記事内には、広告が含まれています。

NHK【病院ラジオ】北海道大学病院編▼サンドウィッチマン札幌へ|患者の声と移植医療が残した希望 2025年12月28日

病院ラジオ
メール購読のご案内

いつも「気になるNHK」をご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、NHKの番組紹介や見どころ、新着情報などをいち早くお届けしています。

スポンサーリンク

病院ラジオ 北海道大学病院編

このページでは『病院ラジオ 北海道大学病院編▼サンドウィッチマン札幌へ(2025年12月28日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
北海道大学病院に一日限りで開設されたラジオ局を舞台に、患者さんや家族が日ごろ胸にしまってきた思いを、リクエスト曲とともに届けていくのがこの番組です。病院ラジオは、病気や治療の説明だけでなく、その人がどんな毎日を生きているのかを静かに伝えてくれます。今回の北海道編では、難病移植医療後遺症余命宣告といった重いテーマが続きながらも、支える人と支えられる人の関係が一つひとつ描かれていました。

北海道大学病院に開設された一日限りの病院ラジオと番組の趣旨

番組8年目で初めて北海道を訪れたサンドウィッチマンは、札幌にある北海道大学病院(北大病院)で一日限定の出張ラジオ局を開設しました。これまで全国各地の病院を巡ってきた病院ラジオにとって、北海道は初めての舞台であり、その場所として選ばれたのが、最先端医療の拠点として知られるこの病院でした。全国から難病重い病気と向き合う患者さんが集まる北海道大学病院で、ラジオという形を通して声を拾い上げることが、この番組の大きな役割です。

スタジオでは笑いも生まれますが、語られる内容はどれも現実そのものです。病院の中で過ごす長い時間、不安や痛みを抱えながらも家族に言えなかった気持ち、治療や入院生活を支えてくれた医療者への感謝。普段は胸の奥にしまわれがちな思いが、マイクの前で静かに言葉になります。そうした声をリクエスト曲と一緒に届けることで、病院という場所を「治療を受ける場」だけでなく、「人の人生が交差する場所」として、少し違った角度から映し出していました。

難病や重い後遺症と向き合う患者たちが語った本音と感謝

最初に登場した37歳の女性は、皮膚筋炎という難病を突然発症し、予期せぬ形で入院生活を送ることになりました。急に全身の痛みに襲われ、3か月にわたる入院の中で、これまで当たり前にできていた動作が一つずつできなくなっていったといいます。体の変化だけでなく、気持ちの面でも追い込まれていきましたが、つらさを家族にも打ち明けられなかったと振り返ります。そんな中で支えになったのが、リハビリを担当する医師やスタッフの存在でした。日々の小さな変化や言葉にならない気持ちを丁寧に汲み取り、そばに寄り添ってくれたことで、少しずつ安心感を取り戻していったと語りました。感謝の思いとともに選ばれたリクエスト曲は『ケセラセラ』で、前を向く気持ちが静かににじみ出ていました。

また、旅先での交通事故により、脳が露出するほどの重傷を負った女性のエピソードも紹介されました。長い治療とリハビリを経て回復し、再び北海道に戻ったあと、彼女が始めたのが北海道大学病院での病院ボランティアでした。事故による外見の変化から、人と会うことを避ける時期もあったといいますが、病院での活動を通じて、少しずつ人との関わりを取り戻していきました。今では、障害が残りながらも「今の自分を生きている」と受け止め、前を向いて日々を重ねていると語っています。

心臓移植・肝臓移植・白血病など移植医療に支えられる家族の決断

53歳の男性は、劇症型心筋炎を発症し、ある日突然倒れて命の危機に直面しました。出張先で体に異変を感じて病院を受診した直後に入院となり、その後しばらくの間は意識を失った状態が続いていたといいます。意識が戻ったとき、男性の体には人工心臓補助装置が装着されており、そこから心臓移植を待つ生活が始まりました。この装置は24時間365日の管理が必要で、本人だけでなく家族や周囲の人も機械の扱いを学び、常に支え合いながら生活する必要があります。制限の多い日常ではありますが、男性は過度に悲観することなく、移植が終わったら旭岳に登ると心に決めていると話しました。その言葉には、未来を見据える強さがにじんでいました。

