不発弾処理 足下に潜む“脅威”
2025年6月22日(日)よる9時から放送される「NHKスペシャル 不発弾処理 足下に潜む“脅威”」は、今なお多くの地域に残されている戦争の危険な名残=不発弾に注目した特集です。全国で問題になっている不発弾の中でも、特に数が多い沖縄に焦点を当て、1年間かけて不発弾処理の専門部隊に密着した記録が放送される予定です。住宅地や農地、工事現場など、私たちのすぐそばにひそむ“見えない危険”を、丁寧に掘り下げます。放送後、さらに詳しい情報が入り次第、内容を更新していきます。
沖縄では今も1日1件以上のペースで不発弾が見つかる
沖縄県では、戦後80年近くが経った今でも、1日1件以上の不発弾処理が行われている状況が続いています。全国では年間約1,800件の不発弾が処理されていますが、その多くを占めているのが沖縄県です。この背景には、太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われ、沖縄に約20万トンもの爆弾が投下されたという事実があります。そのうち約5%、およそ1万トンが不発弾として地中に残されたとされています。現在でも1,850トン以上が未処理のまま残っており、完全に取り除くには今後70年以上かかるという試算もあります。
・不発弾は住宅地・学校の近く・農地・建設現場などで見つかる
・発見のたびに周囲では避難指示や交通規制が行われる
・発見頻度が高く、掘削工事中に突如見つかることが多い
これらの事実は、戦争が終わったとされる時代においても、戦争の影が今も生活に影響を及ぼしていることを示しています。
今月、処理作業中に事故が発生
2025年6月9日、沖縄県読谷村の嘉手納弾薬庫地区で不発弾の処理作業中に爆発事故が起こり、自衛隊員4人が負傷しました。現場では錆や泥を落とす作業中に信管が爆発。隊員たちは軽傷だったものの、不発弾が今も非常に高い威力を持っていることが明らかになりました。この事故は、不発弾処理部隊が設立された1974年以降、初めて隊員が負傷した重大な事案となりました。
・事故現場ではブルーシートと土のうで爆弾が覆われていた
・処理には熟練の技術と長年の経験が求められる
・信管の劣化が、逆に爆発の危険性を高める場合もある
このように、不発弾は発見だけでなく処理も極めて危険な作業であることが再確認されました。
暮らしのそばにひそむ危険とは
不発弾は、沖縄県内では決して特別な場所で見つかるものではありません。むしろ私たちの暮らしのすぐそば、市街地・団地・学校の近く・公園・田畑などあらゆる場所で見つかっています。那覇市では、下水道工事中に米軍製の250キロ爆弾が発見され、周辺の世帯に避難指示が出されました。数百人規模の避難が必要になることも少なくありません。
・県民からは「小さくても怖い」「いつ終わるのか不安」という声も
・磁気探査などの予防的な取り組みも進められている
・沖縄県と各市町村は補助制度を使い安全確保に努めている
こうした現実は、不発弾が現在も沖縄県民の生活と密接に関わっていることを示しています。
なぜ今も不発弾は処理されないのか
不発弾の処理が進まない理由には、いくつかの大きな要因があります。
・投下量が非常に多く、発見しきれない
・処理には高い技術と安全対策が必要で、時間と人手がかかる
・発見場所はランダムで、地中深くに埋まっているため掘らないと分からない
・都市開発や再開発のたびに新たな爆弾が掘り起こされる
・探査や処理にかかる費用と予算が不足している
これらの要因が重なり、現在のペースではあと70年かかるとも言われています。
不発弾は戦争の“置き土産”
不発弾はただの金属の塊ではありません。それは戦争が残した危険な負の遺産であり、地域社会に深く根づいた記憶でもあります。たとえば2009年には、沖縄県糸満市で発生した爆発事故により作業員が視力を失うなど、60年以上経っても爆発力が衰えていないことが示されています。こうした事故の記憶は、今でも地域住民の間で語り継がれています。
・爆発によるけがや被害は深刻な影響を与える
・戦争を知らない世代にとっても不発弾は身近な問題
・「戦争は終わった」とは言い切れない現実がある
このように、不発弾は過去のものではなく、今も未来へ続く課題であり、私たちが平和を考えるきっかけにもなっています。
放送を通じて伝えられるメッセージ
この番組では、1年間にわたって不発弾処理の現場を記録し、戦争の記憶が現在進行形で続いていることを可視化する試みがなされる予定です。技術や経験、制度だけでは解決しきれない部分もある中で、「当事者としてどう向き合うか」が問いかけられます。放送を見たあとに、不発弾という言葉の意味がきっと変わるはずです。
放送後には、さらに詳細な内容を更新する予定です。今なお足下にある“危険”と向き合う勇気と知識を、あらためて多くの人に届ける機会となるでしょう。
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