記事内には、広告が含まれています。

【歴史探偵】飛鳥の巨大石造物はなぜ造られたのか?酒船石の占い説と斉明天皇の国家戦略|2025年2月19日放送

歴史

飛鳥の巨石は何を語る?|2025年2月19日放送

2025年2月19日放送のNHK総合【歴史探偵】では、奈良県飛鳥地方に残る巨石の謎について調査しました。飛鳥には酒船石や猿石、益田岩船などの巨大な石が点在していますが、これらは何のために作られたのでしょうか。装飾もなく、特定の建造物の一部とも考えにくいこれらの石は、長年の間、目的がはっきりと分かっていませんでした。今回の放送では、最新技術を活用した分析や歴史的背景をもとに、飛鳥の巨石がどのように使われていたのかを詳しく解明していきました。また、飛鳥・藤原の宮都が世界文化遺産の候補地として推薦されたこともあり、飛鳥の歴史が再び注目されています。

飛鳥の巨石と歴史のつながり

飛鳥時代(6~8世紀)は、日本の政治の中心が飛鳥にあった時代です。645年には乙巳の変が起こり、蘇我入鹿が暗殺されたことで、中大兄皇子(後の天智天皇)が政治の実権を握ることになりました。その後、663年には白村江の戦いが勃発し、日本と百済の連合軍が唐・新羅の連合軍に敗北しました。この戦いをきっかけに、日本は防衛強化を進め、大和朝廷の統治体制をより強固なものにしようとしました。

そんな戦乱の時代に、なぜ飛鳥の地で巨石が作られたのでしょうか。飛鳥地方は古くから政治の中心地として栄えていましたが、その土地には多くの巨石が点在しています。石舞台古墳のように墓として利用されたものもありますが、今回の調査対象となった酒船石や須弥山石などは、墓や建造物の一部ではなく、まったく別の用途で使われていたと考えられています。その背景には、飛鳥時代に行われた「占い」や「宗教的な儀式」、さらには「政治的な意図」があったのではないかと考えられています。

酒船石の正体とは?

酒船石 - No: 490559|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

酒船石は、飛鳥地方に残る巨石の中でも特に謎が多いものの一つです。表面には不思議なくぼみが複数あり、何かの用途に使われていたことが分かりますが、その目的については長年議論が続いています。今回の調査では、最新の3Dスキャン技術を活用し、石の構造を詳細に分析しました。さらに、3Dデータをもとに5分の1スケールの復元模型を作り、水を流す実験を行いました。すると、水はくぼみに沿って自然に流れていき、ランダムな動きを見せることが確認されました。

この結果を受け、専門家たちは酒船石が「占い」に使われていた可能性が高いと考えています。日本書紀には、天皇が占いによって国の行く末を決めた記録が残っており、飛鳥の巨石もこうした儀式の一部だったのではないかと推測されます。また、酒船石のある丘のふもとでは「亀形石」が発掘されており、そこにためられた水は聖水として使われていた可能性が高いとされています。このことから、酒船石と亀形石は何らかの宗教的な儀式や祭祀に関連していたのではないかと考えられています。

  • 酒船石のくぼみには水が流れる仕組みがある
  • 飛鳥時代の占いに使われていた可能性がある
  • 亀形石とともに宗教的な儀式の場として活用されていた

斉明天皇と飛鳥の巨石

飛鳥時代に巨石が多く作られた背景には、斉明天皇の存在が大きく関係しています。斉明天皇は中大兄皇子(天智天皇)の母で、日本書紀には占いを重視して政治を行っていた記録が残っています。そのため、飛鳥の巨石も、政治的な判断や国家の安定を願うための儀式に使われた可能性が高いと考えられています。

また、飛鳥には猿石や須弥山石など、他にも多くの巨石が存在しており、それぞれ異なる役割があったと考えられます。須弥山石は、内部に水が流れる仕組みを持ち、古代の噴水のような役割を果たしていたとされています。

  • 斉明天皇は占いを政治に活用していた
  • 酒船石は国家の方針を決める儀式に使われた可能性がある
  • 須弥山石は噴水のような役割を持ち、儀式の場で利用された

飛鳥の巨石文化の消滅

斉明天皇の時代には多くの巨石が作られましたが、彼女の死後、その文化は急速に衰退しました。飛鳥地方では、巨石を運ぶために運河が築かれたことが分かっていますが、その建設には多くの人材や物資が必要でした。そのため、庶民からの反発も大きく、日本書紀には「人々が天皇を批判した」との記録が残っています。さらに、斉明天皇の死後、運河建設は中止され、巨石を利用した建造物は作られなくなっていきました。

  • 斉明天皇の死後、巨石文化は急速に衰退した
  • 巨石を運ぶための運河建設には多くの労力が必要で、庶民の反発を招いた
  • 法律や合理的な統治が進むにつれ、呪術的な統治が不要になった

飛鳥時代の終わりとともに、大宝律令が制定され、法律に基づいた統治が進みました。その結果、巨石を用いた儀式や占いの文化は廃れ、次第に忘れ去られていったのです。

まとめ

今回の【歴史探偵】では、飛鳥の巨石に秘められた謎について詳しく調査しました。酒船石や須弥山石などの巨石は、占いや宗教的な儀式だけでなく、政治や外交にも深く関わっていたことが分かりました。しかし、斉明天皇の死後、巨石文化は衰退し、日本の政治はより合理的な統治へと移行していきました。飛鳥の巨石は、単なる遺跡ではなく、飛鳥時代の政治や文化を読み解く重要な鍵となる存在です。今後の研究が進むことで、新たな事実が明らかになるかもしれません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました