。

試作機が完成すると、久夛良木と竹中は全国のソフトメーカーに直接電話をかけ、デモンストレーションの場を設けました。会場には約60社、300人ものクリエイターが集まり、彼らの前で初めて“家庭用3Dゲーム”の映像が披露されます。画面には、リアルに光を反射する車体、立体的にうねるコース、流れるようなカメラワーク――これまでのゲームにはなかった映像が映し出されました。

発表当初、会場は静まり返っていました。誰もが言葉を失っていたのです。ところが翌日、ソニー本社には問い合わせの電話が鳴り止みませんでした。「この技術を使ってゲームを作りたい」「クリスマス商戦に間に合わせたい」といった熱い要望が殺到し、3D時代の幕開けが現実のものとなりました。

この瞬間、ソニーは“電機メーカー”ではなく“ゲームメーカー”として認められたのです。そして、この出会いが後に家庭用ゲーム史を変えるプレイステーションの誕生へとつながっていきます。

世界を席巻した“革命”の瞬間

構想から3年、数えきれない試作と失敗を経て、ついにプレイステーションが完成しました。1994年12月3日――発売初日、全国の販売店には前日から人々の長い列ができ、夜通しの寒さに震えながらもその瞬間を待ち続ける姿がありました。深夜には行列がニュースでも取り上げられ、「新しい時代の幕開け」と報じられたほどです。初回出荷の10万台は、わずか数時間で完売。棚から商品が消え、店員が段ボールを開けるそばから手が伸びる光景が各地で見られました。

ゲームを起動すると、画面に浮かぶのは独特のロゴ音――低く響く「ブーン」という重厚な起動音は、多くの人の記憶に刻まれています。カラフルなポリゴンが滑らかに動く映像に、子どもも大人も歓声を上げ、これまでのゲーム機では味わえなかった“立体の世界”に没入しました。『リッジレーサー』『闘神伝』『ジャンピングフラッシュ!』など、発売と同時に登場したタイトルが次々と話題となり、ゲームの概念そのものを変えていったのです。

しかし、華やかな発売の裏で、開発を支えた大橋正秀は静かに病と闘っていました。彼は東芝のエンジニアとして、半導体チップ開発の中心に立ち続けてきた人物です。過酷なプロジェクトの日々が続く中で体調を崩し、発売の喜びを見届けた翌年、1996年2月、46歳という若さでこの世を去りました。病床でも大橋は完成したゲーム機を手に取り、「やっと形になった」と家族に微笑んだといいます。

その功績は日本だけでなく、海外でも高く評価されました。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、「世界のゲーム文化を陰で支えた無名の技術者」として彼の名を紹介しました。記事の中では、彼の技術がエンターテインメントの進化を支えた“見えない力”として称えられ、エンジニア精神の象徴とまで評されました。

今でも大橋正秀の自宅には、当時発売された初代プレイステーションが丁寧に保管されています。家族にとってそれは、夫であり父であった彼の“生きた証”そのものであり、電源を入れれば今も彼の情熱が息づいているように感じられるといいます。

そしてもう一人の立役者、久夛良木健はプロジェクト成功後、ソニーのゲーム部門を率い、のちに世界中でシリーズ累計6億台を超える販売を達成しました。現在は近畿大学で教授として教鞭をとり、若いエンジニアたちに“挑戦することの意味”を伝え続けています。彼がかつて語った「ゲームとは、人が自分の世界を創造するための道具」という言葉は、今も多くのクリエイターの胸に残っています。

あの日、二人が築いた情熱の結晶は、単なる娯楽を超えて“文化”となり、今も世界中で回り続けています。

“遊び”が未来を動かすテクノロジーへ

今やゲームは、世界人口の半分近い37億人が楽しむ巨大な文化へと成長しています。かつて“子どもの遊び”と呼ばれていたものが、今では国や言語、世代を超えて人々をつなぐ共通の言語となりました。その中心にあるのが、1994年に誕生したプレイステーションです。リアルタイム3D技術によって生まれた「自分で動かせる物語」は、エンターテインメントの形を根本から変えました。

このゲーム機のために開発された半導体技術グラフィック処理技術は、今やゲーム以外の分野にも広く応用されています。たとえば映画制作では、プレイステーションで培われたリアルタイムレンダリングの技術が活用され、キャラクターや背景の動きを即座に映像化することで、撮影現場の効率化に貢献しています。ハリウッドのVFXスタジオでもこの発想が取り入れられ、『アバター』シリーズのような超大作に応用されるまでになりました。

さらに、AI(人工知能)の分野でもその技術が進化を続けています。ゲームで培われた「リアルな動き」「学習する敵キャラクター」の開発ノウハウは、AIロボットや自動運転システムに応用され、現実世界の行動予測や状況判断にも活かされています。災害分野でも、地形データや被害想定を3Dで再現するシミュレーションに使われ、地震・津波・火山噴火などの防災予測に役立てられています。

また、近年ではVR(仮想現実)の分野でもプレイステーションが先頭を走っています。2016年に登場した『PlayStation VR』は、家庭で高品質な没入体験を可能にし、医療・教育・リハビリなどにも応用され始めています。3D空間で身体の動きを記録・再現する技術は、手術トレーニングや災害現場のシミュレーションにも応用されており、もはや「遊び」の枠を超えた社会的な技術となっています。

かつて社内で“異端児”と呼ばれ、理解されなかった久夛良木健大橋正秀たちの挑戦。その情熱が、いまではAIやVR、映画産業、災害予測といった社会インフラの根幹を支えるまでに発展しました。彼らが見つめていたのは単なるゲームの未来ではなく、「人の創造力を解き放つ技術」の可能性だったのです。

彼らが築いた道の先で、今日も新たなクリエイターたちが世界中で挑戦を続けています。ゲームをきっかけに生まれた数々の技術が、今度は現実をより良く変えていく力へと変わっている――それがこの物語の結末です。

そして、この軌跡が私たちに問いかけます。
「あなたの情熱は、どんな未来を動かすのか?」

この記事のポイントは以下の3つです

・下町出身の技術者・久夛良木健が、任天堂との出会いからゲーム機革命を起こした
・東芝の半導体技術者・大橋正秀との協力でリアルタイム3DCGの実現に成功
・“異端児たち”の情熱がプレイステーション誕生を導き、今のAI・VR技術につながった


出典:
NHK総合『新プロジェクトX〜挑戦者たち〜 異端児たちのゲーム機革命〜電機メーカー 新時代への一手〜』(2025年10月11日放送)
https://www.nhk.jp/p/ts/P92RZ3G6R3/


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