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NHK【ファミリーヒストリー】渡辺いっけいのルーツを動かした旅芸人とうすけと三河万歳一座の真実|2026年2月11日

ファミリーヒストリー
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渡辺いっけいのルーツに迫る家族の物語

このページでは『ファミリーヒストリー 渡辺いっけい 〜形見の眼鏡と謎の旅芸人とうすけ〜(2026年2月11日)』の内容を分かりやすくまとめています。

俳優として数々の作品で存在感を放つ渡辺いっけいさん。その足元には、夢を追い続けた祖父と、芸を愛した母方の血筋、そして謎多き旅芸人とうすけの影があります。

一つひとつの人生が静かに重なり、現在のいっけいさんにつながる道となった物語を、番組では丁寧にたどっていました。

祖父・半次が追いかけた学者の夢と「形見の眼鏡」

このページでは『ファミリーヒストリー 渡辺いっけい 〜形見の眼鏡と謎の旅芸人とうすけ〜(2026年2月11日)』の内容を分かりやすくまとめています。

番組がまず焦点をあてたのは、渡辺いっけいさん父方のルーツです。舞台は愛知県の東三河、農業が盛んな豊川市。ここで江戸時代初期から続く農家・渡邉家に、9代目として生まれたのが祖父の半次さんでした。

半次さんは明治36年生まれ。子どものころから成績がよく、地元でも評判の秀才。高い学費が必要だった私立の「寶山学院」に14歳で進学し、さらに学問の道に進みたいという大きな夢を育てていきます。寶山学院は当時、神職が開いたレベルの高い学校で、卒業生から銀行の重役や医師、大学教授などを多く輩出していました。

しかし家には「長男として家と土地を守る」という重い期待があります。議員も務めた父・傳さんはとても厳格で、「お前には家を継ぐ義務がある」と強く言い聞かせました。それでも半次さんはあきらめきれず、東京の親戚を頼って何度も家を飛び出しますが、そのたびに連れ戻されてしまいます。

やがて夢は断たれ、半次さんは農家として家を継ぐ道を選びました。それでも心のどこかに「学者になりたかった」という思いは残り続け、その象徴として大切にしていたのがメガネでした。渡辺いっけいさんが今も大事に持ち続けている「形見の眼鏡」は、祖父のそんな夢と葛藤の歴史が詰まった一本です。

半次さんは村の「村歌舞伎」の舞台にも立ち、芝居の機材が今も地元に残っていると紹介されました。学問だけでなく芸の世界にも惹かれていた半次さんの姿は、のちに俳優になる孫・渡辺いっけいさんにつながる要素として、番組の中でも印象的に描かれていました。

豊川で農家を継いだ父・一弘 野球エースから一家の大黒柱へ

続いて番組は、祖父・半次さんの長男であり、渡邉家10代目となる父・一弘さんの人生をたどります。

一弘さんは昭和5年に誕生。真面目で運動神経がよく、中学時代は地元チームのエース投手として活躍しました。けれど、長男である以上「家を継ぐ」という運命から逃れることはできません。高校卒業後は祖父と同じように農業に携わりながら、国鉄(日本国有鉄道)に就職し、地元の駅で働くようになります。

東三河一帯は、豊川用水の整備や温暖な気候に支えられた日本有数の農業地帯です。しそや菊、バラ、トマト、イチゴなど施設園芸が盛んで、稲作や畜産も含め、多品目をバランスよく生産する地域として知られています。
そんな土地で、一弘さんも国鉄の仕事と農家の仕事を両立させながら、一家を支える大黒柱として生きてきました。

番組では、渡邉家に残る古い写真や野球の記録、そして現在93歳となった一弘さんの姿も映し出されます。今も書道を趣味として楽しむ穏やかな表情からは、家と土地を守り続けてきた責任感と、家族を思いやる優しさが感じられました。

