サンドウィッチマンと巡る宮城のファミリーヒストリー
番組は、今田耕司さんと寺門亜衣子さんの進行のもと、富澤たけしさんと伊達みきおさんを迎えて進みました。サンドウィッチマンの2人は宮城に強い思い入れを持つ存在で、土地の名前や歴史的背景にも自然と理解があり、その視点が番組全体に落ち着きを与えていました。
今回の「あなたのファミリーヒストリー 宮城編 全国版」では、単に家系をたどるだけでなく、宮城という地域で生きてきた人々の暮らしや選択が、日本の歴史とどう重なってきたのかを丁寧に見ていきます。視聴者から寄せられた300を超える投稿の一つ一つが、地域に積み重なった記憶の入口となっていました。
伊達家家臣だったのか 荒井家のルーツ調査
最初の調査依頼は荒井美樹さんによるもので、「先祖は伊達家の家臣だったのか」という疑問から始まりました。最も古い戸籍に記されていたのが荒井幸之進という名前です。幸之進の役目を調べるため、調査は仙台市博物館の史料へと進みます。
幸之進は藩主の身近に仕える『ちご小性』で、格式ある立場にあったことが分かりました。ここから、荒井家が単なる町人ではなく、藩政に関わる家系だった可能性が見えてきます。戸籍と史料が少しずつつながり、家の輪郭が形になっていく過程が映し出されました。
名奉行と呼ばれた荒井盛従の実像
さらに調査を進めると、江戸中期に生きた荒井盛従という人物が浮かび上がります。盛従は町奉行など複数の奉行職を務め、裁きや治安、年貢に関わる役割を担っていました。
中でも印象的だったのが『梵字裁き』の逸話です。供述を拒む僧が梵字で書いた文章を、盛従は独学で学び直し、内容を解読しました。その結果、翌日の裁きで矛盾を突き、僧は罪を認めることになります。
また、盛従は自身の裁きが本当に人を救っているのか悩み、町奉行の辞職を願い出ていました。弱い立場の人の事情を十分に聞き出せないことを苦にしていた姿は、奉行という役職の重さを強く感じさせます。
戊辰戦争で変わった荒井家の運命
盛従の時代からおよそ150年後、戊辰戦争が荒井家の運命を大きく揺さぶります。伊達家が旧幕府側についたことで、敗戦後は家臣たちが離散する事態となりました。
戸籍を確認すると、荒井家は明治期に仙台を離れ、現在の宮城県大崎市三本木へ移り住んでいたことが分かります。名家としての誇りを持ちながらも、時代の流れに翻弄され、生活の基盤を作り直さなければならなかった現実が、静かに伝えられていました。
父・荒井春夫が歩んだ昭和の時代
昭和14年生まれの荒井春夫は、家計が厳しい中で中学卒業後に集団就職を経験します。東京で働いたのち、仙台に戻りガラス店で働くようになりました。
やがて店を任されるようになった春夫は、窓ガラスの設置や修理で町を回り続けます。依頼主だった斎藤さん夫妻の証言からは、仕事の早さよりも人への気遣いを大切にする姿が伝わってきました。荒井家に受け継がれてきた、人の苦しみに目を向ける姿勢が、昭和の暮らしの中にも息づいていました。
母方・薄場家にもあった仙台藩との縁
調査は母方の薄場家にも及びます。藩の記録の中に見つかったのが、薄場庄三郎という名前でした。庄三郎は御台所人組に属し、仙台藩の食を支える役割を担っていました。
仙台藩は食文化が豊かだったことで知られ、いくら入りの鮭や鱈の汁物などが記録に残っています。荒井家と薄場家、どちらも伊達家を支える立場にあったことが分かり、二つの家系が同じ藩のもとで時代を生きていた事実が浮かび上がります。
伊達みきおのルーツを改めてたどる
番組では、2015年放送の伊達みきおさんの回も振り返られました。伊達みきおさんの家系は、独眼竜で知られる伊達政宗よりもさらに前、室町時代まで遡ります。
伊達宗行が分家し、大條を名乗って治めた土地は、現在の福島県伊達市にあたります。地名として今も残る場所があり、家系の流れが土地と深く結びついていることが示されました。
震災で両親を失った家族の願い
次の依頼者、高橋匡美さんの調査は、東日本大震災という現代の出来事が背景にあります。震災で突然両親を失い、結婚した息子に家族のルーツを伝えたいという思いが調査のきっかけでした。
遺品の中に残されていた短歌の存在が、母の生きてきた道をたどる手がかりとなります。
短歌が導いた石巻・水沼の記憶
短歌に何度も登場した地名が『水沼』でした。調査を進めると、石巻市水沼に続く鈴木家の歴史が明らかになります。
先祖の鈴木左門は学問や書に通じた人物で、その精神は家族の中で受け継がれていました。短歌という形で残された言葉が、土地と家族を再び結びつけていきます。
旧満州から戦後の石巻へ生き抜いた女性
博子の母・みさほは、旧満州で子育てをしながら暮らし、戦後は石巻に戻って酪農を始めました。深夜から準備し、早朝に牛乳を出荷する生活は過酷なものでした。
親族が土地を手放していた事情もあり、みさほは家族を養うため必死に働き続けます。その中で、短歌は心を保つ大切な支えとなっていました。
東日本大震災と残された言葉
2011年3月11日、石巻市は8メートルを超える津波に襲われました。匡美さんは後日、実家で母・博子の短歌ノートを見つけます。
そこに記されていたのは、受験を控えた孫を思う最後の歌でした。突然奪われた日常の中で、言葉だけが確かに残されていました。
孫へ受け継がれる短歌と家族の記憶
博子の孫・颯丸さんは、祖母から教わった短歌を通して、自分の思いを表すようになります。震災後、誰にも言えなかった気持ちを、言葉にすることで整理してきました。
今も日常の中で短歌を考え、家族の記憶を自分の中に生かし続けています。宮城という土地で生まれた言葉が、次の世代へと静かにつながっていました。
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