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NHK【超・ニッポンのお笑い100年】土8戦争とひょうきん族の衝撃!放送100年で振り返る笑いの進化史 2025年8月11日

バラエティ

超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜

2025年8月11日にNHK総合で放送された「超・ニッポンのお笑い100年〜芸人たちの放送開拓史〜」は、日本の放送史100年の中で生まれた笑いの変遷をたどる特別番組です。漫才・コント・バラエティといったジャンルの名場面と、それを切り開いてきた芸人たちの挑戦や工夫を振り返りました。司会は爆笑問題中川家、ゲストに里見まさと(ザ・ぼんち)友近千原ジュニア小籔千豊後藤輝基(フットボールアワー)ぼんちおさむバカリズム井口浩之(ウエストランド)ヒコロヒーせいや(霜降り明星)と豪華な顔ぶれがそろいました。本記事では、この放送で紹介されたエピソードを余すことなくお伝えします。

しゃべくり漫才のルーツとエンタツ・アチャコの挑戦

放送が始まった1925年当時、日本で多くの人々に親しまれていたのは落語浪曲といった芸能で、漫才はまだ音曲を中心とした演目が主流でした。そのため、会話を主体としたスタイルはほとんど存在せず、漫才は歌や楽器演奏を交えた賑やかな芸として認識されていました。そんな中で、既存の形を大きく変える革命を起こしたのが、横山エンタツ花菱アチャコのコンビです。

二人は当時新しいメディアだったラジオに注目し、その特性を活かした漫才の形を模索しました。そして、日常会話のように自然なかけ合いを展開する「しゃべくり漫才」を考案します。さらに、舞台衣装にもこだわり、それまでの派手な着物や舞台衣装ではなく、あえてスーツを採用することで、より現代的で都会的な印象を与えました。このスタイルは大きな話題を呼び、特に早慶戦を題材にしたテンポの良いネタは多くのリスナーの心をつかみ、瞬く間に全国的な人気を獲得しました。

花菱アチャコは当時を振り返り、「お手本はない。毎日が勉強だった」と語っています。その言葉通り、彼らは常に街に出て、人々の会話や何気ない日常のやり取りを観察し、それをネタ作りの素材として練り上げていきました。また、同時代に活躍した喜味こいしも、横山エンタツから「電車に乗ったらお客さんの話を聞け」という教えを受けたと明かしています。この言葉には、観客に寄り添うための観察力や、しゃべくり漫才を成立させるための繊細な神経の使い方が込められていました。こうした地道な努力と新しい発想が、後に続く漫才文化の礎を築いていったのです。

昭和から平成へ受け継がれる漫才

番組では、リーガル千太・万吉中田ダイマル・ラケット人生幸朗・生恵幸子昭和のいる・こいるはな寛太・いま寛大、そして海原はるか・かなたといった、日本の漫才史を彩るレジェンド漫才師たちの名場面が次々と紹介されました。映像の中には、当時の観客の笑い声や会場の熱気までが生き生きと残されており、その時代ごとの漫才のスタイルやテンポの違いが鮮明に伝わってきます。

トークパートでは、田中裕二が師匠である立川談志から「リーガル千太・万吉を聞け」とすすめられていたというエピソードを披露。談志が彼らを高く評価していた理由は、掛け合いの間の取り方や、観客を引き込む独特のリズム感にあったといいます。また、バカリズムは学生時代、内海好江が講師を務めた漫才授業を受けた際、その感性と視点の鋭さに衝撃を受けた思い出を語りました。好江の指導は型にはまらず、芸人としての感覚を磨くことの大切さを教えてくれるもので、その経験が今の自分の笑いにも影響していると振り返っていました。

1980年代の漫才ブームとTHE MANZAI

1980年代に放送された「THE MANZAI」は、それまで寄席や劇場で行われていた漫才をテレビの舞台へと引き上げ、まるでライブショーのように演出することで、瞬く間に若者たちの心をつかみました。テンポの速い掛け合いや時事ネタを巧みに盛り込み、漫才が持つスピード感と熱気をお茶の間に届けたことで、一気に社会現象となりました。

中でも、出演を機に大ブレイクを果たしたのがザ・ぼんちです。番組出演後、その人気は爆発的に広がり、発売したシングルレコードは80万枚以上の大ヒットを記録。当時、漫才師が音楽の世界でこれほどのセールスを達成することは極めて珍しく、まさに異例の快挙でした。ブーム自体はわずか約2年で収束しましたが、この時期に得た注目が、漫才師たちが歌手や俳優としても活躍する道を切り開くきっかけとなりました。

トークでは、友近が「太平サブロー・シローさんに憧れて芸人を志した」と振り返り、漫才の中にモノマネや演技が融合する面白さに子どもながらワクワクした思い出を語りました。また、ザ・ぼんちの二人も「THE MANZAIに出て人生が変わった」と当時の影響力を強調し、自分たちの芸風を確立する転機になったと明かしていました。

コントの二大革命児とバラエティの進化

コント界では、コント55号ザ・ドリフターズという二つの異なるスタイルを持つコンビが、それぞれの方法で笑いの革命を起こしました。コント55号は、台本に縛られずその場の空気を最大限に生かす徹底したアドリブ主義を貫き、観客との呼吸を合わせながら展開される予測不能なやり取りで人気を集めました。その勢いはテレビ視聴者にも届き、冠番組では視聴率30%超を記録するなど、当時のバラエティ界において圧倒的な存在感を放っていました。

