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【ファミリーヒストリー】平野レミ 〜誇り高きブイ家 愛に生きた一族〜|ルーツ・家系・牛トマの由来と父 平野威馬雄「レミの会」とは?2026年1月12日

ファミリーヒストリー
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誇りと愛が受け継がれた一族の物語

このページでは「ファミリーヒストリー(2026年1月12日放送)」の内容を分かりやすくまとめています。
料理愛好家・平野レミの家族の歴史は、スコットランド王室に仕えた先祖から、アメリカ開拓の成功、日本への憧れと別れ、そして戦争と差別の時代へとつながっていきます。
国や文化を越えて生きた祖父、強く家族を守った祖母、挫折の中から他者を支えた父。そのすべてが、平野レミの生き方と表現につながっていました。
一皿の料理や一曲の歌に込められた、家族の記憶をたどる物語です。

ブイ家の原点 スコットランド王室の「ワインマスター」

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番組の核としてはっきり描かれていたのが、ブイ家は古くからワインを扱う誇り高い名家だった、という事実です。
その象徴として登場するのが、ジェローム・ブイ。彼はスコットランド王室に仕え、国王ジェームズ6世の食卓を支えるワインマスターという重責を担っていました。

王のためにワインを選び、管理し、供する。
それは単なる酒の世話係ではなく、王の信頼を預かる専門職でした。
番組はこの出発点を、ブイ家の「誇り」「技」「継承」が生まれた瞬間として、断定的に位置づけています。

スコットランド国立公文書館やスターリング周辺の地名が示すように、ブイ家の歴史は想像ではなく、文書によって裏づけられたものです。
城と古文書を手がかりに家系をたどる旅は、ここから始まる一族の壮大な物語を強く印象づける導入となっていました。

アメリカでの大成功 メリーランドに刻まれたブイ家の名

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ブイ家の物語は、海を越えてアメリカで大きく花開きます。
18歳の若さで新天地を目指した先祖、ジョン・ブイ・シニアは、無謀ではなく計算された挑戦を重ね、着実に土地を増やしていきました。

たばこの栽培で成功を収めたブイ家は、地域の有力者として信頼を集め、やがて一族から州の議員や知事まで輩出する存在になります。
個人の成功にとどまらず、社会の中枢にまで影響を及ぼす一族へと成長していったのです。

その繁栄を今に伝えているのが、メリーランド州に残る「Bowie(ボウイ)」という地名です。
鉄道の要所として発展したこの町は、後にオーデン・ブイの名にちなんで呼ばれるようになりました。

番組は、ブイ家の名が地図に刻まれている事実をもって、この成功が伝説ではなく現実だったことを力強く示していました。
家名が土地となり、歴史として残る。それは、ブイ家がアメリカ社会に深く根を下ろした証でした。

祖父ヘンリー 来日までの歩みと日本美術への情熱

物語の中心に立つのが、祖父 ヘンリー・パイク・ブイ です。
彼はアメリカで弁護士として活躍する一方、日本文化日本美術を生涯をかけて伝えようとした人物でした。

若き日のヘンリーはパリへ渡り、パリ音楽院でヴァイオリンを学びます。
当時のヨーロッパでは日本美術への関心が高まり、ヘンリーは 葛飾北斎 の風景に強く心を奪われました。
異国の芸術に惹かれたそのまなざしが、やがて日本へと向かっていきます。

しかしその歩みの途中で、人生は大きく揺らぎます。
最初の妻アグネスとの結婚、そして突然の死別。
成功のただ中で味わった深い喪失が、ヘンリーを憧れの地 日本 へと導きました。

来日後、ヘンリーは 京都 に居を構え、日本語と日本画の研究に没頭します。
番組は彼を、単なる異国趣味の外国人ではなく、文化の橋渡し役として明確に描いていました。
この情熱こそが、のちに平野家へと受け継がれていく精神の原点だったのです。

祖母・平野駒の人生と、家族を守り抜いた日々

番組で“日本側の根”として静かに、しかし力強く描かれていたのが、祖母 平野駒 の人生です。
ヘンリー・パイク・ブイ がアメリカへ帰国したあとも、駒は日本に残り、琴を教えながら二人の息子を育て続けました。
家族が離れ離れになっても、暮らしを止めなかった。その姿に、家族を守る覚悟がはっきりと示されていました。

