なぜ人は庭をつくるのか?人類が「自然をコントロールしたかった」その深い理由とは
毎日の暮らしの中で、花を植えたり、木を育てたりする時間が何よりの癒やしになる――そう感じる人は多いでしょう。でもふと立ち止まると、こんな疑問が浮かびませんか?「人はなぜ、わざわざ庭をつくるのだろう?」
アスファルトや高層ビルに囲まれた現代でも、ベランダのプランターや小さな鉢植えを欠かさない人がいます。人はなぜ、自然を身近に置こうとするのか。2025年10月24日放送の『チコちゃんに叱られる!』では、この身近で奥深いテーマに迫りました。
人は自然に怯え、そして“手に入れようとした”
チコちゃんの問い「なぜ庭をつくる?」に対し、正解は「自然をコントロールしたかったから」。この解説を担当したのは大阪大学の桑木野幸司教授。
教授によると、人類はもともと自然の中に身を置き、命をつないできました。しかし、古代の人々にとって自然は美しいだけでなく、恐ろしい存在でもありました。
嵐や洪水、干ばつ、猛獣――それらは人間の力ではどうにもならない“脅威”。生き延びるためには、自然の気まぐれに翻弄されるしかなかったのです。
やがて、農耕が始まり、人々は自然を観察し、少しずつ“利用する方法”を学びました。種をまく季節、雨を待つタイミング、太陽の動きを読む力。自然を理解することが、生きる知恵になっていきました。
そして、「自然を完全に支配できなくても、せめて自分の周囲だけは思い通りに整えたい」という願いが芽生えます。その願いが形になったものこそ――庭です。
庭は、人が自然を「怖いもの」から「親しめるもの」へと変えていった最初の一歩。広大な自然を切り取り、小さな世界として自分の手の中に収めた象徴なのです。
庭は“安心”の象徴だった
庭の起源を探ると、古代文明にまで遡ります。エジプトの壁画には、王族が木陰でくつろぐ庭園の姿が描かれています。川沿いに植えられたヤシの木や蓮の花――それは単なる飾りではなく、「安全」と「安定」を象徴する空間でした。
自然の猛威を恐れながらも、そこに秩序を生み出したい。そんな人間の本能が、庭づくりの始まりを導いたのです。
この“安心のための自然”という考え方は、時代や国を超えて共通しています。
例えば古代ペルシャでは、庭は「楽園(パラダイス)」そのものとされ、神が作り出した理想の自然を再現する試みでした。周囲を壁で囲い、四方に水を流すデザインは、「この世界を手の届く範囲で再現する」という祈りの形でした。
つまり庭とは、自然を恐れながらも「人が自然と共に生きたい」という心の表れだったのです。
世界の庭園は“自然観の鏡”
人はどの地域でも、庭を通して「自然との距離感」を表現してきました。桑木野教授が語るように、庭は単なる造形物ではなく、その国の“自然観”そのものを映しています。
フランスの『ヴェルサイユ宮殿』では、自然を完全に支配するかのように直線と左右対称で構成された庭園が広がります。
これは“太陽王”ルイ14世が「自然を制する者こそ王である」という権力の象徴として築かせたもの。植物の一本一本までが設計図通りに配置され、自然を人間の理性でコントロールした証です。
一方、インドの『タージ・マハル』の中庭は、静寂と調和の象徴。左右対称の水路と緑が、亡き妻への永遠の愛と“神聖な世界”を表しています。人間が自然の中で祈り、救いを求める姿がそこにあります。
イタリアの『ヴィランドリー城』では、花と野菜、薬草が美しく配置された幾何学模様の庭が特徴。自然を愛し、生活に寄り添わせる文化を物語っています。
そして日本。『岡山後楽園』や『龍安寺の石庭』などは、「自然を完全に支配せず、受け入れる」ことを美徳とします。日本人にとって庭とは、自然と人の心が共に呼吸する場所。風の音、水の揺らぎ、木々の影――そのすべてが“生きた景色”として存在します。
日本人の庭に宿る「自然と共に生きる知恵」
日本庭園の最大の特徴は、「作らない美」を大切にしていることです。枯山水のように、実際に水を流さず石で川を表現したり、広い山を一枚の苔に映したりする技法は、自然を“感じる力”を育てます。
これは「自然を支配する」のではなく、「自然と会話する」発想。庭を見つめながら季節の移ろいを感じ、心を整える――それはまさに“人と自然の対話の場”です。
現代でも、庭づくりやガーデニングにはこうした心理的な意味があります。
たとえばストレスを和らげる「園芸療法」では、土を触り、植物を育てる行為が心の安定につながると科学的にも証明されています。花を育てることが“自然を感じるリハビリ”になるとも言われています。
庭は「心の鏡」でもある
興味深いのは、庭のあり方がその人の生き方を映すという点です。
広い芝生を持つ人もいれば、小さな鉢植えを毎朝世話する人もいます。整った庭を好む人もいれば、野生のままの自然を愛する人もいる。それぞれの庭には、持ち主の心の状態や人生観が現れています。
たとえば、コンクリートの庭に一輪の花を植える行為。それは無機質な日常の中に“生きる色”を求める無意識の願いです。
「自然をコントロールしたい」という欲求の根底には、「自然を理解し、調和したい」という優しさが潜んでいるのです。
この記事のまとめ
この記事のポイントは以下の3つです。
・庭は、人類が自然の脅威から逃れるために生まれた“安心の空間”。
・世界中の庭園には、その国の歴史と自然観が反映されている。
・現代でも庭づくりは“自然との対話”であり、心を整える行為である。
文明が進んでも、人は完全に自然を支配できません。しかし、人の心のどこかには「自然と共に生きたい」という思いが常にあります。
それを形にしたのが“庭”。あなたの家の小さな鉢植えも、古代から続く人類の願いの延長線上にあるのです。
夜、静かな庭で風の音を聞いてみてください。そこには、何千年も前から続く「自然と共に生きたい」という人間の祈りが、そっと息づいています。
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