餅ばあちゃんの物語〜93歳の菓子職人・桑田ミサオさんが守る津軽の笹餅〜
本州の北端、青森県津軽半島。四季の移ろいがくっきりと感じられるこの土地は、春は残雪と新緑、夏は深い緑と青空、秋は黄金色の稲穂、冬は一面の雪原と、昔ながらの日本の原風景を残しています。その地で、30年以上にわたり年間5万個ものササ餅を、ほぼ一人で作り続けてきたのが菓子職人の桑田ミサオさんです。
93歳を迎えても、山へ分け入り、自ら笹の葉を採取し、餅米や小豆を一から準備。現代では珍しい、全工程を手作業で行う和菓子づくりを続けてきました。この姿には、便利さや効率を優先しがちな今の暮らしへの静かな問いかけがあります。
母から受け継いだ教え「十本の指は黄金の山」
桑田さんの背中を押し続けたのは、母からの言葉「十本の指は黄金の山」。意味は、「この指を動かし続ければお金に困らない。作れることは何でも覚えなさい」。農業や手工業が生活の基盤だった時代、手は生きるための道具であり資本。桑田さんはこの教えを胸に、笹餅づくりに限らず、裁縫や保存食づくりなど、多くの技を身につけました。
「辛い時も苦しい時も、助けてくれたのはこの十本の指」と振り返る言葉には、自分の力で生き抜く自信と誇りがにじみます。
一人で作り続ける理由と地域との絆
桑田さんがすべてを一人で行うのは、「たくさん儲けたいからではなく、喜ぶ顔が見たいから」。仕入れから販売までの全工程を担うことで、品質や味を守り抜きます。
地元のスーパーに週2回卸す笹餅は、午前中には売り切れる人気。朝3時から仕込み、自転車で朝市に運ぶのが日課でした。さらに、冬の観光名物津軽鉄道「ストーブ列車」では、歌いながら販売する“餅ばあちゃん”として旅人を笑顔にしました。
その活動は農林水産大臣賞の受賞や全国紙での紹介を通じて広く知られ、地域の誇りとして語られる存在になっています。
ササ餅の魅力と作り方
ササ餅は、青々とした笹の香りと自然の殺菌作用による保存性が特徴です。もち粉とあんこを練り込んだ生地は、もっちりとした食感と優しい甘さがあり、五感すべてで楽しめる郷土菓子です。
作り方の流れはこうです。
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もち粉に塩・砂糖・あんこを加え、水を少しずつ足して耳たぶ程度の柔らかさに練る
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採ってきた笹の葉を熱湯でさっとゆで、冷水にとって水気を拭き取る
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丸めた餅を笹にのせ、紐を使わず丁寧に折りたたむ津軽流の包み方で仕上げる
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蒸し器で約20分蒸し、笹の香りが立ち上ったら完成
この技法により、見た目の美しさと保存性が両立します。新芽が出る初夏は香りが格別で、神事や祭りでも振る舞われます。
餅作りから学ぶ仕事と人生の姿勢
桑田さんの仕事には、現代の働き方にも通じる教訓があります。
まず、「小さな営みを大切にすること」。大量生産ではない分、一つひとつの品質に責任を持てます。
次に、「喜びを届ける労働」。一袋150円程度という価格でも、食べた人の笑顔が最大の報酬だといいます。
さらに、93歳になっても山に入り笹を採る体力は、毎日体を動かし続ける暮らしの賜物。健康管理や無理しない工夫も続けてきました。
そして、「わからないことを学び続ける謙虚さ」。母からの「1を聞いたら10を知りなさい」という教えを守り、新しい知識や方法を取り入れてきました。
文化としての笹餅
笹餅は単なるおやつではなく、地域文化の象徴です。季節や祭りと結びつき、食べる人に郷愁と安心感を与えます。手間をかけて作るその姿は、自然と共に生きる暮らしや、地域のつながりの大切さを教えてくれます。
桑田さんの笹餅は、味だけでなく「作り手の物語」も一緒に届けられてきました。
まとめ
「十本の指は黄金の山」という言葉を胸に、桑田ミサオさんは一生を通じて笹餅づくりを続け、地域と深くつながってきました。その生き方は、便利さや効率に流されがちな現代に、手仕事の価値や人との絆の温かさを思い出させてくれます。津軽の自然とともに紡がれてきたこの物語は、これからも多くの人に勇気と優しさを届けるでしょう。
「餅ばあちゃん」の生き方に心が温まった
今回の番組を見て、一番強く感じたのは、桑田ミサオさんの暮らしと仕事ぶりが本当に美しいということです。93歳という年齢になっても、毎朝早く起き、山に入って笹を採り、自分の手で餅を作り続ける姿は、ただ「すごい」という言葉では足りません。そこには、効率や利益よりも「人に喜んでもらいたい」という純粋な思いがありました。その表情は疲れではなく、満足や感謝で満ちていて、見ている私まで穏やかな気持ちになります。母から受け継いだ「十本の指は黄金の山」という教えを胸に、長年同じ仕事を続けてきた背景には、自分の手で生きる力と誇りが感じられました。現代では便利さやスピードが優先されがちですが、桑田さんのように手間を惜しまず、心を込めて作る姿は、人の心を豊かにするものだと改めて思います。この番組は、単なる職人の紹介ではなく、「どう生きるか」という大きなテーマを静かに投げかけてくれるものでした。
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