仲里依紗 海を越えて受け継がれた家族の物語
長崎の海辺の町で育った仲里依紗さん。その背景には、遠く北欧スウェーデンにつながる深い家族の歴史がありました。今回放送された『ファミリーヒストリー(2025年12月12日)』では、祖先が歩んできた道のり、戦争や差別を越えてつながれた家族の絆、そして思いがけない運命の出会いまでが丁寧にたどられました。
画面に映るエピソードはどれも力強く、海を越えて受け継がれた家族の思いの重みを感じさせます。ここでは、その内容をわかりやすくまとめながら、物語としての深みも感じられるように整理しています。
仲里依紗の出発点 長崎・東彼杵町で育まれた家族のあたたかさ
仲里依紗さんのふるさとは、緑と海に囲まれた長崎県 東彼杵町。子どもの頃から地域の人たちとの距離が近く、ほどよくのんびりとした空気の中で育ちました。
父の仲雄史さんと母の仲加奈江さんは、地元で洋服店を営んでいます。店に集まる人たちと交わす日常の会話や、働く両親の背中をそばで見てきた経験は、里依紗さんの人柄にも自然と影響していきました。
洋服の生地を選ぶ音、ミシンのリズム、店に差し込む陽の光。そんな何気ない毎日が、彼女にとっての“原点”でした。家族の温かさと地域のつながりが、俳優としての個性にも影を落としていると感じられる場面です。
祖父アクセルが残したスウェーデン語文書 家族の背後に眠っていた謎
番組の中で重要な鍵となったのが、父方の祖父 アクセル・フィリップソン さんが残した大量のスウェーデン語資料です。実家に保管されていたのは、古いタイプ文書や手書きメモが混ざった約300点の束。
長い年月を経ても家族が捨てずに残していた理由は、そこに祖父の人生とスウェーデンでの家族の歴史が刻まれていたからでした。
これらの文書は大阪大学の 古谷大輔 さんが読み解き、スウェーデンの『教区簿』であることがわかりました。教区簿には生誕地や移住の記録、職業などが詳細に記されており、アクセルさんの家系がどんな土地を生きてきたかを読み解く手がかりとなりました。
家族の誰も読めなかった文字が意味を持ち始める瞬間は、画面越しでも胸が熱くなる場面でした。遠い国にルーツがあるという“実感”が少しずつ形になっていきます。
高祖父グスタフの人生 北欧の村ユングからイエーテボリへ続いた足跡
文書の中には、里依紗さんの高祖父 グスタフ・アルフレッド さんについての記録も残っていました。舞台となるのは、スウェーデンの小さな ユング村。周囲を自然に囲まれた農村地域で、生活は決して楽ではありませんでした。
グスタフさんは非嫡出子として生まれ、幼いうちから農場で働き始めます。11歳から労働に従事し、その後も農家を転々とする少年時代を送っていました。
それでも彼は自分の人生を変えるため、21歳のときにスウェーデン西部の港町 イエーテボリ に移住し、新しい生活を切り開いていきます。その後家庭を持ち、1883年には次男が誕生。この人物が里依紗さんの曽祖父にあたる存在です。
さらに驚くことに、曽祖父の孫にあたる親族は現在もイエーテボリ大学で腎臓移植の研究を続けていると紹介されました。
北欧で続いてきた研究者の系譜と、長崎で俳優として活躍する里依紗さん。遠い国でありながら、血筋の流れを感じる場面でした。
船の故障がつないだ奇跡の出会い アクセルと仲女禮の物語
1952年、39歳で船乗りとなったアクセルさんは、機関士として世界を渡り歩いていました。ある航海中、乗船していた貨物船が故障し、日本の長崎・佐世保にあるドックへ。修理のために長期滞在を余儀なくされます。
そのとき出会ったのが、後に里依紗さんの祖母となる 仲女禮(めれい) さんです。彼女の姿を偶然見かけたことが、2人の生涯を変える出来事になりました。
しかし、当時の日本では国際結婚に対する壁は高く、周囲からの強い反対もありました。「海外に行ってしまえば、二度と娘に会えなくなる」という家族の不安は大きく、簡単に結婚できる状況ではありませんでした。
それでもアクセルさんは日本で生きていく覚悟を決めます。
“彼女のそばで暮らしたい”という気持ちが、スウェーデンでの生活を手放す決断につながりました。運命の出会いが、家族の新たな歴史の始まりとなった瞬間でした。
父・雄史の葛藤 国籍・差別・孤独を越えて歩いた人生