渡辺いっけいさんが「家族のためにも頑張らないといけない」と語る場面では、この父の生き方がどれだけ大きな影響を与えてきたのかが、静かに伝わってきます。

山奥の伊藤家と芸達者の血筋 「とうすけ」が残した記憶

物語はここから、母方・伊藤家のルーツへと移ります。

渡辺いっけいさんの母・しま子さんは、愛知県新城市の山間部にあった伊藤家の出身です。伊藤家の家は、かつては人里離れた山奥にあり、電気も通っていない暮らしでした。学校へ通うにも山を越えて歩いていかなければならず、冬は雪、夏は山道の暑さと闘う毎日。番組では、すでに倒壊した家跡に残るかまどや五右衛門風呂が映され、当時の厳しい生活環境がリアルに伝えられていました。

しま子さんは5人きょうだいの一人でしたが、今では兄弟姉妹も全員他界し、実家を継いでいる人はいません。山奥にぽつんと残る家跡は、まるで「最初からそこに誰も住んでいなかったのでは」と錯覚するほど静かで、しかし土間や風呂、かまどの跡が、確かに人が暮らしていた時間を物語っていました。

そんな厳しい環境で育ちながらも、伊藤家には「芸」がいつも身近にありました。父・常三郎さんは芸達者で、どじょうすくいの踊りを披露するのが得意。母・しま子さんも幼いころから歌と踊りが大好きで、地元の保育園で働くようになると、その明るい性格と芸で子どもたちから大人気の存在になっていきます。

この「芸達者の家系」の原点にいる人物として、家族の記憶に残っていたのが、謎の旅芸人とうすけでした。

三河万歳と旅一座 旅芸人「とうすけ」の正体に迫る

伊藤家に芸を教えた「とうすけ」とは何者なのか。番組の大きなテーマのひとつが、この人物の正体を追う旅です。

家族の証言によると、「とうすけ」は地元の人から「とうすけ漫才」と呼ばれる興行で知られ、万歳一座を率いて全国を回った旅芸人とうすけだったとのこと。しかし詳しい素性は分からず、長年「謎の人物」として語り継がれてきました。

番組スタッフが手がかりを求めてたどり着いたのが、この地域に伝わる伝統芸能「三河万歳」です。三河万歳は、愛知県の旧三河国にあたる地域で受け継がれてきた祝福芸。太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)が掛け合いながら、おめでたい詞を歌い、舞いで新年や慶事を祝う民俗芸能で、現在の漫才のルーツの一つとされています。

資料館や地元の聞き取り調査から、「とうすけ」の本名は小野田藤助(おのだ・とうすけ)であることが判明します。藤助は新城市の田嶺(たね)地区を拠点に、仲間たちと漫才一座を旗揚げし、日本各地を巡業していた旅芸人でした。

さらに調べを進めると、驚くべき事実が浮かび上がります。伊藤家の父・常三郎さんは、この小野田藤助から直接芸を教わっただけでなく、血縁関係にもあったことが分かったのです。つまり、伊藤家の「芸達者の血」は、旅芸人とうすけの血筋を色濃く受け継いだものだったのです。

渡辺いっけいさんが日常的に見てきた家族の歌や踊り、その源流には、全国を回って楽しさと笑いを届けていたプロの芸人がいました。三河万歳という伝統芸能と、自分の家族の歴史が一本の線でつながる瞬間は、視聴者にとっても胸が熱くなる場面でした。

連れ添って65年 波乱を乗り越えた両親の結婚物語

番組の後半では、渡辺いっけいさんの両親の結婚エピソードが紹介されます。ここにも、ドラマのような「山あり谷あり」の物語がありました。

父・一弘さんと母・しま子さんが出会ったのは昭和34年。きっかけはお見合いでした。野球チームでエースとして活躍していた一弘さんは、寡黙で真面目な性格。一方のしま子さんは、歌や踊りが大好きで朗らかな性格。初対面から互いに好印象を抱き、すぐに心の距離が縮まっていきます。