駒の人生は、決して平坦なものではありません。
少女時代は恵まれていたものの、父の死、兄の病、そして生活のために料亭へ養女に出されるという転機を迎えます。
その後、柳原愛子に仕えた経験が、のちに人生を大きく動かす縁談へとつながっていきました。

番組は、当時の奉公縁談という社会の仕組みを背景に、なぜ駒とヘンリーが結ばれたのかを丁寧に浮かび上がらせます。
横浜という土地や資料館の存在が、駒の人生が確かに史料に残る現実だったことを裏づけていました。

物語の後半で胸を打つのが、息子 平野威馬雄 を守ろうとする駒の姿です。
成長とともに周囲の視線を集め、学校を転々とせざるを得なかった威馬雄。
駒は、その心を傷つけまいと、黙って盾となり続けました。

駒は語らず、耐え、支え続けた人でした。
その静かな強さこそが、この家族を支えた防波堤だったのです。

父・平野威馬雄の挫折と再生 「レミの会」へ

この物語でもっとも激しい起伏を描いたのが、父 平野威馬雄 の人生でした。
若くして文筆活動に身を投じ、結婚し家庭を築く一方で、家の財産を失い、依存症に陥り、やがて離婚。
番組は、成功と転落が交互に訪れる威馬雄の人生を、隠すことなく真正面から描いていました。

荒れ果てた日々の中で威馬雄を救ったのが、下町のバーで出会った女性、のちの妻 清子 です。
彼女の献身的な支えによって、威馬雄は少しずつ人としての足場を取り戻していきます。
この再生の過程は、家族の物語であると同時に、人が立ち直る瞬間そのものとして強く印象に残ります。

さらに物語は、太平洋戦争という時代の闇へ踏み込みます。
検閲に苦しめられ、終戦後には態度を変える周囲の人間たち。
祖父の母国と戦う国に生きること、名前や出自が誇りにも傷にもなる現実が、威馬雄の内面を深くえぐっていました。

その経験が、やがて社会へ向かう行動へと変わります。
1953年、威馬雄は レミの会 を結成。
当時“混血児”と呼ばれ、偏見と差別の中で生きていた子どもたちを支援するためでした。

自分自身が背負ってきた痛みを、他者を守る力へ変える。
番組はここで、家族史が社会史へとつながる瞬間を、はっきりとクライマックスとして描いていました。

平野レミへ 受け継がれた言葉と、家族の記憶(牛トマ/歌)

物語の現在地として描かれるのが、平野レミ が家族の歴史をどう受け取り、生きてきたのかという視点です。
その核にあるのが、父 平野威馬雄 のたった一言でした。
進学校に馴染めず悩んでいた娘に、理由も問わず「辞めろ」。
そして続けて、「好きなことをやれ」。
この言葉が、平野レミの自由でのびやかな生き方を決定づけていきます。

料理も、歌も、表現も、すべては家族から受け継いだ肯定の延長線上にありました。
その象徴として番組が示したのが、牛トマです。
祖母から父へ、父から平野レミへと伝えられたこの料理は、単なるレシピではなく、家族の記憶そのものでした。
味を受け継ぐことは、言葉にできなかった想いを受け取ることでもあったのです。

さらに物語は、夫 和田誠 を失った後の平野レミの心情へと向かいます。
胸のつかえがほどけたきっかけは、他者からの一言でした。
そして彼女は再び歌います。
和田誠が作詞した 『シャンソン・ド・レミ』 を。

父と夫は今、横浜の外国人墓地で共に眠っています。
料理と歌を通して語られる人生の締めくくりは、静かでした。
それは確かに、愛に生きた一族の物語の終着点でした。

まとめ

この回の「ファミリーヒストリー」は、平野レミという一人の表現者の背景に、国と時代を越えて受け継がれてきた家族の物語があったことを静かに示しました。
王室に仕えた先祖の誇り、アメリカでの成功と名の継承、日本で家族を守り抜いた祖母の強さ、挫折を他者への支援へ変えた父の生き方。
そのすべてが、料理や歌という形で平野レミへとつながっています。
家族の記憶は、血筋ではなく、生き方として受け継がれていく。
番組はそのことを、深い余韻とともに伝えていました。

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