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Eテレ【心おどる茶の湯(3)】竹の茶杓を削る茶人たち 千利休と黒田正玄が語る“竹の声を聴く”美の哲学|2025年10月21日

心おどる 茶の湯 表千家 利休のこころと形

心おどる茶の湯 竹に宿る利休のこころ

茶の湯の中で、最も象徴的な素材のひとつが「竹」です。真っすぐに伸び、節を刻み、清らかでありながらもどこか素朴な姿。千利休はこの竹に、人の生き方や自然との調和を重ね合わせました。NHK『心おどる 茶の湯 表千家 利休のこころと形(3)竹の道具』では、表千家家元・千宗左を案内人に、竹という素材に込められた利休の精神を追いかけます。さらに、十四代 黒田正玄による竹工芸の技、そして茶人たちが茶杓づくりに挑む姿を通して、「わび」の真髄を映し出します。

千利休が愛した「竹」の美学とは

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利休が竹を茶の湯に取り入れた背景には、「自然とともに生きる」という確固たる思想がありました。竹は豪華でも高価でもない、誰の身近にもある素材。しかしその中に、清らかさ・柔らかさ・強さが同居しています。節のある姿は、人の一生を刻むようであり、まっすぐ伸びる姿は誠実さと高潔さの象徴でもありました。
竹の道具は、派手さを求めず、余計な装飾を削ぎ落とした形。これは「侘び(わび)」の世界そのものです。完璧を求めるのではなく、自然のままに委ねることで、美の本質に近づく。利休が大切にしたのは、不完全の中にこそ宿る美でした。

特に茶杓や花入れ、柄杓といった竹の道具には、利休の哲学が凝縮されています。茶杓に使う竹は象牙などの高価な素材ではなく、身近なものをあえて選びました。それは「日常の中にこそ真の美がある」という利休の考えの表れです。たとえ一見地味でも、使い込むうちに色艶が増し、竹そのものが生きているように変化していく。利休はその経年変化を「時の流れとともに歩む美」として慈しみました。
竹はまた、日常と非日常のあわいを結ぶ存在でもあります。自然の素材を茶室という特別な場に持ち込み、飾らずに使うことで、生活と芸術、日常と祈りをひとつにする。それこそが利休が追い求めた「茶の湯の理想」でした。

黒田正玄が語る“道具の魂”

竹の魅力を語る上で欠かせない存在が、千家十職・竹細工・柄杓師の黒田家です。室町時代から400年以上、代々千家の茶道具を手がけてきた名門。現在、その十四代目を継ぐのが黒田正玄氏です。
黒田氏の仕事は、単なる工芸ではなく、「竹と語り合う」ようなものだといわれます。竹は伐ってすぐに使える素材ではありません。切り出した後は水分を抜き、炭火でじっくり燻し、天日にさらし、数年ものあいだ寝かせておく。竹が静かに呼吸を整え、道具として生まれ変わる準備を整える時間です。この工程を経て初めて、職人の手が入ります。

黒田氏は「竹の声を聴く」と表現します。一本一本の竹が持つ節の位置、油分、硬さ、わずかな曲がり具合。どれ一つとして同じものはなく、竹の“性格”を読み取ることが道具づくりの第一歩なのです。茶杓ひとつをとっても、仕上がりの曲線や重みは竹の個性によって変わります。職人はそれを無理に均一化せず、あくまで竹の声に寄り添うように削る。
黒田氏にとって“道具の魂”とは、作り手の技術の誇示ではなく、「素材と使い手の間に生まれる呼吸」そのものです。茶道具は作って終わりではなく、使われることで初めて完成するもの。人の手に渡り、時を経て深みを増していく。その変化を想定して形を整えるのが、職人の美学です。
黒田氏の工房には、そうした「待つ文化」が息づいています。竹を焦らず育て、時間に委ねるという姿勢は、まさに茶の湯の「一期一会」の精神そのもの。竹の節が美しく光を反射し、無駄のない曲線を描く姿には、静けさの中の緊張感が宿ります。

茶杓づくりに挑戦する茶人たち

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番組では、表千家講師・木村雅基さんと岩槻里子さんが、黒田正玄氏の指導を受けながら「利休形の茶杓」づくりに挑戦します。茶杓は、わずか20センチ足らずの小さな道具ですが、その形には作り手の心がすべて現れるといわれます。
まず行うのは素材選び。節の位置、竹の色、曲がり具合を見極め、自分に“語りかけてくる”一本を選びます。竹を選んだ時点で、その茶杓の表情は半ば決まるといわれます。その後、火で軽くあぶって柔らかくし、曲げを作り、竹刀のように削って形を整えていきます。

木村さんと岩槻さんは、削るごとに変わる竹の手触りや音に集中しながら、わび茶の精神を肌で感じ取っていました。黒田氏は「茶杓はその人の人柄を映す」と語ります。少し丸みを帯びた穂先や、ほんのわずかな反り具合に、作り手の気質が表れるのです。完成した茶杓は、見た目以上に奥深い存在。実際に茶会で使われるとき、その竹の艶や手触りに“自分のこころ”が映り込みます。
この体験を通じ、茶人たちは「道具を使う」という行為の意味を改めて見つめ直します。道具は消耗品ではなく、心を通わせる“相棒”のような存在。作ることと使うことの間に流れる時間こそ、茶の湯の真の美しさを教えてくれるのです。

竹籠と花入に生ける「季節の花」

竹の道具は、茶の湯の世界で「花を生ける器」としても重要な役割を果たします。特に竹籠や竹花入は、季節を映し出す“自然の鏡”のような存在です。表千家では、竹籠を「草(そう)」の格に位置づけ、華やかではないけれど、心の落ち着く器として用います。

季節の移ろいに合わせて、使う花や生け方も変化します。
初夏:白竹の花入にホタルブクロ小菊を添えて、風を感じるような涼やかさを表現。竹の編み目が光を透かし、茶室に柔らかい空気をもたらします。
晩夏から初秋:籠花入にオミナエシ桔梗を一輪、控えめに生ける。余白を活かし、静寂と余情を感じさせるのが特徴です。
晩秋:竹の色味が深まり、渋みを増す季節には、野菊や山帰来(さんきらい)の実を添え、枯淡の美を映します。

花を多く入れすぎず、余白を残すことが大切です。竹の素材感が花を引き立て、季節の気配をより繊細に伝えます。竹籠の経年による変色や艶も、時間の流れとともに味わいを増していく。まさに、道具と自然と人が呼応する“生きた芸術”です。

まとめ

『心おどる 茶の湯 表千家 利休のこころと形(3)竹の道具』は、竹という素材を通して、千利休の美学と精神を現代に伝える一篇です。十四代 黒田正玄が受け継ぐ竹の命、表千家の茶人たちが体感する“わび”のこころ、そして竹籠に咲く一輪の花。すべてが静かな中に深い美を宿しています。
竹は単なる道具ではなく、時を経て育つ“生きた素材”。その中に息づく自然、時間、人の心——それらがひとつに溶け合うとき、茶の湯は最も豊かな表情を見せるのです。放送後には、黒田氏の手仕事の細部や、千宗左家元の言葉の意味にも注目が集まることでしょう。

出典:
NHK公式番組情報『心おどる 茶の湯 表千家 利休のこころと形(3)竹の道具』
遠州流茶道 綺麗さびの世界
PR京都新聞「十四代 黒田正玄の仕事」
藤田美術館 公式サイト
だるま3マガジン


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