最新の大発見!歴史ニュース2025
今年の歴史研究を大きく揺さぶる発見が一気に集まり、日本の古代・戦国・近世をつなぐ“歴史の核心”に迫る特別版です。豊臣秀吉・豊臣秀長、藤原道長、武田信玄、明智光秀、坂本龍馬といった日本史に欠かせない顔ぶれに関連する新たな事実が紹介され、これまでの通説がゆらぐ可能性もあります。
大山古墳の副葬品、坂本城の石垣、薩摩藩の密偵報告書など、歴史の証拠が新たに姿を現す瞬間を追う構成です。
大山古墳の“奇跡のお宝”を最新科学で透視したら見えてきたこと
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大山古墳では、これまで“副葬品が見つかりにくい古墳”とされてきた状況が変わりつつあります。出土した金属製品とされる遺物は、形状や材質の劣化が進んでいるものの、専門的な技術を使えば内部構造が把握できる段階にあります。
科学的な透視が行われると、金属の成分、加工技術、装飾の痕跡、破損部分の位置などが解析でき、当時の工人の技術、権力者がどのような品を副葬したのかが浮かび上がります。副葬品の有無が長く議論されてきた大山古墳で、実際の“お宝”が確認される意義は大きく、古墳時代の政治的背景がより鮮明になる可能性があります。
さらに、透視によって見えた細部が、他地域の古墳や同時代の副葬品とどのように共通点を持つのか、あるいは異なるのかが分析されれば、大王の系譜や政治圏のつながりも再検討されます。番組では、この“透視の結果”が歴史像にどう影響するかが注目されます。
幻の城・明智光秀の坂本城で見つかった石垣が語る信長との関係
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坂本城は、近年まで“遺構の所在がはっきりしない城”とされていました。湖岸の水位の変化で一部の石材が確認されることはあっても、まとまった石垣は見つかっていなかったため「幻の城」と呼ばれてきました。
今回の石垣は、直線的に配された算木積みの構造がはっきりしており、城の外郭部としての役割が推測されます。石の組み方や土台の状態から、堅固な守りを意識した築城であったことが分かり、織田信長が明智光秀に託した使命の重さが読み取れます。
坂本城は琵琶湖を押さえる重要拠点で、京への水運と街道をつなぐ要衝です。石垣の規模と配置から、光秀が単なる武将ではなく、信長政権の中枢を支える立場だったことが、物証として裏づけられつつあります。城跡の推定図も見直される段階に入り、歴史地図そのものが書き換わる可能性を秘めています。
江戸幕府が恐れた薩摩藩に潜入した“スパイの報告書”という前代未聞のお宝
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江戸時代の薩摩藩は、外国船への対応、琉球との関係、軍事力の独自性などを背景に、強い独立性を持つ藩でした。幕府がその動向を最も警戒していた地域の一つでもあります。
その薩摩藩へ密かに潜入した人物が残した報告書には、藩の軍備、城の構造、財政の状況、税の運用、外交の対応などが細かく記されており、通常は外部に漏れない情報が多数含まれています。これほど内部事情に踏み込んだ史料が現存している例は少なく、前代未聞とされる理由もここにあります。
この報告書の存在により、幕府がどのように藩を監視していたのか、藩内の情報がどこまで把握されていたのかが浮かび上がります。薩摩藩と幕府の関係、さらには地方政治の実像を読み解く上で欠かせない史料として扱われます。
秀吉・秀長から道長・信玄・龍馬まで 日本史ビッグネームの最新発見を一挙紹介
番組では、日本史の主要人物に関わる“ここ1年で話題となった発見や研究の動き”がまとめて紹介されます。内容は放送前のため特定できませんが、取り上げられる対象は幅広く、時代を超えてつながっています。
豊臣秀吉・豊臣秀長では、兄弟の政治的役割や築城関連の新資料が注目されています。秀長の働きが再評価されることで、秀吉政権の安定の裏側がより明らかになります。