寄せられたメッセージの中では、夫の転勤をきっかけに北海道で暮らし始めた女性の体験も紹介されました。知り合いのいない土地で、突然の病により肝臓移植を受けることになり、不安な日々を過ごしたといいます。そんな中で心の支えとなったのが、毎日声をかけてくれた移植チームの存在でした。命を救ってもらった経験から、夫婦で「次は自分たちが命をつなぐ側になりたい」と話し合い、夫は骨髄バンクへの登録と提供を決断したと語られました。

さらに、急性白血病と診断された父のために、20代の娘が造血幹細胞の提供を決断したエピソードも紹介されました。診断を受けたときの衝撃や不安を乗り越え、父の命を支える選択をした娘は、父が退院したら婚約の報告をしたいという思いを胸に抱いています。その気持ちとともにリクエストされた曲が『パーフェクト』で、家族の絆と未来への願いが静かに伝わってきました。

医療従事者として、また患者として生きる人が見つけた希望

33歳の女性は、自己免疫性自律神経節障害という病気で入院生活を送りながらも、看護師としての道をあきらめずに歩んできました。自分の抗体が自律神経を攻撃してしまうこの病気により、胃や腸が動かず、栄養は点滴に頼り、排泄も自力ではできない状態が続いています。体には複数の管が欠かせず、常に制限のある生活を送ってきたといいます。

それでも彼女は、医療者であり患者でもある自分を少しずつ受け止めてきました。病名を聞いたときには、やっと治療ができると感じてほっとした一方で、実際には卒業後から長い間、入退院を繰り返し働けない時期が続きました。思うようにいかない日々の中で気持ちが追い込まれ、病院を抜け出したこともあったと振り返ります。

そんな彼女を支えたのが、寄り添ってくれた看護師たちの存在でした。患者としてだけでなく、一人の人として向き合い、同じ立場に立って言葉をかけてくれたことで、「復帰したら自分もこういう看護師になりたい」と思えるようになったと話します。現在は休職中ですが、取材の時点では間もなく現場復帰を控えていました。

リクエスト曲の『笑顔』は、つらいときに看護師たちが何度も流してくれた特別な一曲です。その曲とともに、支えられながら前を向いてきた時間が、静かに語られていました。

生まれつきの病気や余命宣告を受けても前を向く人生の選び方

16歳の女子高生は、腸管神経節細胞僅少症という生まれつきの病気を抱え、人工肛門と共に生活しています。お腹の腸が動く力が弱く、日常生活にはさまざまな制限がありますが、幼い頃から「病気は個性」だと教えられて育ってきました。病気があるからといって自分を否定する必要はなく、自分の人生は自分で決めていくものだと、家族から一貫して支えられてきたと話します。食事にも制限があり、繊維の多い野菜や海藻などは避けなければなりませんが、その中でも楽しみや目標を失っていません。大好きなしらすを使った生しらす丼を食べることが今の目標で、その言葉からは日常を前向きに生きようとする姿勢が伝わってきました。リクエスト曲として選ばれたのは『水上バス』で、これからの人生を自分のペースで進んでいく思いが重なっていました。

続いて登場した54歳の高校教員は、腎盂がん転移もあり、医師から余命1〜2年と告げられています。生物を専門とする教師として、自分の体に起きている変化や治療の影響を、どこか冷静に見つめていると語りました。投薬や検査を続けながら授業に関わり、生徒とのつながりが今の大きな支えになっています。病名は生徒たちに伝えていますが、余命についてはあえて話していないといいます。病気と向き合う中で、うまくいかないことが重なっても、気持ちまで止めてしまわないようにしたいという思いから、病院にいる人たちへ腐らずにいこうというエールを送りました。リクエスト曲は『ファイト!』で、限られた時間の中でも前を向いて生きる覚悟が、静かに伝わる場面でした。

まとめ

病院ラジオ 北海道大学病院編は、治療の結果や数字ではなく、人が病気と共にどう生きているのかを伝える60分でした。北海道大学病院に集まった声は、どれも特別なものではなく、誰の身にも起こり得る現実です。難病移植医療後遺症余命宣告という重い言葉の裏にある日常と希望を、ラジオという形で丁寧に残した回でした。

NHK【病院ラジオ(20)心の医療センター編】さいがた医療センターの治療プログラムとは?依存症と心の病に向き合う現場|2025年9月15日放送


気になるNHKをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました