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NHK【ファミリーヒストリー】中園ミホの両親が歩んだ昭和史 沖縄戦・特攻未遂・やなせたかしの励まし 2025年8月11日

ファミリーヒストリー

脚本家・中園ミホのルーツと家族の物語

中園ミホさんは、これまでに「ハケンの品格」や「ドクターX~外科医・大門未知子~」など数々のヒットドラマを生み出し、現在は連続テレビ小説 あんぱんを手がけています。今回の「ファミリーヒストリー」では、その創作の背景にある家族の歩みが詳しく紹介されました。母方・父方双方のルーツ、戦争によって変わった家族の運命、そして中園さん自身が脚本家になるまでの道のりが描かれています。

戦争に翻弄された母方の家族

中園ミホさんの母、村上緑さんのルーツは、熊本県荒尾市にありました。この地域には明治時代、日本最大級の炭鉱として知られる三池炭鉱 万田坑があり、村上家は代々この炭鉱で働き生計を立てていました。明治41年、祖父の村上進さんが誕生します。進さんは地元の三井工業学校に進学し、当時としては最先端だった機械設計や工業技術を学びました。卒業後は繊維会社に就職し、レーヨンなど絹に似せた布製品の生産に携わります。

昭和8年、進さんは久江さんと結婚。その年、長女となるさんが生まれました。幸せな家庭生活は続きましたが、昭和19年に進さんは沖縄戦に出征。「風部隊」に配属され、航空機を支援する任務に就きます。米軍の上陸後は激しい攻撃を受けながら撤退を繰り返し、沖縄本島最南端の摩文仁にたどり着きました。死と隣り合わせの日々を経て奇跡的に生還しますが、心身への大きな負担は残りました。

終戦後、進さんは以前とは別人のように酒に溺れるようになります。そして昭和25年、妻の久江さんが結核で37歳の若さで他界。さらに昭和27年、進さん自身も44歳で亡くなります。わずか18歳で両親を失った緑さんは、希望していた進学を諦めざるを得ませんでした。

その後、緑さんは知人を頼って上京し、生活の糧を得るためにモデルのオーディションを受ける日々を送ります。そんな中で出会ったのが、後に夫となる中園弘光さんでした。この出会いが、後の中園ミホさんの人生に大きな影響を与えることになります。

軍国少年として育った父の青春

父方のルーツは大分県宇佐市にあります。中園家はおよそ450年以上の歴史を持つ一族で、かつては地元の有力土豪である赤尾氏に仕えていたと伝えられています。祖父の甚之助さんは自らの名を冠した商店を営み、明るく人懐っこい性格で地域の人々に親しまれていました。

昭和2年、甚之助さんの六男として中園弘光さんが誕生します。幼少期の弘光さんは学業優秀で、小学校では常に成績上位を誇りました。しかし、中学校に進学すると時代は戦時色を強め、学校教育にも軍事訓練が取り入れられるようになります。その流れの中で弘光さんは予科練への志願を決意し、将来を特攻隊員として捧げる覚悟で航空隊に入隊しました。

しかし、出撃を目前に控えたある日、敵機の爆撃を受けるという悲劇に見舞われます。この爆撃により両手の指を5本失い、視力も低下。操縦桿を握ることは叶わず、戦闘機に乗る夢は断たれたまま終戦を迎えました。戦後は、これまで絶対的な正義だと信じていた価値観が一変し、アメリカをはじめとする新しい時代の流れに適応できず、荒れた生活を送る時期が続きます。

そんな弘光さんに転機をもたらしたのは、地元の林松寺で行われていた文化活動への参加でした。詩や文章を書くことで自己表現の楽しさを取り戻し、失った指で文字を書く訓練も続けました。やがて創作の道が生きがいとなり、さらなる挑戦を求めて東京へ上京。フリーの記者として活動する中で、あるオーディション会場で運命的に村上緑さんと出会います。そして、二人は昭和30年に結婚し、新たな人生を共に歩み始めました。

