いつも厨房から家族を思って〜スーパー総菜部長 梶原正子〜
このページでは『プロフェッショナル 仕事の流儀 いつも厨房から家族を思って〜スーパー総菜部長 梶原正子〜(2025年12月28日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
福岡のローカルスーパーで生まれる惣菜が、なぜ全国トップクラスの評価を受け続けるのか。その背景には、プロフェッショナル 仕事の流儀らしい一人の女性の生き方と、毎日の積み重ねがありました。
福岡・南区のローカルスーパーにある惣菜の現場
舞台は福岡市南区にあるローカルスーパーです。
福岡と長崎に4店舗を展開するこのスーパーで、惣菜部長を務めているのが 梶原正子 さんです。全国チェーンではなく、地域に根ざした店だからこそ、惣菜は「おまけ」ではなく店の看板として位置づけられています。
梶原さんは毎朝一番に出勤し、まだ売り場に人影がない時間帯から厨房に立ちます。
開店までの限られた時間の中で、7人のスタッフと役割を分担しながら、約120品もの惣菜を仕上げていきます。弁当、揚げ物、煮物、炒め物、サラダまで、並ぶ惣菜はすべてその日の厨房で作られたものです。前日の作り置きに頼らず、朝の仕込みから売り場までが一本の流れとしてつながっています。
この店では、惣菜が売り場の中心に据えられています。
中でも存在感を放っているのが、メンチカツに目玉焼き、エビフライ、パスタと、主役級のおかずを惜しみなく詰め込んだ弁当です。一つひとつのおかずが主菜として成立する内容でありながら、全体としてまとまりのある構成になっています。この弁当は、発売から10年以上にわたり、常に売り上げトップクラスを維持し続けています。
量が多いだけではなく、食べる人の一日を支えることを意識した組み合わせであることが、長く選ばれ続ける理由です。
このスーパーの惣菜売り場には、「今日は何を食べようか」と考える人の生活が、そのまま映し出されています。
惣菜コンテスト4年連続最優秀賞という結果
梶原さんの惣菜は、全国の大手スーパーやコンビニも参加する日本最大級の惣菜コンテストで、4年連続最優秀賞を獲得しています。
一過性の評価ではなく、同じ舞台で結果を出し続けている点が、この実績の重みを物語っています。
高く評価されたのは、味の良さだけではありません。
「誰が食べるのか」「いつ食べるのか」「どんな気持ちで口にするのか」までを想像した、食べる人起点の商品づくりです。
お腹を満たすだけでなく、その時間が少し前向きになることを目指した惣菜が、評価の中心にありました。
その考え方の原点となっているのが、サッカーの試合に向かう息子のために作った弁当です。
試合前に食べても重くならず、力が出るように考え抜いたその弁当を食べた息子が、試合でハットトリックを達成しました。
この経験が、「料理は人の背中を押すことができる」という実感となり、今も惣菜づくりの揺るがない軸になっています。
惣菜コンテストに向けては、準備も現場主導で行われました。
糸島の食材を使った試作を何度も重ね、素材の持ち味をどう引き出すかを追い込みます。
10月には、長崎県・五島列島にある店舗へ応援として駆けつけ、実際の売り場や客の反応を肌で感じながら最終調整を行いました。
五島列島の塩を使ったパンは、店頭に並ぶとわずか2時間で完売しました。
想定を大きく超える売れ行きに、その場で判断し、翌日の分として準備していた生地を使って急きょ追加で焼き上げ、焼き立てをすぐに売り場へ出します。
机上の計画ではなく、売り場の空気を読み取りながら動く力が、結果につながっていきました。
コンテストでの評価と、実際の売り場での反応。
その両方を大切にしてきたことが、4年連続最優秀賞という結果を支えています。
思いついたらすぐ作る、異例の商品開発スピード
一般的に新しい惣菜は、企画から試作、会議、発売までに数か月かかるのが普通です。
しかし 梶原さん の現場では、その常識が当てはまりません。
アイデアが浮かんだ瞬間が、すでにスタートです。
頭に思い描いた料理を、その場で試作し、味や見た目に納得できれば、完成したその日のうちに売り場へ出すこともあります。
「今、この売り場に必要かどうか」を基準に判断するため、迷いがありません。
物価高が続く中でも、1品1000円を超える惣菜が次々と売れていく背景には、
この判断の早さと現場の感覚があります。
価格よりも、「今これを食べたい」と思わせる力を優先した結果です。
発想のヒントは、店内だけに限られていません。
SNS、とくに TikTok に投稿された調理動画を日常的にチェックし、
「これは売り場でどう見えるか」「惣菜として成立するか」を考えながら、
自分なりのアレンジを加えていきます。流行をそのまま真似るのではなく、
地域の客層や店の売り場に合う形へ変えていくのが特徴です。
素材が決まれば、すぐに行動します。
鮮魚を使う料理であれば、鮮魚部に足を運び、その場で魚をさばいてもらいます。
部署の垣根を越えた連携は特別なことではなく、日常の動きとして根づいています。
こうした連携が、スピードを落とさず商品を形にする力になっています。
試作品の数は、1年で1000を超えます。
当然、すべてが商品になるわけではなく、失敗作も数えきれません。
味が想像と違ったもの、売り場で手に取られなかったものもあります。
それでも試作をやめることはありません。
挑戦を重ねることで、売り場は常に動き続けます。
この挑戦を止めない姿勢こそが、惣菜売り場の鮮度を保ち、
客が何度も足を運びたくなる理由になっています。
仕事が終わっても続く、家族のための料理
10時間の立ち仕事を終えたあとも、梶原さんの一日は終わりません。
