北海道大学病院で響いた“命と感謝”のラジオ物語
2025年11月3日の朝、NHK総合「病院ラジオ」は北海道大学病院を舞台に放送されました。番組では、サンドウィッチマンの伊達みきおさんと富澤たけしさんが病院内に特設ラジオ局を開設し、患者さんやご家族の“今、伝えたい思い”を電波に乗せて届けました。
札幌にあるこの病院は、最先端医療と温かな人間の支えが共存する場所。放送では、難病や重い病と向き合いながらも前を向いて生きる人々の物語が次々と語られました。涙あり笑顔ありの1時間は、聴く人すべてに“生きる力”を思い出させてくれるものでした。
【病院ラジオ(20)心の医療センター編】さいがた医療センターの治療プログラムとは?依存症と心の病に向き合う現場|2025年9月15日放送
皮膚筋炎と闘った女性が語る、心を支えてくれたリハビリの先生
最初にラジオブースを訪れたのは37歳の女性でした。突然全身に痛みが走り、検査の結果皮膚筋炎という難病と診断。即入院し、3か月間の治療生活を送りました。
当時は体が思うように動かなくなり、「どうして自分が」と気持ちを言葉にできず、家族にも弱音を吐けない日々が続いたそうです。そんな中で支えになったのが、毎日寄り添ってくれたリハビリの先生たち。自分の不安やわがままを汲み取ってくれたことで「ここにいていい」と思えたと語りました。
退院の日、どうしてもお風呂に入りたいとお願いしたときも、先生たちは笑顔で応えてくれたそうです。「迷惑をかけたと思っていたけれど、本当にありがたかった」と話す彼女の声には、感謝と安堵がにじんでいました。
彼女がリクエストした曲はMrs. GREEN APPLEの『ケセラセラ』。「なるようになる」という意味を持つ歌が、再び自分の人生を歩み出す彼女の決意を静かに後押ししていました。
劇症型心筋炎の男性が語る“笑って生きる力”
続いて登場したのは、53歳の木村さん。突然の体調不良で病院に運ばれ、劇症型心筋炎と診断されました。心臓が動かなくなり、3週間もの間、意識が戻らなかったといいます。
今は人工心臓補助装置を装着し、24時間体制で家族の支えを受けながら生活しています。この機械には常に電源が必要で、外出時もバッテリーを持ち歩かねばなりません。家族は機械の扱い方を学び、会社の同僚も講習を受けるほどでした。
それでも木村さんは「ネガティブにならない」と笑顔で語ります。「あと数年は移植待ち。でも、なるようになる」と前を向くその姿は、病と共に生きる覚悟の強さを物語っていました。治療が終わったら旭岳に登るのが夢だと話し、スタジオには静かな拍手が起こりました。
命をつなぐ人たちからの温かいメッセージ
番組には、北海道大学病院で治療を受けた患者さんやご家族から多くのメッセージが届いていました。
ちいちゃん(30代)は、夫の転勤で北海道に移り住み、突然の病で肝臓移植を受けた経験を語りました。「命をいただいたから、今度は命をつなぐ側になりたい」と夫婦で話し合い、夫は骨髄バンクに登録して実際に提供もしたといいます。
あいたんまんさん(28歳)は、父が急性白血病と診断され、自ら造血幹細胞移植を決意。「父のためなら余裕のよっちゃん」と笑いながらも、「退院したら婚約の報告をしたい」と未来への希望を語りました。
彼女の選んだリクエスト曲はエド・シーランの『パーフェクト』。親子の絆を象徴するような優しいメロディが流れました。
看護師として、患者として——二つの立場で見えた優しさ
次にマイクの前に座ったのは、33歳の内藤さん。自己免疫性自律神経節障害という病で入院中の彼女は、胃腸の動きが止まり、点滴と管で命をつないでいます。
実は彼女自身も看護師。発症当初は「ようやく治療ができる」と安堵したものの、現実は入退院の繰り返し。体も心も限界に達し、思わず病院を抜け出したこともあったそうです。
しかし、看護師たちは彼女を責めることなく、そっと寄り添ってくれました。「自分のことのように話を聞いてくれて救われた」と語る姿は、医療に携わる人間として、そして一人の患者としての本音でした。
リクエスト曲はいきものがかりの『笑顔』。看護師仲間が彼女の病室で何度も流してくれた曲だそうです。「この曲に何度も励まされました」と微笑みながら話す姿が印象的でした。
家族、そして社会に支えられる命
放送では、さらに多くのメッセージが紹介されました。
さとこさん(49歳)は原発巣不明神経内分泌癌と闘いながら、夜眠れないときに背中をさすってくれる夫への感謝を語りました。
ねこちくわさんは、3人の子ども全員が書字表出障害を抱えている母親。「主治医の“好きなことをやらせてあげて”という言葉で救われた」と話し、今は子どもたちの個性を信じて見守っているといいます。
さらに、おばらいくえさんは、17年前に旅先での交通事故で重傷を負い、奇跡的に回復。見た目の変化に苦しみながらも、病院ボランティアとして活動するようになりました。「今の私を生きている」と語る彼女の言葉に、多くの人が勇気をもらいました。
彼女のリクエスト曲はエレファントカシマシの『今宵の月のように』。生きることの儚さと美しさを感じさせる一曲でした。
病気を個性として生きる少女と、その母の想い
次に登場したのは、16歳の大高あすかさん。生まれる前から腸管神経節細胞僅少症と診断され、人工肛門で生活しています。さらに、数年前にはクローン病も発症。繊維質の野菜や海藻が食べられず、食事制限のある生活を送っています。
それでも彼女は明るく、「目標は生しらす丼を食べること」と笑います。幼いころ、人工肛門を「かわいい」と言って友達に見せていたというエピソードには、周囲をあたたかくする力がありました。
お母さんも番組に登場し、「病気を個性と受け入れ、自分を否定せず生きてほしい」と語りました。「病気と戦うのではなく、一緒に抱えて生きる」と話す姿には、母としての深い愛情が感じられました。
リクエスト曲はMr.Childrenの『水上バス』。柔らかい歌声に、母と娘の絆が重なりました。
余命宣告を受けた教師が語る“生きる授業”
最後に登場したのは、54歳のあさださん。腎盂がんが転移し、余命1~2年と告げられています。それでも彼は高校の生物教師として教壇に立ち続け、「自分の副作用や症状を授業で例にして教えている」と笑いました。
「自分の体を教材にするようなもの。でも、生徒たちに“生きる”ことを伝えたい」と語るその声は穏やかで、深い説得力がありました。
リクエスト曲は中島みゆきの『ファイト!』。「お互い腐らずに行こう」と語ったメッセージに、スタジオ中が静かに耳を傾けました。
まとめ|“病院ラジオ”が紡いだ命の声
この記事のポイントは以下の3つです。
・病を抱える人々が、自分の言葉で「生きる力」を伝えていたこと
・北海道大学病院の医療チームと家族の支えが、人を再び立ち上がらせていること
・音楽が、感謝と希望をつなぐ“心の処方箋”になっていること
サンドウィッチマンの二人が届けたラジオは、病室だけでなく、聴くすべての人の心を包み込みました。
それぞれの声が語るのは「生きる」というシンプルで力強いメッセージ。
北海道大学病院のラジオブースから生まれた言葉たちは、今日も誰かの背中をそっと押していることでしょう。
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