明るい家庭と突然の別れ

結婚後、中園弘光さんと村上緑さんは東京・中野で新生活をスタートさせました。昭和34年には次女となる美保さん(後の脚本家・中園ミホさん)が誕生します。弘光さんは戦争で負った視力低下の影響から、執筆やカメラの仕事を続けることが難しくなり、小さな印刷会社に勤務するようになりました。一方、緑さんも保険外交員として外に出て働き、夫婦で力を合わせて家計を支えます。

暮らしは決して裕福ではありませんでしたが、家庭にはいつも笑いがあり、食卓には明るい会話が絶えませんでした。そんな環境の中で、美保さんは自然と詩を書き始め、母を楽しませるような言葉を綴るようになっていきます。

しかし昭和42年、美保さんが小学4年生の時、家族に突然の悲劇が訪れます。父・弘光さんが肝硬変で急逝したのです。まだ42歳という若さでした。深いショックを受けた美保さんは、それまで続けていた詩作をやめてしまいます。

娘の様子を心配した緑さんは、思い切って作家のやなせたかしさんに手紙を送りました。やなせさんからは「成長を信じて見守ればいい」という温かな励ましの言葉と、詩集が贈られてきます。この出来事は美保さんの心を動かし、再び詩を書き始めるきっかけとなりました。

その後、美保さんは念願の脚本を学べる大学へ進学しますが、大学在学中に母・緑さんがガンで他界します。懸命に生き抜き、最後まで前向きな姿を見せた母の生き方は、美保さんの心に深く刻まれ、生涯の指針となっていきました。

父の作品が見つかった地はアメリカ

28歳で脚本家デビューを果たした中園ミホさんは、その後「ハケンの品格」や「ドクターX~外科医・大門未知子~」など、数々のヒット作を世に送り出します。精力的に創作を続ける中で、思いがけない知らせが舞い込みました。それは、父・中園弘光さんがかつて参加していた同人誌「長峰文化」が、遠くアメリカ・メリーランド大学図書館に所蔵されているという事実です。

この同人誌は、戦後の日本でGHQの検閲業務に携わっていた歴史学者ゴードン・W・プランゲ博士によってアメリカへ渡っていました。戦争で負傷し、志半ばで執筆活動を断念せざるを得なかった父が残した作品が、海を越え、長い年月を経ても大切に保管されていたのです。

その発見は、中園さんにとって単なる資料の発見以上の意味を持ちました。それは、父が抱いていた夢や情熱が、形を変えて今も生き続けていることを証明する出来事でした。創作に込める想いや物語を紡ぐ力の源には、この家族の歴史と、遠い地で眠っていた父の言葉が確かに息づいていたのです。

まとめ

今回の「ファミリーヒストリー」では、戦争・病・貧困といった過酷な時代を生き抜いた両親と、その影響を受けて成長した中園ミホさんの人生が描かれました。創作の原点には、家族の歴史や失った命への想いが深く刻まれています。作品を通じて「何のために生まれて何をして生きるのか」という問いを投げかける中園さんの姿勢は、この家族の歩みと強く結びついています。これらの背景を知ることで、彼女のドラマや脚本に込められたメッセージがより深く理解できるでしょう。

番組を見て感じたこと

戦争や病によって次々と家族を失いながらも、決して立ち止まらず前を向いて生き抜いた中園弘光さんと村上緑さんの姿には、胸が熱くなるほどの感動を覚えます。沖縄戦特攻未遂といった命がけの経験、そして戦後の厳しい暮らしの中でも笑顔を絶やさず、お互いを支え合いながら歩んできた日々は、言葉では語り尽くせない重みと尊さを持っていました。

そして、その両親の生き方は、娘である中園ミホさんの創作活動に確かな影響を与えています。中園さんの脚本から伝わってくる人間のたくましさ温かさは、この家族の歴史と経験がしっかりと土台になっていると強く感じます。

ハケンの品格」や「ドクターX~外科医・大門未知子~」、そして現在手掛けている連続テレビ小説 あんぱんにも共通して流れる、困難を乗り越えていく人間の力強さや優しさ。それは、過去の悲しみを受け止め、未来へと希望をつなぐ決意そのものが物語の根底に息づいているからこそ生まれるものだと感じます。


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