里見浩太朗がたどる、自分のルーツへの旅
番組ファミリーヒストリーでは、俳優の里見浩太朗さんが、自分でもほとんど知らなかった「父と母の物語」をたどっていきます。
生後10か月の時に日中戦争で父を亡くし、父の記憶は一切ない。戦後の混乱の中、母も昔話をする余裕はなく、両親の若い頃のことはずっと「空白」のままだったといいます。
番組は、その空白を埋めるように、当時の新聞記事や軍の記録、親戚や関係者の証言を丹念にたどりながら、父がどこで、どのように戦い、なぜ命を落としたのか。そして母がどんな覚悟で子どもたちを育てたのかを明らかにしていきます。
ナレーションは余貴美子さんと大江戸よし々さん。静かな語り口が、家族の記憶を掘り起こしていくこの物語に、じんわりとした温度を添えます。
近衛兵から憲兵へ 父・佐野亀一の青春と軍歴
里見さんの父の名前は佐野亀一。19歳で志願して近衛兵となり、その後は東京・麹町の憲兵隊に配属された軍人でした。
近衛兵は、天皇や皇族の護衛などを担った選抜部隊です。さらに憲兵は、軍内部の風紀や治安を取り締まる存在で、軍人の中でもかなり厳しい任務を負っていました。若き亀一は、そのエリートコースともいえる道を歩んでいたことになります。
麹町での勤務ののち、秋葉原のパン屋で働いていた木伏エツと出会い、結婚。エツは静岡県庵原郡松野村(現在の静岡県富士市)出身で、ここから東京と静岡、さらに山梨へとつながる佐野家の家系が見えてきます。
番組では、軍歴の記録や当時の街の写真を手がかりに、ふたりがどんな環境で暮らし、どのように家庭を築いていったのかを丁寧にたどっていきます。
日中戦争と平型関の戦い 山西省・小塞村で何が起きたのか
転機となったのが、1937年の盧溝橋事件です。これをきっかけに全面的な日中戦争へと拡大し、亀一は「支那駐屯憲兵隊への臨時増加配属」を命じられ、中国大陸へ向かうことになります。
赴任先は、中国・山西省の小塞村。ここは、のちに有名となる平型関の戦いの入り口にあたる場所でした。平型関の戦いは、日本軍と中国共産党系の八路軍が激しくぶつかった初期の大規模戦闘で、山あいの要衝をめぐる激戦地として知られています。
番組では、軍の資料や地図をもとに、亀一がどの部隊に属し、どのルートで平型関周辺へ進軍したのかを再構成。実際に現地の地形や当時の戦況を専門家の解説も交えながら、戦場での姿に迫ります。
そして、里見さんが生まれて間もない1937年9月、亀一はこの地で戦死。里見さんの家族の歴史は、まさに激動の戦争史のただ中に置かれていたことがわかります。
新聞が伝えた「割腹自決」と、軍の記録が語る本当の最期
当時の新聞には、父の死について「佐野亀一准尉、割腹」と大きく報じられ、英雄的な最期として語られていました。
しかし、番組が掘り起こした軍内部の報告書や、同じ部隊にいた憲兵仲間の証言は、少し違う姿を伝えています。
それによれば、亀一は敵との戦闘で負傷しながらも、なお軍刀を抜いて反撃に出ようとしたその瞬間、手榴弾の直撃を受けて戦死したとされているのです。
“割腹して果てた英雄”として描かれた新聞記事と、戦友たちが見た実際の姿。そのギャップは、戦時報道がしばしば「美談」として死を装飾してしまう現実を物語っています。番組では、当時の日本社会が求めた「英雄像」と、一人の若い父親として懸命に生き、戦場で倒れていった亀一の等身大の姿を対比させながら描き出します。
里見さん自身も、父の本当の最期を知ったとき、新聞記事の中の“記号としての軍人”ではなく、家族を残して倒れた一人の人間として父を近くに感じたと語ります。
二・二六事件の夜と、里見浩太朗の誕生をつなぐ“不思議な縁”
番組の中で印象的なのが、二・二六事件との“不思議な関係”です。
二・二六事件は、1936年2月26日に起きた陸軍青年将校によるクーデター未遂事件。東京の中枢が雪の中で占拠され、内閣総辞職にまで発展した、昭和史の大きな転換点といわれる出来事です。
