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NHK【歴史探偵】ニッポン カツオだし浪漫|古代日本のうま味革命!平城京で発見された堅魚煎汁の再現に迫る|2025年11月12日★

歴史探偵

古代の“うま味”を探る!平城京で見つかった幻の調味料「堅魚煎汁」とは?

料理の「だし」って、どうしてあんなにほっとする味がするのでしょう。毎日の味噌汁や煮物に欠かせないカツオだしですが、そのルーツを知っている人は意外と少ないものです。
実は、1300年以上前の奈良時代、すでに日本人は“うま味”を理解し、しかも天皇や高官だけが口にできた特別な液体調味料「堅魚煎汁(かたうおせんじる)」を使っていたのです。
この記事では、NHK『歴史探偵 ニッポン カツオだし浪漫』のテーマにもなった「堅魚煎汁」の正体から、カツオだしが“庶民の味”として広まっていくまでの歴史、そして専門家たちが語る「カツオだし=日本文化の象徴」という視点まで、わかりやすく紹介します。読めばきっと、今日の味噌汁がちょっと特別に感じられるはずです。

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平城京で発見された“幻の調味料”「堅魚煎汁」とは?

平城京跡から出土した木簡の中に、「堅魚煎汁」という文字が記されていました。そこには“天皇の食事に使用”と読める内容も含まれており、堅魚煎汁が天皇や高官だけに許された貴重な調味料だったことがわかります。
では、この堅魚煎汁とはどんな味だったのでしょうか。

「堅魚(かたうお)」とは、カツオを煮てから乾燥させた保存食。これをさらに煮詰めて得られた濃厚な液体が「堅魚煎汁」です。現代の「液体だし」の原型ともいえるもので、カツオの香りとうま味を凝縮したエッセンスでした。
国立国会図書館の資料や考古学研究によると、この堅魚煎汁は液体調味料として“醤(ひしお)”と並ぶ上位品に位置づけられ、宮廷料理に欠かせない存在だったといいます。

さらに注目すべきは、伊豆・駿河などの海沿いの国々から都へ“貢納品”として運ばれていた点です。これは、堅魚煎汁が国家の税制度の一部に組み込まれていたことを意味します。つまり、奈良の都に暮らす高貴な人々の食卓を支えるために、地方の漁師や職人たちが海からの恵みを献上していたのです。
壺や瓶(須恵器壺G)に入れられて都まで運ばれたとみられ、その容器も出土しています。考古学的にも、当時の物流と食文化の成熟ぶりを示す証拠といえるでしょう。

製法は非常に手間がかかりました。まずカツオを煮て乾燥、さらに煮出して濃縮する。保存性を高めながら、魚のうま味を最大限に閉じ込めたその液体は、古代人にとって“海の恵みを凝縮した贅沢の象徴”でした。
研究者による再現実験では、香ばしさと魚醤に似た深いコクがあり、塩分とともに複雑なうま味が広がる味わいだったと報告されています。

平安から江戸へ “貴族の味”が“庶民の味”へ

平安時代の『延喜式』には、「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」などが調味料や貢納品として明記され、宮廷料理の中で重要な役割を担っていました。当時のだし文化は、現代のように削り節を使って風味を取る形ではなく、濃縮された液体調味料を料理に加える方式。調味料としての“うま味”の概念がすでに確立されていたことがわかります。

中世に入ると、武家社会の拡大とともに、魚介の乾物や発酵食品の流通が発展します。港町では堅魚の加工技術が洗練され、カツオ節の原型が生まれました。しかし、それでもなお“カツオの味”は上層階級の特権的なもので、庶民にはまだ遠い存在でした。

転機が訪れたのは江戸時代。
黒潮に沿って鰹漁が盛んになり、土佐(高知県)や焼津(静岡県)が一大生産地として発展。乾燥とカビ付けを組み合わせた“本枯節”製法が確立され、香り高く保存のきくカツオ節が全国に流通しました。
この革新により、江戸では「鰹節+醤油+砂糖」を使った濃厚な味付けが人気を博し、そばつゆ・煮物・おでんといった料理が庶民に愛されるようになりました。