一方で、ザ・ドリフターズは全く逆のアプローチを取り、台本重視で緻密に計算された演出を徹底。代表作である「8時だョ!全員集合」では、セットや小道具の使い方、ボケとツッコミのタイミング、舞台転換のスピードまで細部にこだわり抜きました。その成果は数字にも表れ、番組はお笑いバラエティ史上最高となる最高視聴率50.5%を達成。特に、建物が派手に崩れる「屋台崩し」や、パトカーが屋根の上に飛び乗るという大胆な「パトカー屋根飛び」など、スケールの大きな演出はお茶の間の視線を釘付けにしました。

このように、即興で笑いを生むコント55号と、計算された完成度で魅せるザ・ドリフターズ。まったく異なる二つの笑いの手法が同時期に存在し、それぞれが高視聴率を獲得していたことは、日本のコント文化の幅広さと奥深さを物語っています。

土8戦争と欽ちゃんの逆襲

土曜8時台は、まさにお笑い界のゴールデンタイムでした。この時間帯では、ザ・ドリフターズによる「8時だョ!全員集合」と、萩本欽一が司会を務める「欽ちゃんのドンとやってみよう!」が激しい視聴率争いを繰り広げ、世間ではこれを「土8戦争」と呼びました。

欽ちゃんの番組は、それまでにない素人参加型のコントを中心に展開。視聴者から寄せられたはがきやエピソードをその場で笑いに変えるスタイルで、幅広い層から支持を獲得しました。その結果、「全員集合」の視聴率を上回ることもあり、土曜夜の勢力図に変化をもたらしました。

さらに、この土8戦争の流れに割って入ったのがフジテレビが送り出した新番組「オレたちひょうきん族」です。出演者には明石家さんまビートたけしといった当時勢いのある芸人が集結し、コントやパロディを中心に、より自由で斬新な笑いを届けました。この番組は既存の形式にとらわれない構成で、笑いの幅を一気に広げ、お笑い番組の進化に大きな影響を与えたのです。

バラエティ番組の多様化と現代の笑い

年表を使ったトークパートでは、ボキャブラ天国人志松本のすべらない話天才・たけしの元気が出るテレビ!!笑っていいとも!明石家マンション物語、そしてM-1グランプリといった、時代を象徴する人気バラエティ番組が次々に話題に上りました。これらの番組は、それぞれの時代背景やテレビ文化を色濃く反映し、視聴者に強烈な印象を残してきた作品ばかりです。

トークでは、千原ジュニアが「すべらない話」の収録で感じる独特の緊張感について語りました。緊張は出演者同士にも伝染し、その場の空気をさらに張りつめたものにする一方で、笑いが生まれた瞬間の爆発力を高める効果もあるといいます。また、太田光は近年のテレビ業界の変化に触れ、「テレビが弱くなっていて、もしかしたらこういう規模感のバラエティはもう作れないかもしれない」という危機感を口にしました。その言葉からは、時代が変わってもバラエティ番組が持つ特別な価値を残したいという思いが感じられました。

放送100年の締めくくり

エンディングでは爆笑問題が漫才を披露し、100年の笑いの歴史を笑顔で締めくくりました。この番組は、笑いが時代と共に進化し続けること、そして芸人たちの挑戦が視聴者の心に残る瞬間を生み出してきたことを改めて感じさせる内容でした。漫才もコントも、そしてバラエティも、その時代の人々の生活や価値観を映し出す大切な文化であり、これから先の100年にも語り継がれるでしょう。

番組を見て感じたこと

この番組を通して、笑いというものが単なる娯楽や気晴らしではなく、その時代の社会や人々の暮らしを鮮やかに映し出すであることを、改めて深く感じました。番組で紹介されたのは、放送黎明期に横山エンタツ花菱アチャコが生み出した革新的なしゃべくり漫才から始まり、テレビ黄金期を代表するザ・ドリフターズ萩本欽一による「土8戦争」、さらに現代の若手芸人たちがしのぎを削るM-1グランプリまで。どの時代の笑いも、その背景にある空気感や文化、価値観が色濃く反映されていて、一つ一つの場面から当時の熱量が伝わってきました。

特に、エンタツ・アチャコが日常会話を取り入れ、ラジオを通して親しみやすいしゃべくり漫才を確立した革新性は、当時の人々にとって新鮮で衝撃的だったはずです。また、テレビ全盛期にドリフ欽ちゃんが視聴率を競い合った「土8戦争」では、舞台裏にある演出の工夫やアドリブの妙、そしてお互いの芸を尊重し合う姿勢に、プロとしての誇りと時代を背負う覚悟を感じました。そして、現代のM-1グランプリでは、限られた時間の中に笑いの爆発を詰め込む若手たちの緊張感と情熱が、まるで新しい時代の幕開けを告げるようでした。

こうして見ていくと、この100年の笑いの歴史は、単なる芸や演出の進化にとどまらず、日本の暮らしや文化の変化をそのまま記録してきた壮大な物語でもあるとわかります。それぞれの時代で芸人たちが築き上げてきた挑戦と努力の積み重ねは、今も多くの人々の心を動かし続けています。その軌跡に触れたことで、笑いの奥深さと、時代を超えて受け継がれる力強さに、心から胸が熱くなりました。


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