岩崎宏美 母から継いだ声と父を変えた歌の物語
岩崎宏美の人生には、奄美大島に根づく歌の文化、戦争をくぐり抜けた母の強さ、そして父との揺れる関係が重なっています。今回の番組では、家族の歴史をたどる中で、彼女の歌声がどこから生まれたのか、その源流が見えてきます。『ロマンス』や『聖母たちのララバイ』へつながる背景を知ることで、歌の奥に流れる想いがより鮮明になります。
奄美大島にルーツを持つ先祖と“島唄の名手”の意外な真実
岩崎宏美のルーツとして浮かび上がったのが、奄美大島の“島唄の名手”だった先祖の存在です。島唄は祈りや暮らしと深く結びつき、声だけで心を動かす力を持つ伝統音楽です。
この文化の中で歌われてきた旋律やリズム、その土地に響く声の使い方は、世代を超えて受け継がれていくもの。先祖がどのように歌っていたのかはまだ分かりませんが、歌を大切にする気質が家族に流れていたことは確かです。
奄美の自然や風土が育んだ歌の表現が、時を経て東京で育つ岩崎宏美へとつながり、その声の芯に影響している可能性が見えてきます。歌う理由や表現の深さに、家族の歴史が影を落としていたと考えられます。
母が経験した戦争疎開と上京の日々 苦難の中でつかんだ新しい人生
母は戦争により故郷を離れ、疎開先で不安と生活の変化に向き合いながら成長しました。時代の厳しさが続く中で、環境に適応し、生きる術を身につけていく日々がありました。
戦後、母は東京へ向かいます。地方から大都市へ移り住むという選択には、覚悟と希望が必要でした。新しい土地で生活を立て直し、自分の未来をつくろうとする力が、後に家族を支える強さとなります。
その東京で、後に伴侶となる父と出会い、家族が生まれました。母が歩んだ戦争と疎開の経験は、ただの苦労ではなく、世代を超えて子どもたちの価値観や生き方にも影響を与える土台になります。
逆境の中で前に進んだ母の生き方が、岩崎宏美の芯の強さにつながっていることが感じられます。
父が猛反対した“歌手の夢”が一曲で一変した瞬間に迫る
歌手をめざすという願いを抱いた岩崎宏美に対し、父は当初強く反対していました。
時代背景を考えると、芸能の道は不安定で、娘の将来を思えば反対した父の気持ちも理解できます。家庭の中には、将来を案じる空気と、歌いたいという本人の思いがぶつかる緊張があったはずです。
しかし、状況を変えたのが“ある一曲”。その歌を耳にした瞬間に、父の態度が大きく変わる出来事があったといいます。
どの曲だったのか、どんな状況でその瞬間が訪れたのかは放送前のためまだ不明です。ただ、その場面は家族の歴史において象徴的なポイントであり、本人の人生を決定づける大きな分岐点になりました。
父の心を動かした歌には、努力や想いだけでなく、家族に受け継がれてきた“声のルーツ”が響いていたのかもしれません。
『ロマンス』『聖母たちのララバイ』へつながる家族の物語と初めて明かされる父の真実
『ロマンス』の大ヒットは、岩崎宏美の歌手人生を一気に広げました。その後の『聖母たちのララバイ』は、年代を越えて愛され続ける代表曲となり、彼女の名をさらに確かなものにしました。
これらの曲は偶然生まれたわけではなく、奄美大島に端を発する歌のルーツ、母が戦争を越えて築いた生活、父との衝突と理解といった家族の歴史の上に立っています。
番組では、父について初めて明かされる“ある真実”が語られるとされ、その内容が家族の物語の深みをさらに加えることになります。
歌と家族、その両方が結びついたことで、『ロマンス』『聖母たちのララバイ』の背景に新しい光が当たります。
まとめ
奄美大島の歌の源流、戦争を越えて生き抜いた母の軌跡、ひとつの歌で変わった父との関係。
これらすべてが重なって、現在の岩崎宏美の歌声が形づくられています。
放送前のため細部はまだ分かりません。放送後、判明した内容に合わせて記事を再構成します。
NHK【ファミリーヒストリー】仲里依紗 〜海を越え受け継がれる愛〜 スウェーデン教区簿から判明した祖先の真実とアクセル・フィリップソンの歩み、アトランド号がたどった世界航路も紹介|2025年12月3日
奄美の島唄文化の基礎知識を紹介します

奄美の島唄は、島の暮らしや歴史、自然と深くつながって受け継がれてきた大切な文化です。ここでは、その特徴や背景をより具体的に紹介します。
島唄とは何か
島唄は、奄美諸島の集落ごとに伝わってきた民謡の総称で、宗教行事の歌・童歌・仕事歌・祭りの歌など、生活のあらゆる場面と重なって生まれました。歌詞は奄美の方言で構成され、自然をたたえる言葉や暮らしの喜び、別れの思いなどが込められています。島ごとに伝えられ方が異なり、同じ曲名でも節や歌い回しが違うことも多く、地域性の豊かさがそのまま音として残っています。
島唄の歌い方と音楽的特徴
奄美の島唄は、裏声の響きを生かした高音域の歌い方が特徴です。細く伸びる声が海風のように広がり、曲の情景がそのまま浮かぶと言われています。掛け合いで歌う形や、歌い手を支える合いの手が入る構造も多く、集落の人々が一緒に歌い、支え合いながら伝えてきた姿がそのまま音楽に表れています。歌詞の中には古い言葉も多く、歴史や風習を知る手がかりにもなっています。
伴奏楽器と演奏スタイル
伴奏には奄美三線が使われますが、これは沖縄の三線とは弦の太さや響きが異なり、より鋭く乾いた音色が特徴です。音を強くはじくことで歌声が際立ち、島唄ならではの世界がつくられます。曲の場面によっては小太鼓や指笛が加わり、祭りの高揚感や集落のにぎわいをそのまま音にしています。楽器は単なる背景ではなく、歌とともに感情を運ぶ大切な役割を担っています。
島唄が育まれた背景と役割
奄美諸島では昔から、自然への祈りや集落の結びつきがとても強く、その中心に歌がありました。行事の始まりから終わりまで歌が寄り添う文化が続き、生活の中で自然に覚え、自然に受け継ぐ形が長く保たれてきました。仕事の合間に歌うことで疲れを分け合い、祝いごとでは喜びを分かち合い、別れの時は思いを歌に託してきました。こうした歌の力が、人々の心をつなぐ大切な役割を果たしてきました。
時代が進むにつれて歌い手が少なくなる時期もありましたが、現在は保存会や若い唄者の活動によって、島唄がまた地域の誇りとして見直されています。大会やイベントを通して若い世代が学び、島全体で伝統を守る動きが広がっています。
島唄の現代的な広がり
奄美出身の歌手が全国で活躍するようになり、島唄の技法を取り入れた曲が広く親しまれるようになりました。裏声を生かした歌い方や方言の響きが、現代の音楽の中でも強い存在感を持ち、新しい表現として受け入れられています。
また、観光の場でも島唄は欠かせない存在となり、奄美を訪れる人にとって島の文化や心を象徴する音として親しまれています。島唄に触れることで、土地の歴史や自然の豊かさに気づき、文化そのものへの理解が深まっています。こうした広がりが、島唄が今も生き続ける大きな力になっています。
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