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【プロフェッショナル】心で魅せる、芸を貫く〜歌舞伎役者 片岡仁左衛門〜|人間国宝が語る舞台裏と大阪夏公演、熊谷陣屋の涙|2026年1月13日

プロフェッショナル 仕事の流儀
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心で魅せる芸の、その奥へ

このページでは『プロフェッショナル 仕事の流儀(2026年1月13日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。
開演直前、すでにその人は役の人生を生きていました。80歳を超えてなお主役を務め、年間100を超える舞台に立ち続ける歌舞伎役者、片岡仁左衛門
涙をもって役に入り、完成を否定し、舞台の隅々まで問い続ける姿は、伝統に安住しない覚悟そのものです。
名跡の重さ、病からの復帰、沈黙の1分半に込めた感情。この番組は、芸を「分かった」と思った瞬間から逃げ続ける、一人の役者の現在地を描いています。

片岡仁左衛門とは何者か:本名片岡孝夫、十五代目襲名までの歩み

片岡仁左衛門は、若い頃から「顔よし・声よし・姿よし」と断定的に評され、舞台に立つだけで空気を変える役者として早くから注目を集めてきました。
本名は片岡孝夫。長い年月、この名で舞台に立ち、数え切れないほどの役を積み重ね、評価を一つずつ勝ち取ってきた人物です。
1998年、十五代目片岡仁左衛門を襲名。それは名前を受け継ぐというより、過去の芸、名跡の重み、観客の期待、そのすべてを引き受ける決断でした。
番組が描くのは、襲名から年月を重ねた今もなお、「完成」に立たず、「途中」に身を置き続ける姿です。
積み上げた時間の厚みと、今日の舞台に向かう張りつめた覚悟。その両方が、今の片岡仁左衛門を揺るぎなく形づくっています。

「人間国宝(重要無形文化財保持者)」という肩書きが示すもの

片岡仁左衛門は、人間国宝、重要無形文化財保持者として紹介される存在です。
しかし番組が強く描くのは、称号の重みを誇る姿ではありません。

その肩書きを背負った瞬間から、舞台での一挙手一投足は、もはや個人の表現ではなく、歌舞伎そのものを体現する行為になると断定的に示されます。
評価を得たからこそ許される自由があり、同時に逃げ場のない重圧も生まれる。その現実が、静かな語りと舞台裏の映像から伝わってきます。

番組が印象づけるのは、地位が上がった今も稽古を緩めない理由です。
人間国宝とは完成の証ではなく、問い続ける立場であり続けること。その覚悟が、仁左衛門の表情と所作から揺るぎなく浮かび上がります。

大阪の夏の公演に密着:舞台本番までの積み上げ

密着の舞台となるのは、大阪の夏の公演です。
きらびやかな本番の裏側で続いているのは、静かで地道な積み上げの日々です。

役の感情をさらに深く掘り下げる作業、体の使い方のわずかな修正、共演者との呼吸を合わせる稽古。
番組は、そうした本番前の時間を丁寧に追い続けます。

舞台は一夜で終わりますが、その一夜のために費やされる準備は、決して一朝一夕ではありません。
大阪という土地で培われてきた歌舞伎の空気の中で演じる意味も、映像は静かに映し出します。

観客の前に立つ前から、舞台はすでに始まっている。
その確かな感覚が、密着映像から強く伝わってきます。

稽古で空気が変わる理由:「セリフが生きてなあかん」の意味

普段は柔らかな表情を見せる片岡仁左衛門ですが、稽古が始まった瞬間、場の空気ははっきりと変わります。
番組の中で繰り返し印象づけられるのが、「セリフが生きてなあかん」という言葉です。

それは声を張ることでも、感情を誇張することでもありません。
言葉が舞台の中で自然に呼吸し、相手役を通り、客席まで届いて初めて意味を持つ、という断定的な考え方です。

仁左衛門は弟子たちに対しても、言葉で説明するだけでなく、自ら何度も演じて示します。
間の取り方、語尾の置き方、体の向き。その一つ一つが、セリフを生かすための条件だと伝えていきます。

稽古場で積み重ねられる細かな修正は、すべて舞台上の一瞬につながっています。
その張りつめた緊張感が、画面越しにも強く伝わってきます。

楽屋撮影が許された舞台裏:人知れぬ準備と段取り

今回、特別に撮影が許された楽屋の映像は、この回を象徴する大きな見どころです。
そこにあるのは、拍手や照明とは切り離された、舞台前後の静かな現実です。

衣裳の段取り、出番の最終確認、次の場面へ向けた意識の切り替え。
限られた時間の中で、すべてが正確に、無駄なく進められていきます。

楽屋は休む場所であると同時に、集中を極限まで高める場所でもあります。
片岡仁左衛門は多くを語らず、必要な所作だけを積み重ねていきます。

番組は、言葉を交わさずに行われる準備の一つ一つを通して、舞台を支える時間の重さを映し出します。
観客の目に触れない場所こそで、芸は確かに形づくられている。その事実が、静かに伝わってきます。

父から受け継いだ当たり役と、「最後かもしれない」という覚悟

番組後半で描かれるのは、父から受け継いだ当たり役と真正面から向き合う姿です。
それは家の芸であり、同時に、片岡仁左衛門自身の人生を映す役でもあります。

年齢を重ねた今だからこそ到達できる表現がある一方で、舞台に立つたび、「これが最後になるかもしれない」という思いがよぎると、片岡仁左衛門は語ります。
その言葉は引退を示すものではありません。むしろ、一回一回を全力で生き切るという、揺るぎない覚悟の表れです。

番組が追い続けるのは、過去の評価や栄光ではありません。
今この瞬間の舞台にすべてを賭ける姿、その背中です。

役を生き、舞台に立ち続ける。
そこから、芸を貫くという生き方が、静かに、しかし強く浮かび上がってきます。

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