当初は特別な日にしか使われなかったカツオ節も、享保年間(18世紀)以降になると、一般家庭でも日常的に削ってだしを取るようになります。
こうして「堅魚煎汁」が象徴した“高貴なうま味”は、時代とともに民衆の手に渡り、日本人全員が共有する味覚文化へと進化していったのです。

専門家が語る「カツオだし=日本文化の象徴」

カツオだしは、単なる味付けの基礎ではありません。
それは、日本人の感性や自然観が凝縮された「文化そのもの」です。
国立歴史民俗博物館の研究では、堅魚煎汁の存在を「和食の起点」と位置づけ、魚の加工・保存・調味技術がすでに奈良時代に高度化していたと分析しています。
つまり、だし文化のルーツは「科学」ではなく、「自然の恵みを生かす知恵」だったのです。

また、カツオだしに含まれるイノシン酸とグルタミン酸の調和は、うま味の科学的基盤であり、日本料理の味の特徴を決定づける要素です。これにより、日本人は“塩辛くないのに満足感のある味”を作り出しました。
こうしただしの活用こそが、「素材を殺さず、引き立てる」という日本的美意識の表れです。

さらに、食文化の社会的意義も見逃せません。
古代では堅魚煎汁が“税”として扱われ、国家運営の一部を担っていました。食が経済・政治・宗教儀礼と結びついていたことを示す好例です。
そして江戸時代になると、庶民が自分たちでだしを取り、日常の料理に使うようになった。そこには“味覚の民主化”ともいえる社会変化がありました。
現代においても、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された際、「だし文化」がその中核を成す要素として評価されています。

つまり、堅魚煎汁から始まったうま味の歴史は、日本人の生き方そのものを映し出す鏡なのです。だしを取るという行為には、自然との共生、手間を惜しまない精神、そして日々の食を大切にする心が息づいています。

まとめ

この記事のポイントは次の3つです。

・奈良時代の「堅魚煎汁」は、天皇専用の“海のエッセンス”だった
・江戸時代に鰹節の製法が進化し、庶民の食卓にだし文化が広がった

・現代のカツオだしは、味覚だけでなく日本人の精神文化を象徴する存在

日々何気なく使っているカツオだしの一滴には、千年以上続く日本の知恵と歴史が詰まっています。
次に味噌汁をすすったとき、その香りの奥に、平城京の宮廷や江戸の台所をつなぐ“うま味の旅”を感じてみてください。
きっと、あなたの中で“だし”の味が少し違って感じられるはずです。

(※この記事は2025年11月12日放送予定の『歴史探偵 ニッポン カツオだし浪漫』の事前情報をもとに執筆しています。放送後には再現実験や専門家のコメントなどを追記予定です。)

参考・出典リンク

・国立国会図書館「日本の食文化に見る堅魚煎汁の歴史」
 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/17/1.html

・東京医療保健大学 紀要論文「堅魚煎汁にみる古代の調味文化」
 https://www.thcu.ac.jp/research/pdf/bulletin/bulletin10_02.pdf

・ヤマキ株式会社「鰹節大百科 歴史編」
 https://www.yamaki.co.jp/katsuobushi-plus/special/katsuobushidaihyakka/history/

・沼津市公式サイト「考古資料にみる古代の海産物流通」
 https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/kyoiku/kyoiku/bunka/doc/kouenkai_kouza3_shiryo.pdf

・taste.co.jp「食の歴史コラム『堅魚煎汁』の再発見」
 https://www.taste.co.jp/colam/201001.html

・小林食品株式会社「和食のうま味と鰹節のはじまり」
 https://www.kobayashi-foods.co.jp/washoku-no-umami/bonito-history

・にんべん株式会社「鰹節の歴史」
 https://www.ninben.co.jp/about/katsuo/history/

・eo光ネット「江戸の食文化と鰹だしの広がり」
 https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-6b.html

・国立歴史民俗博物館リポジトリ「和食文化の形成における魚加工技術の意義」
 https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/record/2518/files/kenkyuhokoku_218_25.pdf

・公益社団法人生命保険ファイナンシャルアドバイザー協会(JAIFA)「日本文化としてのうま味」
 https://www.jaifa.or.jp/present/serial/jp_culture_2023_05/


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