厨房で惣菜を作り続けたその足で、仕事帰りに自分の店で食材を買い、家に戻ると今度は家族のための料理に取りかかります。
その日の体調や家族の様子を思い浮かべながら、台所に立ち、特製のグラタンを仕上げていきます。
店の厨房と家庭の台所は、梶原さんの中では切り離されていません。
どちらも「作業」ではなく、誰かの一日を支える時間です。
仕事としての料理と、家族のための料理に、気持ちの切り替えはありません。
2か月に1度、大阪で働く息子2人とその家族のもとを訪ねることも欠かしません。
遠く離れて暮らしていても、再会の中心にあるのは、やはり手料理です。
食卓に並ぶ料理には、言葉を多く交わさなくても伝わる思いがあります。
この姿勢は、売り場でも変わりません。
顔なじみの客から、子どもがインフルエンザにかかったと聞いたとき、
梶原さんは迷うことなく、栄養を考えた惣菜を手渡しました。
売るための商品ではなく、その家族の状況を思い浮かべた上での行動でした。
惣菜は、ショーケースの中で完結するものではありません。
その向こう側には、仕事帰りの夕方、体調を崩した家族、忙しい朝があります。
売り場の向こうにある暮らしを想像し続けることが、
梶原さんの料理を、単なる惣菜ではなく、心に残る一品にしています。
苦難を越えてたどり着いた惣菜部長という立場
梶原さんの人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。
両親が共働きだったため、幼い頃から弟や妹の世話を任され、自然と台所に立つ役割を担ってきました。家族のために料理をする時間は、この頃から日常の一部になっていました。
若い頃には、バレーボールで実業団から声がかかるほどの実力を持っていましたが、身長が伸び悩み、その道を断念します。
その後は看護師を目指し資格を取得しますが、現場で血を見ると倒れてしまう体質だったため、やむなく退職しました。努力して選んだ仕事を続けられなかった経験は、大きな挫折として心に残りました。
結婚後は4人の子どもに恵まれます。
しかし生活は安定せず、夫が営んでいた建設会社が倒産。
2000万円の借金を残したまま、夫は姿を消します。突然の出来事に、生活は一気に厳しさを増しました。
家族を守るため、梶原さんは昼は保険の営業、夜はスナックで働き、ほとんど休む間もない毎日を送ります。
その中で心の支えになったのが、周囲から料理を褒められたことでした。
「おいしい」と言われるその一言が、自分の存在価値を確かめる時間になっていきます。
35歳のとき、スーパーでパートとして働き始めます。
売れ残りそうな、賞味期限が近い食材を使って惣菜を作ってみると、それが店内で評判になりました。
無駄になりかけた食材が、喜ばれる一品に変わった瞬間でした。
正社員として惣菜部に入ってからは、衛生管理や食品管理など、学ぶべきことが山積みでした。
失敗を重ねながらも、一つひとつ積み上げ、周囲からの信頼を得ていきます。
その積み重ねが評価され、54歳で惣菜部長に抜擢されました。
今では、福岡のローカルスーパーにすごい惣菜を作る女性がいると、
全国から視察が訪れる存在になっています。
長い遠回りと数えきれない苦労が、今の仕事と姿勢を形づくってきました。
梶原正子が考える『プロフェッショナル』
長年の立ち仕事で膝を痛め、6年前には手術も受けました。無理をすると痛みが走る中でも、コンテストで考えたランチプレートを「お客さんに食べてほしい」と作り続けます。
番組の最後に 梶原正子 さんは語りました。
『ウチの料理を食べて、一瞬でもワクワクしたり、幸せな気分になってもらえれば、それがプロフェッショナル』。
スーパー惣菜部長としての肩書きの裏には、家族を思い続けてきた一人の人生がありました。その思いが、今日も福岡の厨房から売り場へと並んでいます。
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スーパーの総菜が「手抜き」ではなく「選択」になった背景

ここからは、番組内容と重ねながら、今の時代におけるスーパーの総菜の位置づけについて紹介します。かつて総菜は「時間がないときの代用品」と見られがちでしたが、今ではそうした見方は大きく変わっています。総菜を選ぶ行為そのものが、生活を整えるための前向きな判断として受け止められるようになってきました。
暮らし方の変化が総菜の意味を変えた
共働き世帯の増加や一人暮らし、高齢世帯の広がりなど、家族の形や暮らし方はこの数十年で大きく変わりました。毎日決まった時間に料理を作ることが難しい家庭も増えています。その中で、総菜は「作れないから買うもの」ではなく、今の生活に合った形で食卓を整える手段として選ばれるようになりました。時間や体力をどう使うかを考えたうえで、総菜を取り入れることは自然な判断になっています。
中食という文化が定着した今
家庭で作る内食、外で食べる外食に加えて、総菜や弁当を利用する中食は、すでに特別な存在ではありません。スーパーの総菜売り場には、栄養バランスや量、味の違いを考えて選べる商品が並んでいます。自分や家族に合った一品を選ぶ行為は、食事を大切に考えているからこそ生まれるものです。総菜を選ぶこと自体が、食への意識の表れになっています。
総菜売り場が「選ぶ場所」になった
近年のスーパーでは、総菜売り場が大きく変わってきました。作りたてを感じさせる陳列や、家庭料理に近い味付け、地域性を生かした商品など、選ぶ楽しさが重視されています。どれを食卓に並べるかを考える時間は、料理をする時間とは違った意味で家族を思う時間です。総菜はもう「手を抜くためのもの」ではなく、暮らしを考えて選び取る食事として、日常の中にしっかり根づいています。
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