2人の間に生まれたのが、里依紗さんの父 仲雄史 さんです。けれども雄史さんが幼い頃、アクセルさんは亡くなってしまい、父との時間はほとんどありませんでした。
さらに雄史さんの国籍はスウェーデン。地元の子どもたちと違う背景を持つことで、目立ちやすく、時にはからかわれるような経験もあったとされています。家族の歴史は温かいだけではなく、彼自身が抱えてきた孤独や葛藤も確かに存在していました。
そんな雄史さんが出会ったのが、後に妻となる 仲加奈江 さんです。電車の中で見かけた一瞬から心惹かれ、まっすぐな想いを重ねて交際へ。そして結婚し、新しい家庭を築いていきました。
戦争で家族を失い、異文化の壁と向き合い、孤独を知った父が、自分の人生で手にした“愛の形”がここにありました。
家族写真に刻まれた仲家の絆 海を越えて受け継がれた思い
番組の最後には、仲家に残された写真が多く紹介されました。
祖父 アクセル さんが幼い里依紗さんを抱いている一枚。洋服店の前で笑う家族の姿。長崎の風景と一緒に写った思い出の写真。それらはどれも、家族の時間と愛情が確かに存在したことを物語っていました。
海を越えてつながったスウェーデンの歴史と、長崎で守られてきた家族の暮らし。
その両方が重なり、今の仲里依紗さんという一人の人間を形づくっています。
“受け継がれる愛”という番組タイトルにふさわしい、あたたかい結びでした。
スウェーデンの教区簿とは

ここでは、仲里依紗さんの祖父のルーツ解明にも深く関わったスウェーデンの教区簿について、筆者からの追加情報として紹介します。スウェーデンの家系調査では欠かせない資料で、日本でいう戸籍に近い役割を果たしてきました。
教区簿が生まれた背景と役割
スウェーデンの教区簿は、教会ごとに記録されていた住民の情報をまとめた帳簿で、国が整った戸籍制度を持つ前から住民管理に使われてきました。1686年ごろから制度が整えられ、スウェーデン全土で統一的に記録されてきたという歴史があります。出生や洗礼の記録に始まり、婚姻、死亡、埋葬まで、その人の人生の節目が細かく書き残され、住所の変化や移住の記録、さらには職業や家族構成まで確認できる点が大きな特徴です。
どんな情報が記録されているのか
教区簿には、家族全員の名前、誕生日、結婚した日、亡くなった日などが体系的にまとめられています。また、スウェーデン国内でどの村や町に住んでいたか、その住所の移動も年ごとに追えるようになっています。こうした詳細な記録が百年以上にわたって保存されているため、先祖の移動や、その土地でどんな暮らしをしていたのかを知る手がかりになります。
家系調査で高く評価される理由
スウェーデンは戦争や災害による資料の焼失が比較的少なく、教区簿の記録が良い状態で残されています。出生から死亡まで一貫して追える信頼性の高い資料であることから、世界的に家系図作成やルーツ調査に使われています。移民として世界中に広がったスウェーデン系の子孫にとっても、教区簿は「自分のルーツを確かめる確かな証拠」として非常に重要な存在です。
日本人がルーツ調査で教区簿を使う意味
仲里依紗さんのようにスウェーデンに祖先を持つ人が、自分の家族の歴史をさかのぼる際、この教区簿が決定的な手がかりとなります。出生地が特定できるだけでなく、祖先がどんな家庭環境で過ごし、どんな人生を歩んだのかを知ることができます。今回、高祖父がスウェーデンのユング村で生まれ、農場で働きながら生活していたことが判明したのも、この教区簿の記録があったからこそです。
教区簿が“家族の歴史の鍵”になる理由
教区簿は、単にデータを並べたものではなく、家族が何世代にもわたりどのように暮らし、どの土地で、どんな人生を送ってきたかを立体的に伝えてくれる資料です。仲家の歴史を解き明かす上でも、スウェーデンでの生活の様子や移住の背景を知ることができ、「家族の物語」をつなぐ重要な橋渡し役となりました。
以上が、スウェーデンの教区簿についての追加情報です。教区簿は、遠く離れた国で暮らした祖先の姿を知るための大切な資料であり、家族のルーツをたどる上で欠かせない存在となっています。
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