しかし、順調に進むかに見えた縁談は、思わぬ反対に遭います。しま子さんの家族が「もう少し財産のある家のほうがいいのでは」と考え、結婚話はいったん白紙に戻ってしまうのです。元々、しま子さんの父親は病弱で、幼いころに亡くなっています。そのため家族としては「健康で、経済的にも安定した相手」を望む気持ちが強かったといいます。

ところがその後、二人は偶然の再会を果たします。お見合いから時間がたっても、互いを忘れられなかった一弘さんとしま子さん。再会をきっかけに、ふたたび距離を縮め、周囲を説得してついに結婚へと踏み出しました。

それから65年。渡辺いっけいさんが番組で語ったように、二人はときにぶつかりながらも支え合い、家族と農業を守ってきました。今も並んで暮らす姿には、「大きな財産はなくても、共に生きる時間こそが何よりの宝物」というメッセージが込められているように感じられます。

俳優・渡辺いっけい誕生 祖父の眼鏡と母の支えが導いた道

最後に番組は、11代目として生まれた渡辺いっけいさん自身の人生へと視点を移します。

昭和37年、愛知県豊川市で生まれた本名・一惠さん。子どものころから活発で、人前でモノマネをしたり、ちょっとした芝居をしたりするのが好きな「クラスの人気者」でした。こうした性格は、村歌舞伎に立った祖父・半次さんや、芸達者だった母方の家系の影響が、自然と受け継がれたものと言えるでしょう。

高校時代、テレビドラマや舞台に心を奪われ、「俳優になりたい」という思いが芽生えます。両親は驚きつつも、祖父のように夢をあきらめてほしくなかったのか、その挑戦を応援する側に回ります。渡辺いっけいさんは大阪府にある総合芸術大学・大阪芸術大学に進学し、舞台芸術を本格的に学び始めました。同大学は映像・舞台・美術・デザインなど多様な学科を持つ日本有数の芸術系大学で、多くの俳優やクリエイターを輩出しています。

学生時代から劇団で活動を始めたものの、俳優だけで食べていくのは簡単ではありません。22歳で上京してからしばらくの間は、舞台の仕事に打ち込みながらも、生活は苦しく、母・しま子さんは家計を助けるため働き続け、仕送りや手紙で息子を励まし続けました。

このとき、母が渡辺いっけいさんに手渡したのが、祖父・半次さんの形見の眼鏡です。かつて「学者になりたい」という夢を抱きながらも、家の事情で夢をあきらめざるをえなかった祖父。その悔しさを乗り越え、「あなたは自分の夢を最後まで追いかけてほしい」という願いが、この眼鏡には込められていました。

やがて30歳を目前にして、転機が訪れます。NHK連続テレビ小説『ひらり』への出演が決まり、渡辺いっけいさんは一気に全国区の俳優として知られる存在になります。のちに「名バイプレイヤー」「いぶし銀の俳優」と呼ばれるようになるキャリアの始まりです。番組では、当時寡黙だった父・一弘さんが、親戚にあてた手紙に「息子は順調にやっています。皆さまのおかげです」と誇らしげに綴っていたことも紹介されました。

祖父の挫折と形見の眼鏡旅芸人とうすけの芸の血、そして両親の長い結婚生活と支え合い。そのすべてが合わさって、現在の渡辺いっけいさんを形づくっています。

番組を通して見えてきたのは、「夢は一代限りではなく、家族の時間の中で受け継がれていく」ということでした。学者になりたかった祖父の夢は、形を変えて、俳優として人々に物語を届ける渡辺いっけいさんの姿に生きています。そして、その背中をそっと押し続けてきたのが、農家として家を守った父と、芸達者であたたかな母だったのだと分かります。

読者としても、自分の家族に受け継がれている「ちょっとした特技」や「口ぐせ」「道具の形見」などを思い出しながら、このファミリーヒストリーを振り返ると、番組の余韻がより深く心に残るのではないでしょうか。

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