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Eテレ【わたしの日々が、言葉になるまで】“日々こと”SP〜この1年が、言葉になるまで〜|言葉にできない気持ち×言語化×ぶらぶら心×感情の言語化ヒント|2025年12月28日

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年の瀬のざわつきが、言葉になる瞬間を探して

このページでは『わたしの日々が、言葉になるまで“日々こと”SP〜この1年が、言葉になるまで〜(2025年12月28日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。年末になると、理由ははっきりしないのに心が落ち着かない、少しさびしい、でもどこか区切りを感じる。そんな『年の瀬のざわつき』を、文学や言葉の力を通して見つめ直すのがこの番組です。この番組を見ることで、自分の中にあった言葉にならない気持ちに、そっと名前をつけるヒントが得られます。

年の瀬に感じるざわつきと向き合う文学の視点

番組の大きな軸は、年末特有の落ち着かない気分言葉にならないざわつきを、文学作品というフィルターを通して読み解いていく点にあります。1年を振り返る時期は、楽しかった出来事や達成感と同時に、後悔不安、うまく整理できない感情が自然と浮かび上がりやすくなります。

この番組では、そうした心の揺れを無理に整理したり、前向きにまとめたりすることはしません。むしろ、そのままの状態で受け止め、文学がどのように人の感情を抱え込み、言葉にしてきたかに静かに目を向けていきます。

物語や詩に触れることで、今感じている気持ちが特別なものではなく、多くの人が昔から抱いてきた感覚だと分かり、「自分だけがざわついているわけではない」と気づけること。それこそが、この文学的な視点が持つ大きな魅力であり、年末にこの番組を見る意味でもあります。

小説・詩・エッセイに学ぶ感情の言語化のしかた

小説、詩、エッセイといった文芸作品は、日常の中ではっきり言い表せない感情を、驚くほど的確な言葉で形にしてきました。

番組では、小説家・朝井リョウの繊細な心理描写や、詩人・茨木のりこのまっすぐで芯のある言葉の力、そして津村記久子によるエッセイ『除夜の鐘の平等』が紹介されます。除夜の鐘が、立場や境遇に関係なく誰に対しても同じ音で鳴り響くという発想は、1年の終わりに多くの人が感じる不思議な安心感や、胸の奥に残るほんの少しの孤独を、静かに、しかし確かに言葉にしています。

こうした作品に触れることで、気持ちをうまく表現できなかった自分を責める必要はないと気づかされます。『感情の言語化』は、生まれつきの才能ではなく、物事を見る角度や視点の持ち方によって少しずつ近づいていけるものなのだと、この番組は自然に伝えてくれます。

擬態語や書き出しから広がる表現のヒント

文章を書くとき、「どう始めたらいいか分からない」と感じて、手が止まってしまう瞬間は決して珍しくありません。番組では、作家・村山由佳が、そうした迷いに対して『擬態語』の使い方や文章の書き始めについて、具体的で実践的なヒントを示します。

もやもやざわざわしんとするといった擬態語は、気持ちを理屈で説明する前に、その場の空気や心の状態を一瞬で伝える力を持っています。読者に状況を理解してもらおうとするより先に、まず感覚を置いてみる。その姿勢が、文章を前に進めるきっかけになります。

番組を通して伝わってくるのは、上手な書き出しとは、完成された結論や美しい言葉を最初から用意することではなく、今感じている感覚を、そのまま正直に置くことだという考え方です。言葉に詰まったときほど、整えようとせず、感じたままを書き始めていい。その気づきが、書くことへのハードルを静かに下げてくれます。

昔の言葉に見る「今」と重なる心の状態

番組では、江戸時代に使われていた『ぶらぶら心』という言葉も紹介されます。
これは、気持ちがどこかに定まらず、心が揺れ動いている状態を表した言葉です。

現代の年末に感じる、理由ははっきりしないけれど落ち着かない感覚や、次の年に向かう前の宙ぶらりんな気持ちと、この表現は重なります。忙しさが一段落し、ふと立ち止まったときに生まれる心の空白。その状態を、昔の人もすでに言葉にしていました。

ぶらぶら心』という言葉から伝わってくるのは、昔の人も現代と同じように、自分の気持ちを何とか言葉にしようとしていたという事実です。感情を押さえ込むのではなく、その揺れをそのまま受け止め、名前を与えようとする姿勢が感じられます。

時代が変わっても、人の心の動きは大きく変わらない
この視点に触れることで、今の自分が感じている不安や落ち着かなさも、特別なものではないと気づかされます。過去の言葉が、今の感情を受け入れる手がかりになる。その静かな安心感こそが、このエピソードの大きな意味です。

言葉にならなかった体験を即興で言葉にする試み

立教大学での公開収録という形を生かし、番組では会場の参加者から「言葉にできなかった体験」が集められます。
自分の中には確かに感情があるのに、どう表現していいか分からなかった出来事が、静かに共有されていきます。

題材として挙げられるのは、『ペットをなくしたときの気持ち』や、『場がシーンとなった瞬間の空気』など、特別ではないけれど誰もが一度は経験したことのある場面です。悲しみ、気まずさ、戸惑いといった感情は、強すぎるほど身近だからこそ、言葉にしにくいものでもあります。

そうした体験に対して、ゲストが即興で言葉を探していく様子が、このコーナーの大きな見どころです。完璧な表現を目指すのではなく、迷いながら、考えながら言葉を置いていく。その過程そのものが、感情と向き合う姿として映し出されます。

このやり取りを通して伝わってくるのは、感情は最初から整っていなくてもいいということ、そして言葉は一瞬で生まれるものではなく、探しながら少しずつ形になるものだという実感です。自分の気持ちをうまく言えなかった過去も、そのままでよかったのだと、そっと肯定してくれる時間になります。

まとめ

『わたしの日々が、言葉になるまで“日々こと”SP』は、年末のざわついた心に無理な答えを出す番組ではありません。文学の言葉、昔の表現、そして今ここにある感情を手がかりに、自分の1年を静かに振り返る時間を届けてくれます。

NHK【わたしの日々が、言葉になるまで】夢から生まれる感情を言語化!綿矢りさ×川谷絵音×森迫永依が語る“わたしの夢”|2025年7月19日放送


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