清水ミチコ 〜“二人の母”がくれた愛〜
2025年12月16日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」は、ものまねの女王として長年第一線で活躍する清水ミチコの人生を、家族の歴史から深く掘り下げた回でした。武道館ライブを毎年満員にし、ピアノ弾き語りと笑いを融合させた唯一無二の表現を生み出してきた清水ミチコ。その原点には、知られざる祖父の挑戦、音楽に生きた父の青春、そして二人の母から受け取った深い愛がありました。この回では、清水ミチコ自身も知らなかった事実が次々と明らかになり、彼女の人生と表現の背景が丁寧に描かれています。
ものまねの女王 清水ミチコという人物
清水ミチコは、ものまねレパートリー300人以上を誇る日本屈指のエンターテイナーです。ピアノ弾き語りを軸に、音楽とユーモアを自在に行き来する芸風で、多くの人を笑顔にしてきました。WOWOWでのライブ放送や『万博 ~ひとりPARADE~』など、舞台表現にも定評があります。番組冒頭では「自分のルーツを知りたいが、つまらない回にならないか」と冗談交じりに語っていましたが、その言葉とは裏腹に、家族の歴史は濃く、ドラマに満ちたものでした。
誰も見たことがなかった祖父 清水清作の人生
清水ミチコの祖父・清水清作は、家族の中でもほとんど語られてこなかった存在でした。祖母が残した古い箱の中から見つかった履歴書により、清作の原籍地が富山県婦負郡細入村蟹寺(現在の富山市蟹寺)であることが判明します。明治時代の蟹寺は30戸ほどの貧しい集落でしたが、大正期に水力発電所建設という大事業が持ち上がります。清作は23歳で電力会社の土木工手としてこの工事に従事し、地域の人々とともに働いていました。
さらに清作は、夜間に授業を行う早稲田大学付属の土木本科で学び、現場労働者で終わらない道を自ら切り開こうとします。大正12年の関東大震災を機に上京し、復興事業に参加。国に雇われ、復興局の現場で働きながら経験と知識を積み重ねました。その後、新潟県加茂町の建設会社・小柳組にスカウトされ、現場主任として約200人を率い、鉄道建設やトンネル工事といった大きな仕事を任されます。しかし昭和7年、33歳という若さで急逝。蜂に刺されたことが原因と伝えられています。葬儀写真の確認により、富山県蟹寺で行われた葬儀であったことも裏付けられました。清作は、時代の大きな転換期を生き抜いた技術者でした。
高山に移り住んだ清水家 父・郁夫の青春
祖父を失った後、祖母・ゑいと父・清水郁夫は岐阜県高山市へ移住します。わずか3歳で父を亡くした郁夫にとって、心の支えとなったのが音楽でした。昭和16年に斐太中学(現在の岐阜県立斐太高等学校)に進学しますが、戦争の激化により繰り上げ卒業となります。終戦後、進駐軍とともにラジオから流れてきたジャズは、郁夫の心を強く揺さぶりました。
郁夫は高山音楽聯盟に参加し、合唱曲やジャズ、ハワイアンなど幅広い音楽を演奏。ベースを担当し、音楽に没頭する日々を送ります。高山食糧事務所に就職してからも、頭の中は音楽でいっぱいでした。
母方・白川家のルーツ 個性あふれる祖先たち
母・白川美沙子の家系も、強い個性と地域との深い結びつきを持っていました。曽祖父・白川栄三郎は嘉永三年生まれで、「うそつき栄三」と呼ばれる冗談好きな人物でした。高山市内で白川屋旅館を営み、火事で旅館が焼けた際には、近隣の人々がにぎりめしや生活用品を届けるなど、地域に支えられて再建を果たします。
母方の祖父・白川吉郎は、高山市でスズメ食堂を開き、洋食を取り入れた人気店を営みました。さらに歌人として活動し、作家・江馬修の『山の民』出版を支援するなど、文化面でも大きな役割を果たしていました。
音楽で結ばれた両親と突然の別れ
戦後の高山で、音楽に夢中になっていた郁夫と美沙子は出会い、同じバンドで演奏するようになります。トラックの荷台を即席ステージにして演奏したエピソードは、当時の熱気を物語っています。昭和33年に結婚し、昭和35年1月に清水美智子が誕生します。しかし、そのわずか半年後、二人は離婚。美沙子は家を出て、ミチコは父と祖母に育てられることになります。
母の愛を教えてくれた敬子という存在
その後、郁夫は鈴木敬子と出会い、昭和41年に再婚します。敬子は6歳まで母のいなかったミチコに、惜しみない愛情を注ぎました。弟・一郎が生まれ、家族としての生活が形づくられていきます。ミチコにとって敬子は、母の温もりを初めて教えてくれた存在でした。
父と実母がつないだ音楽の道
父・郁夫の影響で、ミチコも音楽に強く惹かれていきます。中学生の頃、父はピアノを買おうとしますが、資金が足りず、頼ったのは別れた妻・白川美沙子でした。美沙子は密かにピアノを用意し、ミチコの音楽の才能を後押しします。この出来事は、後にミチコが知ることになる大切な事実でした。
ものまねの女王へ 二人の母に見守られて
18歳で上京したミチコは、音楽と笑いを融合させた表現で頭角を現します。昭和61年、渋谷のショー劇場でのライブをきっかけに、ものまねとピアノ弾き語りで注目を集め、全国区の人気者になります。父・郁夫と母・敬子はその姿を誇りに思い、静かに見守り続けました。郁夫は平成19年に80歳で亡くなりますが、娘の成功を最後まで信じていました。
一方、実母・美沙子もまた、テレビに映る娘の姿を写真に収め、アルバムとして残し続けました。再婚することなく、令和2年に88歳で亡くなるまで、娘を思い続けた人生でした。
“二人の母”がくれた愛のかたち
今回のファミリーヒストリーは、清水ミチコの明るさとユーモアの裏側にある、家族の苦労と深い愛を静かに描きました。血のつながりを超えて支え続けた母・敬子、離れていても思いを注ぎ続けた実母・美沙子。その二人の母の存在が、清水ミチコの音楽と笑いの原点であり、今の表現を支えていることが強く伝わる回でした。
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