藤原道長に関しては、平安時代の貴族社会の実態を示す史料の再検討が進み、道長の権力の築き方が新たに読み解かれています。
武田信玄では、城跡の構造や軍事施設の調査が前進し、甲斐・信濃での勢力図を考える手がかりが増えています。
坂本龍馬では、手紙の再発見や伝承の検証が続き、人物像が以前より立体的になっています。
これらの最新動向が一挙に紹介されることで、時代を超えて歴史の流れのつながりが見えてきます。
多摩大学客員教授・歴史研究家 河合敦 の解説にも注目
番組では、幅広い時代に精通した河合敦が登場し、各発見の背景や意義を分かりやすく解説します。古代から近世までを横断する今回の特集で、彼の分析がどのように全体をつないでいくのかも重要なポイントです。
まとめ
大山古墳の副葬品、坂本城の石垣、薩摩藩の密偵報告書、そして日本史を動かした人物たちの最新研究まで、2025年の歴史ニュースをまとめて振り返る内容です。それぞれの発見が持つ重みが組み合わさり、日本史の景色が大きく変わる可能性を感じられます。
放送後、紹介された内容に合わせて記事を詳細に書き直します。
NHK【歴史探偵】最初の戦国大名 早雲の素顔 小田原城攻略の裏側にあった牛たいまつ作戦の真偽と明応9年大地震・八丈島の外交戦略とは|2025年11月19日
坂本城研究の歩みを、追加情報として紹介します

坂本城は、長いあいだ“幻の城”と呼ばれてきました。けれども過去の発掘と近年の大規模な調査を積み重ねて見えてきた姿は、これまでのイメージを大きく変えるものでした。ここでは、その変化の流れをよりくわしく補足としてまとめます。
1571年の築城と“水城”という特徴
明智光秀が築いた坂本城は、琵琶湖と一体化するように作られた“水城”でした。本丸が湖に面し、湖水を取り込む構造だったことが歴史資料から知られています。湖上交通の拠点としての役割も大きく、この時点で坂本城は地域の政治と交通を支える重要な場所でした。
1580年代の破却と“幻の城”という呼ばれ方
光秀の死後、坂本城はほどなくして破却されたとされます。資材が周辺の城に転用された記録も残り、地表にあった建物はほとんど姿を消しました。この頃から、坂本城は「遺構が見えにくい城」として扱われるようになり、長いあいだ“幻の城”という印象が広がりました。
1979年の初発掘で生まれた「証拠の第一歩」
昭和の後期に入り、初の本格的な発掘が実施されました。本丸周辺から礎石建物、瓦、陶磁器などがまとまって出土し、安土桃山時代の居館が存在していたことが確かな形で示されました。それまで文献中心だった坂本城研究に、初めて「物としての証拠」が加わった場面でした。
2000年代まで続いた“痕跡の少なさ”
発掘後も、城跡として残るものは非常に限られていました。琵琶湖の水位が下がったときだけ見える石垣、記念碑、公園などが確認できる程度で、城の全体像を描ける遺構はほとんどありませんでした。この時期、研究者や歴史ファンにとっても、坂本城は依然として「実態のつかめない城」という位置づけでした。
2021年以降に急展開した“湖岸の発見”
近年の琵琶湖の水位変化により、湖底や湖岸から石垣と思われる構造物が複数見つかるようになりました。これまで想像の域が強かった「水城としての石垣」を裏づける可能性が出てきたことで、坂本城への関心が一気に高まりました。
2024〜2025年に確認された大規模遺構と国史跡指定の決定
宅地開発に伴う調査では、三の丸外郭とみられる30メートルを超える石垣や8メートル幅の堀、礎石建物、井戸まで見つかり、これまで知られていた規模を大きく上回る城郭の姿が明らかになりました。転用された石材も出土し、廃城後の歴史をたどる新たな材料にもなっています。
これらの成果により、坂本城は「幻」ではなく、大規模で計画的な城郭であったことが確かなものになり、2025年9月には国指定史跡となることが決まりました。築城から約450年を経て、坂本城の評価は研究と発見を通じて大きく塗り替わったのです。
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