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NHK【ファミリーヒストリー】仲里依紗 〜海を越え受け継がれる愛〜 スウェーデン教区簿から判明した祖先の真実とアクセル・フィリップソンの歩み、アトランド号がたどった世界航路も紹介|2025年12月3日

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仲里依紗 〜海を越え受け継がれる愛〜

長崎からスウェーデンへ──海を越えて続いてきた家族の物語がひとつにつながる回でした。俳優として数々の作品で存在感を放つ仲里依紗さん。その背後には、予想を超える壮大なルーツと、“知られざる家族の挑戦”がありました。この記事では、番組で語られた全エピソードをもとに、その道のりをたどります。

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仲里依紗の原点・長崎から始まる物語

仲里依紗さんは長崎県 東彼杵町 の出身です。父・仲雄史さん、母・仲加奈江さんは結婚36年。地元で洋服店を営み、地域の中で暮らしを支えてきました。

その家庭に長女として生まれたのが仲里依紗さん。俳優として多くの作品に出演し、とくに『大奥』『連続テレビ小説 おむすび』など、幅広いジャンルで評価されています。地元の空気や家族の温かさが、仲さんのまっすぐな感情表現の源になっているのだと感じます。

スウェーデン人の祖父・アクセルさんが残した“謎の文書”

父・仲雄史さんには、長年気になっていたものがありました。亡くなった父であるアクセル・フィリップソンさんの遺品から見つかった、スウェーデン語の文書です。読めないまま何十年も保管されてきました。

番組の調査で、大阪大学でスウェーデン語を研究する古谷大輔さんが翻訳を担当。文書の一部は日本でいう戸籍に当たる教区簿で、高祖父のグスタフ・アルフレッドさんの出生地がスウェーデンの ユング であることが判明します。

さらに、グスタフさんは“非摘出子”として母に育てられ、幼いころから農夫として働き続けていたことがわかりました。11歳で働き始め、農場を転々とする生活。その後、21歳で港町 イエーテボリ に移住し、新しい人生を切り拓こうとします。

海外で躍進した祖先たちの足跡

1875年、都会イエーテボリに移ったグスタフさんはそこで家庭を持ち、1883年に次男のエノックさんが誕生します。この人物が仲里依紗さんの曽祖父にあたります。

番組はさらに、エノックさんの孫にあたる マルガレータ・フィリップソン さんにインタビュー。現在78歳、イエーテボリ大学医学部で腎臓移植の研究を続ける研究者です。

彼女が語ったのは、エノックさんが水道工事会社を設立し、周囲の信頼を集めるほど精力的に働いていたという事実。成功者として建てた家が今も残っており、時代を超えて家族の歴史を物語っています。

1912年には長男のアクセルさんが誕生します。仲里依紗さんの祖父です。

海とともに生きた祖父・アクセルさんの冒険

祖父・アクセル・フィリップソンさんは、39歳だった1952年、船乗りの道を歩み始めました。船のボイラーなどを整備する機関士として働き、世界の港を巡りました。

船乗りとして4年目、アクセルさんは貨物船『アトランド号』に乗り込みます。
スウェーデン国立公文書館には、その航海記録が残り、訪れた港には ボンベイ(インド)ロサンゼルス(アメリカ) などが記されています。

海の上で何を思い、どんな景色を見ていたのか。仲さんにとっては知られざる祖父の人生でしたが、世界を渡ったその歩みは、仲家の物語に大きな影響を与えています。

ふるさとと海外のルーツが一つにつながる瞬間

父・仲雄史さんにとって、幼いころに亡くなった父アクセルさんは、思い出が深く残っている存在ではありません。だからこそ、今回の調査で祖父・曽祖父・高祖父へとつながる“先祖の物語”が明らかになったことは、家族にとって大きな意味がありました。

異国のスウェーデンから長崎へ──。大きな海を越えて続いてきた血のつながりは、仲里依紗さんの個性や才能に確かに息づいていると感じます。

まとめ

俳優仲里依紗さんのファミリーヒストリーは、長崎の地で育った家族愛と、スウェーデンでたくましく生き抜いた先祖の挑戦が交わる壮大な物語でした。

・東彼杵町の洋服店から始まる“現在”
・スウェーデン語の文書から解き明かされた“過去”
・船乗りとして世界を巡った祖父アクセルさんの“冒険”

2025年の今、家族のルーツが結びつくことで見えてくるものがあります。仲里依紗さんの存在が、まさにその象徴でした。

【DayDay.】仲里依紗×ビリー・アイリッシュ独占対面|来日直前ロンドン密着トーク|2025年7月24日

国際結婚が難しかった時代背景を紹介します

家制度が強く影響していた時代

明治から戦前にかけての日本では、結婚は家と家を結びつける大事な行いと考えられていました。血筋を守ることや家の伝統を続けることが第一に見られ、結婚相手も家同士の関係性によって決まることが多かったです。こうした状況では、国や文化の違う相手との結婚は家の秩序を乱すものとされ、外国人との結婚は受け入れられにくいものでした。国が違えば価値観も違うという思い込みが強く、家族の中に“異なる文化”が入ることへの警戒がありました。

混血への偏見が残っていた時代

戦後には海外の兵士と結婚する日本人女性が増えましたが、そうした家庭で生まれた子どもたちは“混血児”と呼ばれ、社会の中で偏見を向けられることもありました。外見が日本人と違うという理由だけで、学校や地域で特別な目で見られたり、仲間に入りづらいと感じる子もいました。社会全体に「日本人とはこうあるべき」といった意識が強く、違う国の血を持つことが“異質”と考えられていた流れがありました。親世代もまた、子どもが差別されるのではという不安から国際結婚に反対することがよくありました。

法律面でもハードルがあった

法律の面でも外国人との結婚は簡単ではありませんでした。1873年にようやく国際結婚が認められましたが、結婚には許可が必要で、手続きが多く複雑でした。戦後から高度成長期にかけても国際結婚へ理解が進んだとは言えず、結婚後の暮らしでも制度の壁が残っていました。外国籍の配偶者の扱いや戸籍の問題など、生活の中でさまざまな手続きが負担になることもありました。

単一民族という意識の影響

日本では長い間「日本人は単一民族」という考え方が強くありました。そのため、異なる国の人と結婚することが“普通ではない”と見なされることも多く、混血の子どもたちにも「日本人らしくない」「どこか外国の印象が強い」という決めつけがありました。価値観の違いを受け入れにくい社会であったため、国際結婚への視線も厳しくなる傾向がありました。

時代の変化とともに広がる受け止め方

1970年代以降になると、芸能界やスポーツの舞台で外国ルーツの人が活躍し始め、国際結婚やハーフと呼ばれる子どもたちへも新しい理解が生まれました。ただ、社会の中で偏見が完全に消えたわけではなく、今でも価値観の違いに悩む家族はいます。それでも昔と比べると多様性を受け入れる空気が広がりつつあり、時代とともに家族の形も変わってきています。

こうした背景があったため、国際結婚は家族の反対を受けやすく、本人たちにとって大きな壁になることが多かったといえます。今回の仲家の物語の背景にも、当時の日本社会が抱えていた空気が確かに存在していました。


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