里見さんは雑誌のインタビューなどで、「2・26事件の夜に、僕は“仕込まれた”んですよね」と、少し照れながら語ったことがあります。
番組では、このエピソードにも触れながら、
「父が軍都・東京で激動の時代を生きていたその夜に、自分という命が芽生えていたかもしれない」
という時間の重なりを描きます。
大きな歴史事件と、ひとつの家庭のささやかな営み。その交差点に自分がいる――この感覚こそが、ファミリーヒストリーという番組が見せてくれる“歴史の感じ方”でもあります。
静岡県富士宮市での暮らし 母・エツの覚悟と女手ひとつの子育て
亀一の戦死後、母のエツは、ふたりの息子を連れて静岡県富士宮市にある自分の実家を頼ります。
当初は、軍人遺族として支給される恩給が生活の支えでしたが、それだけでは足りず、エツは家で縫い物の内職をしながら家計を支えました。戦後、恩給が打ち切られてからは、古着の行商を始め、背中に荷物を背負って町を歩き回り、服を売って回ったといいます。
番組では、当時の富士宮の街並みや、近所の人の証言を通して、エツがどれほどの覚悟で「女手ひとつの子育て」に向き合っていたのかを描きます。
貧しさの中でも、子どもたちにだけはお腹いっぱい食べさせたい。学校にはきちんと通わせたい。そんな母の思いが、里見さんの「人としての芯」を形づくっていったことが、語りの端々から伝わってきます。
歴史的な事実としても、戦後の日本では多くの戦争未亡人が似た境遇に置かれ、行商や内職で子どもを育てていました。番組で描かれるエツの姿は、その世代の母親たちを代表する一人の証言でもあるのです。
山梨・南部町へさかのぼる佐野家のルーツと武田家家臣の血筋
父方の佐野家のルーツをたどると、山梨県南部町・井出に行き着きます。家系をさかのぼると、戦国大名武田信虎に仕えた武将・佐野光次に行き当たり、代々武田家の家臣として仕えてきた一族だったことがわかっています。
村では農業や林業に加え、塩の販売も手がけるなど、祖父・勝三郎の代には「村で一、二を争う財産家」だったという記録も残っています。
番組では、南部町の土地を訪ね、古い墓石や過去帳、地元の郷土史をもとに、佐野家がどのように地域と関わってきたのかを立体的に描いていきます。
豪農・豪商としての一面と、やがて東京へと出て軍人となった亀一。その流れは、「地方の旧家から都市へ、そして戦場へ」という、近代日本に多く見られた家族史そのものでもあります。
貧しさを力に変えた俳優デビュー 母から受け継いだ生き方と感謝
やがて成長した里見浩太朗さんは、静岡県立富士宮北高等学校を卒業後に上京し、築地市場で仲卸を営んでいた叔父の会社で働きながら、歌手を目指すようになります。
高校時代にはエヌ・エイチ・ケーのど自慢(NHKのど自慢)に挑戦し合格。その成功体験が芸能界への憧れを一気に強くし、その後、東映ニューフェイスのオーディションに合格。ここから映画・テレビの世界へ飛び込んでいきました。
番組では、「家計が苦しい中でも、母はぼくの夢を止めなかった」と語る里見さんの言葉が印象的です。戦争で夫を失い、一度は“生活のためだけ”に生きることを強いられたエツが、息子の夢だけは折らないと決めていた。その姿勢は、まさにタイトルにある「母が誓った覚悟」そのものだといえます。
そして今、数々の時代劇で主役を張り、日本を代表する俳優となった里見さん。番組の最後には、父の眠る地、母が苦労した町、自分を支えてくれた人々を思い返しながら、「自分は多くの命と覚悟の上に立っている」という実感を、静かにかみしめる姿が映し出されます。
ファミリーヒストリーは、一人の有名人の人生を追う番組ではありますが、その背後には、同じように戦争や貧しさをくぐり抜けてきた無数の家族の物語が重なっています。
里見浩太朗さんの回は、そのことを強く感じさせてくれる、温かくて、少し胸の奥がじんとする一時間になっています。
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