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【NHKスペシャル】Last Days 坂本龍一 最期の日々|闘病20時間手術と最後の演奏『aqua』、未来への手紙が残したもの|2025年12月28日

NHKスペシャル
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命の終わりまで音楽と共に生きた男 坂本龍一の「最期の日々」

このページでは『NHKスペシャル 選 Last Days 坂本龍一 最期の日々(2025年12月28日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
2023年3月28日に亡くなった坂本龍一が、死を前にして何を考え、どのように日々を過ごし、音楽とどう向き合い続けたのか。本番組は、遺族が提供した日記やプライベート映像、未公開の肉声記録を通して、その最晩年を静かに、しかし深く描いています。この記事を読むことで、番組の全体像だけでなく、坂本龍一という一人の人間が残した時間の重みを感じ取ることができます。

闘病の始まりと死を意識した日常

坂本龍一は2014年に『中咽頭がん』が見つかり、放射線治療などを経ていったん寛解します。しかしその後も体調と向き合う日々は続き、2020年には新たに『大腸がん』が判明しました。がんはすでに肝臓や肺へ転移しており、長期にわたる治療が避けられない状況となります。

2021年1月、亡くなる約2年前。『RADIO SAKAMOTO』で新年の挨拶を行った直後、坂本龍一は再び入院生活に入ります。ラジオではいつもと変わらぬ落ち着いた声でしたが、その裏では、身体の内部で静かに、しかし確実に病が進行していました。

1月14日に行われた手術は約20時間に及ぶ大手術でした。長時間の麻酔と身体への負担は想像を超えるもので、術後もすぐに回復することはなく、入退院を繰り返す厳しい闘病が続きます。番組では、遺族の協力により、本人が実際に使っていた身の回りの物をもとに、当時過ごしていた病室が忠実に再現されています。

その空間には、身体の自由が徐々に失われていく中で感じた不安戸惑い、そして思考の揺らぎが色濃く残されています。最晩年の肉声記録では、「意思では止められない」「脳が勝手に作り出してしまう」という言葉が語られています。これは単なる痛みの表現ではなく、病が身体だけでなく、感情や思考、心の奥深くにまで影響していたことを示しています。

自分ではどうにも制御できない感覚に直面しながらも、坂本龍一はその状態を言葉として残し続けました。その記録からは、恐怖や絶望だけでなく、状況を冷静に見つめようとする強い意志も読み取ることができます。病と共に生きる現実を、逃げずに受け止めようとする姿勢が、この時期の日々には刻まれていました。

音を手放さなかった入院生活

入院中も坂本龍一は、常に小さな音が鳴るものを身近に置いていました。それは楽器に限らず、かすかな響きや揺れを感じられる存在で、病室という閉ざされた空間の中でも、音とつながっている感覚を失わないためのものでした。
身体を思うように動かせない日々の中で、音は外の世界と自分を結びつける、数少ない手がかりでもありました。

入院生活では、自撮りで日々の様子を記録することが日課となります。カメラに向かって多くを語るわけではありませんが、その映像には、病と共に過ごす時間の重さや、言葉にしきれない感情が静かに映し出されています。
音がそばにある時間だけが、かろうじて日常の感覚を保たせていたことが、こうした記録から伝わってきます。

2021年3月、約2か月に及ぶ入院を経て、東京の仮住まいに退院します。身体は万全とは言えない状態でしたが、部屋に戻ると、坂本龍一は迷うことなくシンセサイザーに触れました。
鍵盤を確かめるように音を出し、一つひとつの響きを身体で感じ取るように、音楽制作を再開していきます。

この時期、P10で短いスケッチを録音し始め、楽曲のタイトルを8桁の年月日で表す制作スタイルが生まれました。そこには完成を急ぐ姿勢はなく、その日、その瞬間に生まれた音を、そのまま残すという感覚がありました。
時間の流れそのものを音として刻むような、この制作方法は、最晩年の創作を象徴するものでもあります。

