災害と戦争を超えて生まれた絆の物語
石川県・能登の被災地で出会った写真家と一人のおばあちゃん。その関係は、ただの記録や支援ではなく、人と人がどう向き合うのかを考えさせてくれる深い物語です。
『Dearにっぽん(おばあちゃんに教わったこと ロシアの写真家と“能登の女神”)(2026年5月3日放送)』でも取り上げられ注目されています 。
地震や豪雨、そして遠く離れた戦争という出来事の中で、なぜ2人は出会い、心を通わせたのか。そこには、能登の女神と呼ばれる生き方と、今の時代を生きるヒントが隠されています。
この記事でわかること
・なぜ「能登の女神」と呼ばれるのか
・被災地・上大沢町で何が起きているのか
・写真家が惹かれた本当の理由
・戦争と国籍を超えた人間関係の意味
・「向き合う日々」という言葉に込められた考え方
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ロシア出身写真家 宮田ラリーサと能登の出会い
ロシア出身の写真家・宮田ラリーサさんが能登で出会ったのは、石川県輪島市上大沢町で生きてきた徳光しさのさんです。
上大沢町は、日本海からの強い風を受ける場所にあり、昔から家を守るために間垣という竹の垣根を使って暮らしてきました。海と山が近く、岩のり漁や山菜採りなど、自然と一緒に生きる暮らしが続いてきた集落です。
ラリーサさんが惹かれたのは、しさのさんの特別な言葉や派手な行動ではありません。
毎日を静かに受け止め、できることを今日やる。
その姿そのものが、写真に残したくなる人間の強さだったのだと思います。
『Dearにっぽん 選 おばあちゃんに教わったこと ロシアの写真家と“能登の女神”』でも、この2人の関係が深く描かれています。
“能登の女神”と呼ばれる徳光しさのの生き方
しさのさんが“能登の女神”と呼ばれる理由は、きれいに着飾っているからではありません。
地震や豪雨でふるさとが傷ついても、自然を恨むだけではなく、「その日を生きる」という姿勢を持ち続けているからです。
しさのさんは、金沢に避難しながらも、輪島の仮設住宅や上大沢町へ足を運び続けています。ふるさとへ戻るために散歩を続け、体を動かし、もう一度暮らしを立て直そうとしています。
ここで大切なのは、しさのさんが「強い人」として特別に作られた人物ではないことです。
悲しみもある。
不安もある。
戻れない現実もある。
それでも、今日できることをする。
この姿が、見る人の心に残ります。
能登の女神とは、災害に負けない完璧な人という意味ではなく、つらい現実の中でも暮らしの手触りを失わない人、という意味に近い言葉です。
震災と豪雨で消えた集落 上大沢町の現実
上大沢町を理解するには、地震と豪雨の二重被災を避けて考えることはできません。
能登半島地震で家屋や道が大きな被害を受け、その後の豪雨でさらに土砂災害が起きました。集落を守ってきた間垣も流され、港や道にも被害が重なりました。住民が戻りたくても、簡単には戻れない状況が続いています。
上大沢町は、ただの「被災地」ではありません。
そこには、海からの風を防ぐ知恵、岩のりを採る冬の仕事、山菜を採る季節の楽しみ、近所同士で支え合う暮らしがありました。
つまり、壊れたのは家だけではありません。
暮らしのリズムや地域の記憶も大きく揺さぶられたのです。
だからこそ、しさのさんが岩のり漁を再開する姿には大きな意味があります。
それは単なる作業ではなく、
「私はまだ、この土地とつながっている」
という静かな意思表示のように見えます。
なぜラリーサはしさのに惹かれたのか
ラリーサさんがしさのさんに惹かれた理由には、写真家としての目だけでなく、個人としての深い思いがあります。
ラリーサさんには、幼いころに育ててくれたウクライナ人の祖母がいました。けれど、ロシアによる軍事侵攻の影響で、祖母のお墓があるウクライナへ行くことが難しくなりました。
自分のルーツに近い大切な場所へ行けない。
国籍によって見られ方が変わってしまう。
その苦しさを抱えていた時、しさのさんはラリーサさんを「ロシア人だから」と分けず、ひとりの人として見てくれました。
ここが、この物語の大きな核です。
ラリーサさんにとって、しさのさんは被写体であると同時に、失った祖母の記憶を思い出させる存在でもありました。
しさのさんの手のしわ、岩のりを採る姿、瓦礫の中を歩く背中。
そこには、人生の傷と優しさが同時にあります。
写真は、きれいな景色だけを写すものではありません。
その人が生きてきた時間を写すものでもあります。
戦争と差別の中で見つけた「人としての関係」
この内容が注目される理由は、能登の被災地を描いているだけではないからです。
そこには、戦争、国籍、差別、人として見ることという、とても大きなテーマがあります。
ロシアによる軍事侵攻後、ロシア国籍の人が複雑なまなざしを向けられる場面は少なくありません。もちろん戦争への責任と、個人として生きる人を同じにしてはいけません。
でも現実には、国籍だけで距離を置かれたり、冷たい目で見られたりすることがあります。
そんな中で、しさのさんはラリーサさんを国で判断しませんでした。
「この人はどこの国の人か」ではなく、
「この人はどんな人か」
を見たのです。
これはとても大切な視点です。
災害でふるさとを失いかけている高齢女性と、戦争によって祖母の記憶の場所へ行けなくなった写真家。
2人はまったく違う人生を歩んできました。
けれど、どちらも「大切な場所に簡単には戻れない」という痛みを抱えています。
だからこそ、2人の関係はただの支援する人・される人ではありません。
お互いの痛みをわかろうとする、対等な人間関係に見えるのです。
写真作品「向き合う日々」に込めた意味
ラリーサさんが展示会で選んだ写真のタイトルは、向き合う日々でした。
この言葉が強いのは、希望だけを語っていないところです。
「立ち直る日々」でも、
「復興する日々」でもなく、
「向き合う日々」。
つまり、すぐに元通りになるわけではない。
悲しみが消えるわけでもない。
それでも、毎日その現実と向き合って生きていく。
このタイトルには、しさのさんの生き方そのものが入っています。
瓦礫の中を歩く姿。
岩のりを採る手。
山菜を見つける目。
ふるさとに戻るために体を動かす日課。
どれも派手ではありません。
でも、だからこそ本物です。
このテーマから私たちが学べることは、災害や戦争のような大きな出来事の中でも、人は小さな行動で自分を支えられるということです。
今日歩く。
今日手を動かす。
今日誰かに会う。
今日できることをする。
しさのさんの姿は、そうした小さな積み重ねが、人生を前へ進める力になることを教えてくれます。
そしてラリーサさんの写真は、その小さな力を見逃さずに残すものです。
能登の女神という言葉の奥には、特別な美しさではなく、傷つきながらも生きる人の尊さがあります。
だからこの物語は、能登の話でありながら、私たち自身の生き方にも静かに問いかけてくるのです。
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