クリームシチューはどこで生まれた?“白い洋食”がたどった驚きの物語
寒くなると恋しくなる料理といえば、やっぱりクリームシチュー。湯気の立つ鍋の中で、じゃがいもやにんじん、鶏肉がやさしく煮込まれていく光景は、日本の冬の食卓に欠かせない風景です。けれど、ふと考えてみると――あの「白いとろみのあるシチュー」は、いったいどこで生まれたのでしょうか?
フランスの料理のような気もするし、日本独自の家庭料理のようでもある。この問いに、10月24日放送の『チコちゃんに叱られる!』が迫ります。今回は放送前の段階で分かっている情報をもとに、クリームシチューがたどってきた“文化の旅”を、食の歴史と科学の視点から詳しく紹介します。放送後には、番組で語られる新たなエピソードを追記予定です。
人類最古の煮込み料理から“シチュー”の原型へ
シチューという言葉は英語の「stew(煮る)」が由来。つまり、食材を液体でじっくり煮込む料理法そのものを指します。このスタイルは、文明のはじまりとともに世界各地で発展してきました。たとえば、古代ローマにはワインで煮込む肉料理、アジアには薬膳を兼ねたスープ料理が存在し、どれも“栄養を逃さず、身も心も温める”ための知恵から生まれたものでした。
その後、ヨーロッパでは調理技法が進化し、16〜17世紀のフランスで「ルウ(roux)」という革命的な技法が登場します。ルウとは、バターと小麦粉を炒めて作るとろみの素のこと。これに牛乳を加えたものが「ベシャメルソース(ホワイトソース)」で、のちにクリームシチューのベースとなる重要な発明でした。
この白いソースを使った煮込み料理は、上流階級だけでなく庶民の間にも広がり、貧しい時代には「少ない食材をおいしくする工夫」として愛されました。19世紀のフランスでは、鶏肉や魚、根菜をベシャメルで煮込む“白い煮込み”が家庭料理として定着。これこそが、現代のクリームシチューの原型といえる存在です。
明治時代、日本に渡って“洋食”として花開く
19世紀後半、明治維新によって日本に西洋文化が流入。肉食が再び奨励され、パンや牛乳などの新しい食材が登場しました。そんな中で広まったのが「洋食」という新ジャンルです。
当時の洋食屋では、東京・九段の南海亭などが“牛肉のシチウ”を看板メニューとして提供していたと伝えられています。まだフォークやナイフの文化が根づいていなかった時代、煮込み料理のシチューは「箸で食べられる西洋料理」として日本人の食卓に受け入れられました。
また、当時の料理書には「かぶのスチウ」「牛肉のスチウ」といった表記が見られ、すでに“煮込み料理+ソース”という形式が定着していたことが分かります。これが、日本における「洋食シチュー文化」のはじまりでした。
しかし当時のシチューはまだ茶色系が主流。白いシチューが登場するのは、もう少し後のことになります。
戦後の日本で誕生した“白いシチュー”
第二次世界大戦後、食糧難に直面した日本。多くの学校給食で「脱脂粉乳」を使った栄養食が導入され、ここから“白い煮込み”=ホワイトシチューが広まっていきます。
ミルクや小麦粉を使ってとろみをつけ、野菜と肉を煮込むこの料理は、まさに“温かくてやさしい味”。当時の子どもたちにとって、給食で出るホワイトシチューは特別なごちそうでした。戦後の厳しい暮らしの中で、“少しでも栄養を”“少しでも明るい食卓を”という願いが込められていたのです。
その後、1966年にハウス食品が画期的な商品「シチューミクス」を発売。これにより、誰でも手軽にクリームシチューを家庭で再現できるようになりました。バターや牛乳を自分で調整しなくてもよく、ルウを溶かすだけで濃厚な味わいを作れる手軽さは瞬く間に人気を集め、全国の家庭に浸透しました。
さらに1970年代以降、テレビCMで「寒い日には家族みんなであたたかいシチューを」というメッセージが繰り返し流され、“冬=シチュー”というイメージが定着していきました。
日本で生まれた“白いごはんに合うシチュー”
クリームシチューが特別なのは、単なるフランス料理の再現ではなく、日本の食文化に合わせて進化したことです。
フランスのベシャメルソースはパンやパスタに合わせるのが一般的ですが、日本では「白いごはんと一緒に食べたい」という発想から、よりマイルドでとろみのある味へと変化しました。塩分を抑え、ミルクの甘みを引き立てるように調整された味わいは、日本の家庭ならではの工夫です。
この変化を支えたのが、一般社団法人日本クリームシチュー普及協会やハウス食品など、洋食文化を根づかせようとした企業や団体の努力でした。TRiP EDiTORの取材によると、1970年代には「白いごはんに合うクリームシチューを作ろう」という開発会議まで開かれていたそうです。
結果として、今では“ごはん派”“パン派”が分かれるほどの国民食へと成長しました。フランス人が見れば驚くほど、日本流に進化した洋食といえるでしょう。
政府が支えた「栄養のある白いシチュー」
実はクリームシチューの広まりの背景には、日本政府の栄養政策も関係しています。ウィキペディアによると、戦後の食糧事情が厳しかった時代、子どもたちに十分な栄養を与える目的で「白シチュー」が推奨されたと記録されています。
牛乳や小麦粉を使うことでタンパク質とカルシウムが補えるため、経済的にも栄養面でも優れたメニューとして全国の給食や家庭に広がっていきました。つまり、クリームシチューはフランスの技法に日本の思いやりを掛け合わせた“やさしさの料理”なのです。
フランス生まれ、日本育ちの“愛されレシピ”
結論として、クリームシチューは「フランス発祥の技法を、日本人が自分たちの生活に合うように育て上げた料理」です。
ベシャメルソースというフランス料理の基礎をもとに、明治の洋食ブーム、戦後の学校給食、そして昭和の家庭食卓と、時代ごとに姿を変えながら愛されてきました。
今では、寒い夜に鍋を囲むとき、誰もが自然と笑顔になる――そんな温かい思い出の象徴となっています。単なる「煮込み料理」ではなく、“日本人の心を包む料理”として、これからも食卓に生き続けることでしょう。
まとめ
この記事のポイントは次の3つです。
・クリームシチューの原型は19世紀フランスのベシャメルソースにあり、ルウ技法が生んだ“白い煮込み”だった。
・明治時代に洋食文化として日本に伝わり、戦後の給食やルウ製品によって家庭料理に定着。
・日本独自の「白いごはんに合う味」へと進化し、いまや冬の定番料理として愛されている。
放送後には、チコちゃんが語る“驚きのクリームシチューの秘密”や、若村麻由美さん・屋敷裕政さんのリアクションも追記予定です。きっと「そんな歴史があったの!?」と驚くこと間違いなしです。
ソース:
・ハウス食品「シチューミクスの歴史」
・一般社団法人日本クリームシチュー普及協会
・TRiP EDiTOR
・JBpress(日本ビジネスプレス)
・sbcurry.com
・note(クリームシチューと洋食文化)
・ウィキペディア「クリームシチュー」
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