体調はその後も回復と悪化を繰り返し、思うように制作が進まない日も少なくありませんでした。それでも坂本龍一の中から、「音を浴びたい」という衝動が消えることはありませんでした。
音楽は仕事でも義務でもなく、生きていることを確かめる行為として、最後まで彼のそばにあり続けていたのです。

東北ユースオーケストラと音楽の力

東日本大震災をきっかけに立ち上げた東北ユースオーケストラは、坂本龍一にとって、最晩年まで特別な意味を持つ活動でした。単なる音楽プロジェクトではなく、震災で傷ついた土地と人々に、音楽で寄り添い続けるための場だったからです。

入院中であっても、その関わりが途切れることはありませんでした。病室に届いたビデオレターを通じて、若い演奏家たちの音に耳を傾け、言葉を送り続けます。身体は病院にありながらも、心は常にオーケストラと共にあり、音楽の力で復興を支えたいという思いが揺らぐことはありませんでした。

毎年3月に行われる定期演奏会には、体調と相談しながらも、可能な限り関わり続けました。2022年3月の演奏会にも参加し、その場に流れる音と空気を、自らの身体で確かめています。それは指導者としての責任感というより、音楽を共有する時間を失いたくないという切実な思いに近いものでした。

一時的に体調が落ち着いた時期には、ニューヨークの自宅に戻ることもできました。しかし、最終的に選んだのは東京での生活でした。慣れ親しんだ環境で、限られた時間を制作に注ぐことを優先したのです。場所よりも、残された時間をどう使うかが、何より大切になっていました。

この一連の行動から伝わってくるのは、音楽が仕事や表現の手段を超えた存在になっていたという事実です。坂本龍一にとって音楽は、生きる意味そのものであり、誰かとつながり続けるための最後まで手放さなかった軸でした。
東北ユースオーケストラとの歩みは、その生き方を最も象徴する活動のひとつとして、深く心に残ります。

世界情勢と音楽による意思表示

2022年2月25日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった日、坂本龍一は自身の日記に「音楽だけが正気を保つ方法かもしれない」と書き残しています。病が進行し、身体の自由が徐々に失われていく状況の中で、それでも世界の出来事に心を向け、その重さを真正面から受け止めていました。

戦争の報に触れたとき、怒りや絶望を直接的な言葉でぶつけるのではなく、音楽という形で意思を示すことを選びます。そこでつながったのが、ウクライナの音楽家『イリア・ボンダレンコ』でした。坂本龍一は彼の活動に共鳴し、『Piece for Illia』という楽曲を提供します。

この曲は、戦争そのものを描写する音楽ではありません。静かで、抑制された音の連なりの中に、失われていく日常や、踏みにじられる時間への深い哀悼が込められています。言葉を使わずとも、聴く者に状況の重さを伝える、その姿勢こそが坂本龍一らしい抵抗の形でした。

病が進行し、治療と制作を両立させること自体が困難な状況であっても、彼は世界で起きている出来事から目を背けることはありませんでした。自分の命が限られていることを理解しながらも、社会や人々とのつながりを断つことなく、音楽を通じて声を上げ続けたのです。

この一連の行動は、本番組の中でも重要な軸として描かれています。音楽は個人的な表現にとどまらず、世界と向き合うための手段であり続けたこと。その姿は、芸術家としてだけでなく、一人の人間としての坂本龍一の在り方を、静かに、しかし強く印象づけています。

最後の演奏と未来への言葉

2022年9月、坂本龍一東京の長年慣れ親しんだスタジオで演奏を行います。これが、結果として公の場での最後の演奏となりました。
静かな空間に響いたのは、彼自身が選んだ楽曲『aqua』です。華やかな終幕を演出するような選曲ではなく、余分なものを削ぎ落とした音が、淡々と、しかし確かにその場を満たしていきました。

この演奏に至るまでの過程で、周囲からは治療よりも音楽制作を優先していたという証言が残されています。体調は決して安定していたわけではなく、むしろ限界に近い状態でした。それでも、音を出すこと、音を残すことを選び続けた姿勢は、坂本龍一という人間の生き方そのものを映し出しています。
音楽は仕事でも使命でもなく、生きている証としてそこにありました。

同年12月28日、坂本龍一は未来の自分に宛てた手紙を書きます。そこに記されたのは、「2203年末まで生きる」という一文でした。自らの病状や残された時間を冷静に理解していたからこそ、この言葉には現実逃避ではない、時間を超えて存在し続けたいという強い意志がにじんでいます。
肉体の終わりと、表現の持続。その二つを同時に見つめた言葉でした。

東京の仮住まいは、最晩年を過ごしていた当時のまま、今も残されています。部屋には、日々向き合っていた音の気配が静かに漂い、途中まで進められていたオーケストラ曲の制作も、すでに最終段階に差し掛かっていました。
完成を急ぐのではなく、最後の一音まで自分の感覚で確かめようとする姿勢が、そこにはありました。

この時期の坂本龍一から伝わってくるのは、終わりを意識しながらも、決して音楽から離れなかったという事実です。生の終盤にあっても、音は未来へと手渡されていくものだった。その確信が、『aqua』の響きと、未来への手紙の言葉に、静かに重なっています。

仲間との別れと最期の時間

2023年に入ると、坂本龍一の時間はさらに静かに、しかし確実に終わりへと近づいていきます。
イエロー・マジック・オーケストラのメンバーであり、長年にわたって音楽人生を共に歩んできた高橋幸宏が、1月11日に亡くなりました。高橋は軽井沢の自宅で闘病を続けており、坂本はそのもとを訪ねようとしていましたが、直前で自身が入院することになり、再会は叶いませんでした
同じ時代を駆け抜け、特別な関係で結ばれていた盟友の死は、坂本にとって計り知れない重みを持っていたことがうかがえます。

2月28日、坂本龍一は自らの意思で医師にターミナルケアを依頼します。延命よりも、残された時間をどう生きるかを選び取った決断でした。
その後、4人の子どもたち一人ずつ部屋に呼び、それぞれと向き合う時間を過ごします。言葉の多寡ではなく、共に過ごした時間そのものが、別れの意味を持っていました。
この日の出来事を記した日記が、最後の記録となります。そこには、感情を誇張する言葉はなく、静かに現実を受け止める姿勢が残されていました。

3月26日、亡くなる2日前。長年関わり続けてきた東北ユースオーケストラ定期演奏会が行われます。坂本自身は会場に立つことはできませんでしたが、その音楽は確かに彼の時間と重なっていました。
若い演奏家たちの音が鳴り響くその日、坂本の人生において大きな意味を持ってきた活動が、静かに続いていたのです。

そして3月28日雨の降る中、坂本龍一は息を引き取ります。
意識を失った後も、ピアノを弾くかのように指を動かしていたという描写が残されています。その姿は、最期の瞬間まで音楽が身体の一部であり続けていたことを物語っています。

盟友との別れ、家族との時間、そして音楽に包まれた最期。
この一連の出来事から浮かび上がるのは、坂本龍一が生涯を通して音楽と共に生き、音楽と共に旅立ったという揺るぎない事実です。
その指の動きは、演奏ではなくても、確かに彼の人生そのものを奏でていたように感じられます。

まとめ

『Last Days 坂本龍一 最期の日々』は、坂本龍一を偉大な音楽家としてだけでなく、病と向き合い、家族や仲間、世界と関わり続けた一人の人間として描いたNHKスペシャルです。
音楽、闘病、社会へのまなざし、そして最期の時間までを通して見えてくるのは、命の終わりまで創作を手放さなかった姿でした。番組を振り返ることで、その生き方の重さと静かな強さが、あらためて心に残ります。

 


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